第12話「国の最深部に、忍び込む」
国家管理局の本部は、巨大な白亜の塔だった。
国の威信を象徴する、そびえ立つ権力の城。その地下深くに、禁書庫は、眠っている。
俺たちは、向かいの建物の屋上から、その塔を見下ろしていた。
「正面の警備兵が、十二人。巡回が、二十分周期。魔導障壁は、地下三層から下に、五重」
ガレスが、図面を広げながら、低い声で説明する。元・特務指揮官の知識は、こういうとき、何よりの武器になる。
「禁書庫は、最下層。そこへ至る道は、ただ一つ。中央の昇降機だ。だが、それを動かせるのは、監察卿の権限印だけ。俺たちには、開けられない」
「権限印がなきゃ、扉も開かない、か」
俺は、図面を睨んだ。
正攻法では、絶対に届かない。だが――。
「ガレス。一つ、聞く。その昇降機、点検は、いつ入る?」
「点検? ……月に一度だ。明日の、未明。だが、それが何か」
「点検のとき、昇降機は、どうやって動かす? まさか、点検のたびに監察卿が立ち会うわけじゃ、ないだろう」
ガレスの目が、はっと、見開かれた。
「……まさか。点検用の、臨時権限」
「そういうことだ」
俺は、にやりと笑った。
「どんな鉄壁のシステムにも、『例外』は必ずある。人間が、運用してる限りな。点検という名の、年に十二回だけ開く、裏口。――そこから、入る」
◇
翌日、未明。
計画は、緻密に組み上げられた。
まず、リンだ。
彼女は、点検業者の作業員に化けて、正面から堂々と入っていった。事前にハルが奪っておいた業者の認証票と、誰も疑わせない、完璧な変装。そして何より、警備兵の視線を、自然に逸らさせる、あの魔性。
「お疲れさまですぅ。深夜の点検、ご苦労さまです♪」
甘い声で小首をかしげるリンに、屈強な警備兵たちが、だらしなく相好を崩す。
「お、おう。点検の業者さんか。こんな時間に、大変だな」
「ほんとですよぉ。こんな別嬪さんが夜中に働くなんて、世の中間違ってますよねぇ。……あ、これ、認証票です」
完璧だった。警備兵は、認証票の細部など、もう見てもいない。リンの笑顔に、すっかり骨抜きだ。
その隙に、彼女の指が、するりと、警備卓の認証装置に触れた。ほんの一瞬。ハルが奪っておいた点検用の臨時権限の符号を、システムに、滑り込ませる。
『……ふう。チョロいものね。内側から、地下への扉のロックを、解除したわ』
リンの声が、俺の耳元の通信石に、囁いた。その声には、仕事を楽しんでいる、余裕さえ滲んでいる。
『でも、ボス。借りひとつよ。あんな脂ぎった連中に、愛想を振りまいたんだから』
「高くつきそうだな」
『ふふ。あとで、ちゃんと請求するわ』
◇
地下、最下層への昇降機。
俺とガレスは、解除された扉から、音もなく滑り込んだ。
地上では、ハルが、いつでも飛び込めるよう、待機している。万が一、警備が動いたときの、武の備えだ。今回の作戦で、ハルの出番が来るとすれば、それは計画が崩れたとき。だから――こいつの出番は、ない方がいい。
『ボス、こっちは異常なしっす。リンさんも、無事に合流しました。……いつでも、行けます』
通信石越しの、ハルの声。頼もしくなったものだ。
俺は短く応え、昇降機の操作盤に、ガレスが持ち込んだ点検用の符号を、差し込んだ。
昇降機が、ゆっくりと、地の底へと降りていく。一層、また一層。地上の光が、見る間に、遠ざかっていく。
空気が、重く、冷たくなる。まるで、世界の底へ、沈んでいくようだった。
「兄貴。ここから先は、本当に、誰も足を踏み入れたことがない領域だ。特務の俺でも、見たことがない。……正直、足が震えてる」
「無理もない。だが、こういうときこそ、頭は冷やせ。怖いのは、お前が真っ当な証拠だ」
「……ああ。そうだな」
「それに、見ろ」
俺は、昇降機の壁に走る、魔力の配線を指した。青白い光が、規則正しく、明滅している。
「この障壁の魔力供給。一定のリズムで、脈打ってる。心臓と、同じだ。生きてるシステムには、必ず、鼓動がある。鼓動があるってことは――息継ぎの、瞬間もある」
「息継ぎ……?」
「魔力の供給が、次の層へ切り替わる、コンマ数秒の空白。そこだけ、障壁の出力が、ゼロになる。アイアンクラッドの脱皮と、同じだ。どんな鉄壁にも、無防備になる一瞬が、必ずある」
ガレスが、信じられない、というように、首を振った。
「あんたは……国が何百年かけて築いた守りを、竜の脱皮と、同じに扱うのか」
「同じだよ。相手が竜でも、国でも、システムでも。習性を読めば、勝手に腹を見せる。それだけだ」
俺は、懐中時計を睨んだ。頭の中で、配線の脈動を、数える。一定の、リズム。次の切り替わりまで――。
「三、二、一――今だ」
昇降機が、最下層に着いた、その瞬間。
俺は、障壁が切り替わる、コンマ数秒の空白を縫って、最後の扉へと、滑り込んだ。
背後で、再び障壁が、何事もなかったように、立ち上がる。間一髪。完璧な、タイミングだった。
◇
禁書庫。
それは、想像とは、違っていた。
書庫、というには、あまりに巨大で、あまりに、静かだった。
高い天井まで届く、無数の棚。そこに収められているのは、国が「なかったこと」にした、すべての記録。消された歴史の、墓場。
「ここに……国の、すべての嘘が」
ガレスが、呆然と、呟いた。
俺は、迷わなかった。
頭の中の索引が、ザイルの言葉を、手繰り寄せる。封印指定の、古い事故報告書。十年前。都市、エル。
俺の足は、まっすぐに、最奥の、特に厳重に封じられた一画へと向かった。
そこに、それは、あった。
分厚い、黒革の報告書。表紙には、血のように赤い文字で、こう記されていた。
『エル市・完全消失事案 ――関係者極秘――』
俺は、震える手で、それを開いた。
◇
ページをめくる。
そこに記されていた真実は――俺の、想像を、はるかに超えていた。
十年前。国は、より多くの資源を得るため、原初の獣に、ある「実験」を行った。獣の魔力出力を、強制的に、限界以上に引き上げる実験。
だが、それは、暴走した。
制御を失った原初の獣の魔力が、奔流となって溢れ出し――最寄りの都市、エルを、住民十二万人ごと、この世から、消し去った。一夜にして。跡形も、なく。
そして、国は。
その事実を隠すために、生存者を、口を封じ、関係者を消し、記録を抹消した。
俺の指が、ある一文で、止まった。
実験の、最高責任者の名前。
『実験総括責任者 ――ヴェルダン』
そして、その隣に、もう一つ。
俺の、心臓を、鷲掴みにする名前が、あった。
『現場監督官 ――(機密保持につき抹消)』
抹消された、名前。だが、その下に、付記された、一行。
『※ 当該監督官は、実験の非道を告発しようとしたため、第二十階層にて事故死として処理』
――それは、俺の、ことだった。
「……そう、だったのか」
俺は、十年間、知らなかった、自分の事件の、本当の意味を、今、知った。
俺は、ただ偶然、秘密を見たんじゃない。
俺は、エルを消した実験の、現場に、いた。実験を監督する立場に。そして、その非道を目の当たりにして――止めようとした。だから、消された。
「兄貴……これ」
報告書を覗き込んだガレスの声が、震えていた。
「この『現場監督官』って……まさか、あんた、なのか」
「ああ。十年前の俺は、この実験の監督官だった。何も知らずに、ヴェルダンの下で、現場を任されていた。……そして、実験が暴走して、エルが消えた、その瞬間を、この目で見た」
「そんな……じゃあ、あんたは、十二万人が消えるのを……」
「止められなかった。俺の、目の前でだ」
俺の声が、自分でも驚くほど、低く沈んだ。十年間、記憶の底に封じてきた、あの夜の光景。一つの都市が、光の奔流に呑まれて、消えていく。あの、悪夢。
「だから俺は、告発しようとした。こんな実験は、間違ってる、と。だが――次の瞬間には、俺は『第二十階層で事故死した英雄』に、なっていた。ヴェルダンの手で、な」
ガレスは、言葉を失っていた。
自分が忠誠を誓ってきた国が、十二万人を消し、それを隠し、止めようとした人間を、生きたまま葬った。その重さに、打ちのめされている。
「ひどい……ひどすぎる。こんなことが、許されていいわけが……」
「許されてない。だから、暴くんだ」
俺は、報告書を、固く握りしめた。
「これは、証拠だ。十二万人の命が消えたことの。そして、それを国が隠したことの。これさえあれば――」
その時。
禁書庫の、入口の方から。
ゆっくりと、拍手の音が、響いてきた。
ぱち、ぱち、ぱち。
「お見事。ここまで、たどり着くとはね」
穏やかな、声。
振り返った先に、立っていたのは――白髪の、紳士。
ヴェルダン監察卿が、微笑みを浮かべて、そこに、立っていた。
「待っていたよ、ヴァン君。――いや、十年ぶりだね」
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<あとがき>
第12話を読んでくださって、ありがとうございます!
カルテル総力戦の潜入作戦、いかがでしたか。リンの変装、ガレスの内部情報、そしてヴァンの「鉄壁にも息継ぎがある」という知略。みんなの力が噛み合って、国の最深部へ。第1話のアイアンクラッドの脱皮ロジックが、ここで国家システム相手に応用されるのも、味わっていただけたら嬉しいです。
そして、ついに明かされたエルの真実。十二万人が消えた大事故。その実験責任者がヴェルダンであり――ヴァン自身が、それを止めようとした「現場監督官」だった。彼が消された、本当の理由が、ここでつながりました。
さらに、待ち構えていたヴェルダン。次回、十年越しの対面、そして対決が始まります!
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それでは、次話「十年越しの、対面」でまたお会いしましょう!




