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第14話「家族を、取り戻す」

 ノアとハクが、消えた。


 荒らされたアパートの部屋に立ち尽くしながら、俺は奥歯を噛みしめていた。

 床には、争った跡。倒れた椅子。そして、ノアがいつも握っていたクレヨンが一本、無造作に転がっていた。


 俺は、それをそっと拾い上げた。

 昨日の朝、ノアはこのクレヨンで、家族の絵を描いていた。俺と、リンと、ハルと、ガレスと、ノア自身。そして真ん中に、白いハク。「みんないっしょ」と得意げに笑っていた、あの顔。

 守ると誓ったのに。あの小さな手を、温もりを。それなのに――俺が十年前の真実に気を取られている、その隙を、ヴェルダンは外科手術のように正確に突いてきた。

 怒りで、目の前が赤く染まりそうになる。だが、俺はそれを奥歯で噛み殺した。今、感情に呑まれることだけは、許されない。


「……あたしの、せいでもあるわ」


 背後で、リンが珍しく沈んだ声で言った。


「アパートの守りは、あたしが手配したものだった。それを抜かれた。相手は、それだけの手練れってこと」


「お前のせいじゃない」


 俺は立ち上がった。


「ヴェルダンの用意周到さだ。あの男は、禁書庫の対面そのものを囮に使った。俺をアパートから引き離し、その隙に、本命のノアとハクをさらう。最初から、これが狙いだった」


「ボス……」


 ハルの声が震えていた。怒りと、不安で。


「ノアちゃんを、ハクを……あんな小さい子を、人質に取るなんて。あの野郎……!」


「落ち着け、ハル」


 俺は努めて冷静に言った。

 胸の内は煮えくり返っている。だが、ここで頭に血を上らせれば、ヴェルダンの思う壺だ。感情で動く人間ほど、読みやすい駒はない。それを、俺が一番知っている。


「冷静に考えろ。ヴェルダンの狙いは、何だ」


  ◇


 ガレスが地図を広げ、低い声で言った。


「人質を取った、ということは……要求があるはずだ。兄貴が持ち出した、エルの報告書。あれと、ノアちゃんたちを交換しろと」


「ああ。それが筋だ」


 俺は頷いた。


「だが、それだけじゃない。ヴェルダンは、ハクもさらった。あいつにとってハクは――原初の獣は、何としても回収したい、国家の最重要機密だ。今回の誘拐には、二つの意味がある。報告書の奪還と、ハクの回収。一石二鳥を狙ってる」


「じゃあ、取引に応じれば……」


「応じても、ノアは戻らない」


 俺は断言した。


「考えてみろ。ヴェルダンは、秘密を見た人間を生かしておかない男だ。ザイルがそうだった。十年前の俺もだ。ノアは、ハクの正体を知ってる。俺たちのすべてを知ってる。あの男が、そんな子供を無事に返すと思うか?」


 ガレスの顔が青ざめた。


「じゃあ、取引は、最初から……」


「罠だ。報告書を渡した瞬間、俺たちは用済みになる。ノアごと、消される」


 部屋に、重い沈黙が落ちた。


  ◇


 その時だった。

 俺の通信石に、一件の通信が入った。差出人は――ヴェルダン。


『やあ、ヴァン君。取り込み中、失礼するよ』


 穏やかな声。だが、その奥に、勝ち誇った響きがある。


『預かっているよ。可愛い娘さんと、我が国の貴重な財産をね。丁重に扱っている。今のところは』


「……ヴェルダン」


 俺は声を抑えて応じた。


『取引といこう。明日の正午。北の荒野――そう、君も知っているだろう、かつてエルがあった場所だ。そこへ、報告書を持って、一人で来たまえ。そうすれば、娘さんは返そう』


「ハクは」


『あれは、返せないな。あれは、国家の財産だ。本来あるべき檻の中へ、戻すだけだよ』


 ヴェルダンの声は、最後まで穏やかだった。


『断れば、どうなるか……賢い君なら、わかるね? そんなことには、したくないだろう。では、明日の正午。楽しみにしているよ』


 俺は、通信石を握る手に力がこもるのを抑えられなかった。

 この男は、本気だ。子供の命を、まるで書類の数字を一つ消すように、平然と語る。


「……ノアに、傷一つでもつけてみろ、ヴェルダン」


 俺は腹の底から絞り出すように告げた。


「そのときは、国家千年の繁栄だの、機械だの歯車だの、お前のご立派な理屈ごと――俺がこの手で、すべてぶち壊す」


『おお、こわい。十年前の従順な監督官は、ずいぶんと口が達者になったものだ』


 ヴェルダンは、くつくつと笑った。


『では、明日の正午。楽しみにしているよ』


 通信が、切れた。

 後に残ったのは、俺の荒い呼吸と、握りしめたクレヨンの感触だけだった。


  ◇


「エルの跡地」


 リンが、地図の上の空白の一点を睨んだ。


「わざわざ、そんな因縁の場所を指定してきた。趣味の悪い男ね」


「いや。趣味の問題じゃない」


 俺はその荒野を見つめた。


「あそこは、原初の獣の実験が暴走した場所だ。十年経った今も、土地に濃い魔力が淀んでる。普通の人間なら長くいられない、呪われた土地。あの男は、そこを戦場に選んだ。何か企んでる」


「企み、ね。で、どうするの。一人で来いと言われて、本当に一人で行く間抜けは、いないでしょう?」


 リンが試すように俺を見た。いつもの、底の見えない目で。だがその奥に、確かな信頼が宿っている。こいつは、俺がただ言いなりになる男じゃないと知っている。


「ああ。行くさ。一人で、な」


 俺はにやりと笑った。


「ただし――『一人』の定義は、こっちが決める」


「あら」


「ヴェルダンは、俺を追い詰めたと思ってる。家族を人質に取られ、報告書という切り札も手放さざるを得ない。万事休す、とな。だが、それは、あいつが『俺を一人だ』と思い込んでる前提の話だ」


 俺は、仲間たちを見回した。

 リン。ハル。ガレス。社会からはみ出した、一流の問題児たち。俺の家族だ。


「禁書庫でも同じことを言ったよな、ヴェルダン。お前はいつも、俺を一人だと数える。その油断が、お前の最大の弱点だ」


  ◇


 作戦の骨子は、すぐに固まった。


「明日、俺は表から、一人で荒野に入る。報告書を持って、堂々とな。ヴェルダンの目を引きつける」


 俺は地図の上に駒を置いていった。


「その間に、リン。お前は、ヴェルダンが必ず潜ませてる伏兵の位置を特定して、無力化しろ。お前の得意分野だ」


「任せて。脂ぎった連中を手玉に取るのは、あたしの十八番。……それに」


 リンは、ふと声のトーンを落とした。


「あの子には、生きててもらわなきゃ。あたし、あの子の描いた絵の中に、ちゃんといたのよ。家族として、ね。その借り、返さないと」


「ハル。お前は、ノアの確保が最優先だ。隙を見て、必ずあの子を安全な場所へ。お前の足の速さと剣の腕が頼りだ」


 ハルが、ぐっと拳を握った。


「ボス。俺、強くなったって思ってたんす。竜も斬れる、暗殺者も倒せる。でも――守りたい人ひとり、守れなかった。ノアちゃんを、さらわれた」


「ハル」


「だから、今度こそ。今度こそ、俺の剣は、誰かを守るために振るうっす。必ず守ります。ノアちゃんは、俺が。命にかえても」


 その目に、もう、いつもの頼りなさはなかった。一人前の、男の目だった。


「ガレス。お前は、国の増援を抑えろ。元・特務指揮官のお前なら、連中の動きが手に取るようにわかるはずだ」


「ああ。任せてくれ。古巣の手の内は、知り尽くしてる」


 俺は最後に、一人ひとりの顔を見た。


「そして――ハクは、必ず俺が取り戻す。あいつはもう、檻には戻さない。家族だからな」


  ◇


 作戦を確認し終えると、仲間たちはそれぞれの支度に散っていった。

 部屋に一人残された俺は、ノアのクレヨンをもう一度握りしめた。

 十年前、俺はエルの十二万人を守れなかった。相棒も守れなかった。ずっと、その後悔を抱えて生きてきた。

 だが、今度は違う。今度こそ、俺は守ってみせる。守るべきものが何なのかを、もう知っているから。


 窓の外。夜明けが近づいていた。

 呪われた荒野での、決戦の朝が来る。


 待ってろ、ノア。ハク。

 必ず迎えに行く。

 お前たちはもう、独りじゃない。俺たちには、家族がいるんだからな。


---


<あとがき>


第14話を読んでくださって、ありがとうございます!


ノアとハクの誘拐から一転、カルテルの反撃作戦が動き出します。「一人で来い」という要求へのヴァンの答えは、「行く。ただし『一人』の定義はこっちが決める」。仲間がいるからこそヴァンは強い――この物語のテーマが、決戦を前に改めて輝く回にしたつもりです。次回、十年越しの因縁に決着の時が近づきます。


続きが気になった方は、ブックマークと★★★★★評価をいただけると跳び上がって喜びます。感想も執筆の励みになります。次話「呪われた荒野の、決戦」でまたお会いしましょう!



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