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第13話「十年越しの、対面」

「待っていたよ、ヴァン君。――いや、十年ぶりだね」


 ヴェルダン監察卿は、穏やかな微笑みを浮かべて、禁書庫の入口に立っていた。

 その背後には、武装した護衛が、数人。いずれも、隙のない構えだ。禁書庫の、ただ一つの出口。退路は、完全に、塞がれている。


 俺は、内心で、舌打ちした。

 待ち伏せ自体は、想定の範囲内だった。ヴェルダンほどの男が、俺の動きを読めないはずがない。だが――この男が、自ら、ここまで降りてくるとは。最高幹部が、わざわざ国の最深部に。それだけ、この報告書を、俺に渡したくないということだ。


「君が来ることは、わかっていた。あの依頼の罠を見抜き、ザイルの最期に立ち会い、エルの記録を追う。……君ほど優秀な人間なら、必ず、ここにたどり着く。だから、待っていた。万全の態勢で、ね」


「ご丁寧に、どうも」


 俺は、エルの報告書を、ゆっくりと懐に収めながら、答えた。動揺は、見せない。この男の前で、わずかでも隙を見せれば、それは死を意味する。


「十年ぶりに会った部下を出迎えるのに、護衛が数人とは。寂しい再会だな、ヴェルダン」


「部下、か。懐かしい響きだ」


 ヴェルダンは、ゆっくりと、禁書庫の中へ歩み入ってきた。一歩、また一歩。革靴の音が、静寂の中に、やけに大きく響く。

 その足取りには、一切の、警戒がなかった。まるで、勝敗は、すでに決していると、確信しているかのように。


「君は、優秀な監督官だった。私は、君を高く買っていた。だからこそ――惜しかったよ。あの夜、君が、余計な正義感さえ起こさなければ。今頃、君は私の隣で、この国を動かしていただろうに」


「十二万人を、消してか」


 俺の声が、低くなった。


「エルの住民を。子供も、年寄りも、全部まとめて、一夜で消し飛ばして。それを『必要な犠牲』だと、お前は言うんだろうな」


「言うとも」


 ヴェルダンの声に、迷いは、なかった。


「国家とは、一つの巨大な機械だ。その機械を、より効率よく回すために、時に、部品の交換が必要になる。エルの十二万は、惜しい損失だった。だが、原初の獣の出力を引き上げる実験は、国の未来のために、不可欠だった。より多くの資源。より強い国。そのための、必要なコストだ」


「コスト、か」


「そうとも。君のような感傷家には、わかるまい。だが、上に立つ者は、数字で物事を見なければならない。十二万の命と、国家千年の繁栄。どちらが重いか――答えは、明白だろう?」


 俺は、ヴェルダンを、静かに見据えた。

 この男は、本気で、そう信じている。罪悪感の欠片もなく。

 ……ぞっとするほど、合理的だ。


「数字、ね」


 俺は、ふっと、笑った。


「奇遇だな。俺も、数字で物を見る男だ」


「ほう?」


「だが、お前と俺じゃ、数えてるものが違う。お前は、十二万を『損失』として数える。俺は――その十二万の、一人ひとりの名前を、数える」


 ヴェルダンの、温度のない目が、わずかに、細められた。


「エルには、ザイルの古い同僚がいた。誰かの親が、誰かの子が、いた。名前があって、家族があって、明日を信じてた、十二万の人間がいた。お前にとっては『コスト』でも、そいつらにとっては、たった一つの、かけがえのない人生だ」


「……感傷だな」


「ああ、感傷だ」


 俺は、まっすぐに、ヴェルダンの目を見た。温度のない、その目を。


「だがな、ヴェルダン。その『感傷』こそが、人間と、お前のような計算機を、分けるものだ。お前は、十二万を切り捨てたとき、確かに国は効率的になったかもしれん。だが、お前は、人間であることを、捨てた。その瞬間にな」


「人間であること、か。それが、何の役に立つ?」


 ヴェルダンの声に、初めて、わずかな苛立ちが滲んだ。


「役に立たないからこそ、人間なんだよ」


 俺は、言った。


「効率だけで言うなら、ノアを引き取る理由なんて、俺には一つもなかった。金も手間もかかる、足手まといだ。お前の言う『数字』で見れば、切り捨てるべき存在だ。だが、俺は引き取った。なぜなら――それが、人間ってもんだからだ。お前が捨てたものを、俺は、拾って生きてる。それだけの違いだよ」


 ヴェルダンは、しばらく、無言だった。

 その沈黙が、何を意味するのか。理解できないのか、それとも、理解したくないのか。

 おそらく、後者だ。この男は、わかっている。わかった上で、切り捨てたのだ。だから、もう、戻れない。


  ◇


 ヴェルダンの微笑みが、初めて、消えた。


「……話にならんな。君は、十年経っても、変わらなかった。残念だよ」


 彼は、ゆっくりと、手を上げた。護衛たちが、一斉に、武器を構える。


「だが、安心したまえ。今度こそ、君を『事故死』にはしない。君は、ここで、誰にも知られず、消える。禁書庫に忍び込んだ、名もなき盗賊として、な。その報告書ごと」


「させると、思うか?」


「思うとも。ここは、国の最深部だ。君の仲間も、地上で足止めされている。君は、一人だ。袋の鼠だよ、ヴァン君」


 俺は、笑った。

 心の底から、愉快そうに。


「一人? ……ヴェルダン。お前、一つだけ、数え忘れてるぞ」


「何?」


 その時。

 禁書庫の天井の、魔力配線が、ふっと、消えた。

 明かりが、落ちる。障壁の、唸りが、止まる。


「な……何だ!? 何が起きた!」


 暗闇の中で、ヴェルダンが、初めて、声を荒げた。


「言っただろう。どんな鉄壁にも、息継ぎの瞬間がある」


 俺は、闇の中で、静かに告げた。


「お前がご自慢の禁書庫の警備システム。その魔力供給の大元を、今、地上で、俺の仲間が断った。ガレスの、内部情報のおかげでな。――お前は、俺を一人だと思い込んだ。その油断が、お前の唯一の、計算違いだ」


  ◇


 暗闇は、俺の領域だった。


 障壁の落ちた今、この空間の構造は、すべて頭の中に入っている。さっき歩いた歩数、棚の配置、護衛の立ち位置。光があろうとなかろうと、俺の頭の中の地図は、消えない。何人が、どこにいて、混乱してどう動くか。すべて、読める。

 俺は、闇を縫って、出口へと走った。護衛の伸ばした手を、紙一重で躱しながら。


「追え! 報告書を、奪い返せ! あの男を、絶対に逃すな!」


 ヴェルダンの叫び。だが、遅い。

 暗闇の中で右往左往する護衛と、闇すら計算に入れて動く俺。勝負は、最初から、決まっていた。

 昇降機の前で、影が一つ、俺を待っていた。


「兄貴! こっちだ!」


 ガレスだ。地上の仲間と連携し、警備システムを落とすと同時に、再び降りてきていた。

 俺たちは、昇降機に飛び込み、一気に地上へと駆け上がる。背後で、ヴェルダンの怒号が、遠ざかっていった。


 最後に、俺は、闇の中のヴェルダンに、一言だけ、言い残した。


「ヴェルダン。十年前、お前は俺を消した。だが、消し損ねた。――その意味を、これから、たっぷり、思い知らせてやる」


  ◇


 地上。

 白亜の塔を脱出した俺たちを、リンとハルが、待っていた。


「ボス! 無事だったのね。ひやひやしたわ」


「ああ。土産も、ちゃんと持ち帰った」


 俺は、懐の報告書を、軽く叩いた。エルの真実。十二万人の命が消えたことの、動かぬ証拠。これさえあれば、国の嘘を、白日の下に晒せる。


「やりましたね、ボス! これで、ヴェルダンの野郎を、追い詰められるんすよね!?」


「ああ。だが――まだ、終わりじゃない」


 俺は、夜明け前の空に、黒々とそびえる白亜の塔を、振り返った。


「ヴェルダンは、健在だ。あの男は、これしきで終わる玉じゃない。むしろ――ここからが、本当の、戦いだ」


 その確信は、すぐに、最悪の形で、的中することになる。

 俺の通信石に、留守を任せていた仲間からの、緊急の声が、割り込んできた。

 その声は、ひどく、うわずっていた。


『ボス、大変です! アパートに……ノアちゃんと、ハクが、いません! 部屋が荒らされて……何者かに、連れ去られた形跡が……!』


 俺の、心臓が、凍りついた。

 世界の音が、すべて、遠のいた。


 ヴェルダンの、あの穏やかな声が、脳裏に、蘇る。

 「君の周りには、守るべきものが、増えたようだね。子供が一人――」。


 しまった。

 あれは、ただの牽制じゃ、なかった。予告だったんだ。

 俺が禁書庫の報告書に、気を取られている、まさにその隙に。あの男は、もっと残酷な、もう一手を、打っていた。

 禁書庫の対面すら、俺をアパートから引き離すための、囮だったのかもしれない。


「ノア……ハク……!」


 夜明けの空に、俺の叫びが、虚しく、吸い込まれて、消えていった。

 守ると、誓ったのに。あの小さな手を、温もりを。

 俺は――また、守れなかったのか。


-----


<あとがき>


第13話を読んでくださって、ありがとうございます!


ついに実現した、ヴァンとヴェルダンの十年越しの対面。「十二万を損失として数える」ヴェルダンと、「一人ひとりの名前を数える」ヴァン。同じ「数字で見る男」でも、その本質は正反対。この対比こそ、二人の戦いの核心です。


ヴェルダンの「お前は一人だ」という油断を、ガレスの内部情報で覆す展開、楽しんでいただけたでしょうか。仲間がいるからこそ、ヴァンは強い。


しかし――脱出の喜びも束の間、ヴェルダンの最後の一手。ノアとハクが、連れ去られた。物語は、最大の危機へ。次回、ヴァンの本当の戦いが、始まります。


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ヴァンとヴェルダンの対決、そして衝撃のラストに「続きが気になる!」と思っていただけた方は、ブックマークと、ページ下部の★★★★★評価をいただけると跳び上がって喜びます。

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感想も一言いただけると、執筆の何よりの励みになります。

それでは、次話「家族を、取り戻す」でまたお会いしましょう!


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