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第11話「消えた都市の、消えた記録」

「『エル』なんて都市、本当に存在したのかしら」


 アパートの一室。卓上に広げた古い地図を睨みながら、リンが、気怠げに呟いた。


 ザイルが命と引き換えに遺した、最後の言葉。消えた都市、エル。それを聞いてから、俺は三日三晩、ほとんど眠らずに、ありとあらゆる古い記録を漁り続けていた。奈落市場の闇商人から、二束三文の古文書を買い漁り、廃棄寸前の行政記録を盗み見て。


「国の公式記録にも、市場で買える裏の資料にも、そんな名前はどこにもない。本当に、ザイル老人の、死に際の世迷い言じゃないの? あなた、少し、根を詰めすぎてるわ」


「いや。存在した。確実にな」


 俺は、卓上の地図の上に、何枚もの古い書類を、一枚ずつ並べていった。十数年前の税の記録、色褪せた交易路の図、断片的な人口統計。一見、何の繋がりもない、ただの古紙の山だ。

 だが、俺の頭の中では、それらの数字が、一つの像を結び始めていた。


「いいか。国は、エルという都市の記録を、徹底的に消した。名前も、地図も、住民の戸籍も。完璧な仕事だ。普通の人間が調べても、最初から存在しなかったとしか思えない」


「なら、お手上げじゃない」


「逆だ。完璧に消そうとするほど、『消し忘れ』が際立つ」


 俺は、一枚の、特に古びた交易路の図を、指で示した。


「見ろ。十二年前の、北部の交易路の図だ。ここに、太い街道が一本、北へ向かって伸びている。物資の輸送量から見て、相当な人口を抱えた都市と、結ばれていた道だ。だが――」


 俺は、その街道の終着点を、指でなぞった。

 そこには、何もなかった。ただ、白い空白が、広がっているだけ。


「終着点に、何もない。ただの荒野だ。街道ってのは、人が集まる場所と場所を、結ぶために引かれる。終わりに何もない道なんて、引かれるわけがない。なのに、この道は、ある時期を境に、突然『どこにも繋がらない道』に、なっている」


 ハルが、ごくりと唾を飲んで、身を乗り出した。


「つまり……昔は、その街道の先に、デカい街が、あった。けど、その街だけが、地図から消されて……道だけ、消し忘れた?」


「そういうことだ。よく気づいたな、ハル」


 俺は、地図の、その空白の一点を、とん、と指で叩いた。


「税の流れ、人の移動、物資の動き、街道の向き――国が消し忘れた、無数の『周辺の記録』が、すべて、この一点を指してる。ここに、かつて大きな都市があった。そして、ある日、忽然と消された。それが――エルだ」


 リンが、地図を覗き込み、感嘆したように、長い息を吐いた。


「……記録が『ない』こと、その不自然さ自体を、手がかりにするのね。普通は、あるものを探す。あなたは、ないものの輪郭を、周りから炙り出す。……ぞっとするわ、あなたの頭」


「数字は、嘘をつかない。消された数字が空けた『穴』の形もな」


 俺は、その空白を見つめた。

 十年前、俺が消されかけた、本当の理由。その答えが、この何もない荒野に、眠っている。


  ◇


 その夜だった。


 アパートの扉が、控えめに、叩かれた。

 こんな時間に、この場所を知る人間は、限られている。俺は、警戒しながら、扉を開けた。


 立っていたのは――ガレスだった。

 一人で。武器も、持たずに。


「……夜分に、すまない。兄貴」


 その顔は、憔悴しきっていた。何日も、眠っていないような。


「入れてくれ。話が、ある。あんたにしか、できない話だ」


 俺は、しばし、ガレスを見つめた。

 罠の可能性。背後に伏兵がいる可能性。この訪問がヴェルダンの仕掛けた、もっと深い罠である可能性。そのすべてを、俺は一瞬で、頭の中で計算した。

 だが――この男の目に、もう、迷いはなかった。あったのは、何かを失う覚悟を決めた者だけが持つ、澄んだ光だ。十年前、俺の背中を追っていた頃の、あのまっすぐな目が、そこにあった。

 数字は、こいつを「信じるな」と告げている。だが、数字で測れないものも、この世にはある。


「入れ」


 俺は、扉を、大きく開けた。


  ◇


 ガレスは、椅子に座るなり、絞り出すように語り始めた。


「あの『獣』を見てから、俺は……眠れなくなった。国が、あんなものを隠していた。そして、それを守るために、平気で人を消す。……ザイルという老人が、殺された。監察卿の命令だ。俺は、その報告書を、偶然見てしまった」


「……ヴェルダンは、お前に伏せていたはずだがな」


「ああ。伏せられていた。それが、答えだよ」


 ガレスの拳が、震えた。


「俺は、信じてきたんだ。国は正しい。俺たちは、人々を守るために、戦ってる、と。なのに――俺に、隠し事をする。都合の悪いことを、見せないようにする。俺はもう、ただの、便利な駒だったんだ。何も知らされない、ね」


「気づくのが、遅かったな」


「ああ。遅かった。……でも、今、気づいた。それだけは、確かだ」


 ガレスは、顔を上げ、まっすぐに俺を見た。


「兄貴。俺を、あんたたちの側に、入れてくれ。国の内側にいた俺なら、あんたたちの知らない情報を、渡せる。……贖罪に、なるとは思っちゃいない。だが、もう、目を、つぶっていられない」


 俺は、しばらく、黙っていた。

 こいつを、信じていいのか。これも、ヴェルダンの仕掛けた、もっと深い罠なのか。

 ……いや。


「ノアの夢で、お前は、泣きながら剣を向けてた」


「え……?」


「斬りたくない、と泣いてた。その夢を見たとき、俺は思ったよ。こいつは、まだ、こっちに戻ってこられる、とな」


 俺は、手を、差し出した。


「おかえり、ガレス」


 ガレスの目から、堪えていたものが、一筋、こぼれ落ちた。

 それは、十年間、ずっと張り詰めていた糸が、ようやく切れた音のようだった。英雄に憧れ、その英雄を失い、偽りの正義に縋って生きてきた、一人の男。その背負ってきたものの重さが、その一粒の涙に、すべて滲んでいた。


「……兄貴。俺は、あんたに、ずっと謝りたかった。剣を、向けた。あんたを、狩ろうとした。あんなに、慕っていたのに」


「いいさ。お前は、お前の信じる正義に、忠実だっただけだ。それは、罪じゃない」


「……っ」


 ガレスは、差し出された俺の手を、両手で、強く握りしめた。

 かつて、新人だった頃のこいつが、俺の背中を追いかけて、必死に伸ばしていた手。あの手が、十年の時を経て、今、また俺の手を掴んでいる。

 今度は、追いかけるためじゃない。隣に、並ぶために。


 十年間、偽りの正義に縛られていた男が、ようやく、本当の自分の足で、立った瞬間だった。


 その様子を、リンが、壁にもたれて静かに見ていた。

 いつもの皮肉も言わず、ただ、少しだけ、優しい目で。


  ◇


「で、さっそくだが」


 俺は、卓上の地図を、ガレスの方へ向けた。


「お前に、聞きたいことがある。十年前、『エル』という都市で、何が起きたか。国の内部に、その記録は、残ってないか」


 ガレスの顔が、強張った。


「エル……。その名は、特務の最高機密の中で、一度だけ、見たことがある。封印指定の、古い事故報告書だ。詳細は、俺の権限じゃ、開けなかった。だが――」


「だが?」


「その報告書の、保管場所だけは、知ってる。国家管理局の、最深部。『禁書庫(きんしょこ)』だ。歴代の監察卿だけが、立ち入りを許される場所。そこに、消された都市の記録が、眠ってる」


「禁書庫……」


 俺は、その響きを、頭の中で転がした。

 国が、最も見られたくないものを、一箇所に集めた場所。それは、裏を返せば――そこにこそ、国の弱点のすべてが、揃っているということだ。


「ガレス。その禁書庫について、知ってることを、全部、話してくれ。場所、警備の規模、出入りする人間、警備の交代時刻。どんな些細なことでもいい」


「あ、ああ。だが、兄貴。言っておくが、あそこは……国で、最も警備の厳重な場所だ。魔導障壁は何重にも張られ、警備兵は精鋭ぞろい。出入りできるのは、監察卿と、ごく一部の最高幹部だけ。忍び込むなんて、正気の沙汰じゃ……」


「厳重な警備ほど、読みがいがある」


 俺は、ガレスの言葉を遮って、にやりと笑った。


「考えてもみろ。警備が厳重ってことは、それだけ『手順』が、ガチガチに決まってるってことだ。決まった手順は、必ず、決まった隙を生む。アイアンクラッドの脱皮と、同じさ。どんなに硬い守りにも、必ず、無防備になる一瞬がある」


 ガレスが、唖然とした顔で、俺を見た。それから、ふっと、毒気を抜かれたように、笑った。


「……かなわないな、兄貴には。本当に」


「それでこそ、だ」


 俺は、立ち上がった。胸の中で、十年分の計算が、静かに、しかし確かに、動き始めていた。

 後手に回り続けた日々は、終わりだ。ここから先は、こっちが、攻める番だ。


「待ってろよ、ヴェルダン。お前が必死で隠した『エル』の真実。その禁書庫から、この手で、引きずり出してやる」


 窓の外。

 ノアの腕の中で、ハクが、まるで来たるべき決戦を予感するように、低く、長く、鳴いた。

 その金色の瞳は、夜の闇の中で、いつになく、強く輝いていた。


---


<あとがき>


第11話を読んでくださって、ありがとうございます!


ついに、ガレスが帰ってきました! 十年間、偽りの正義に縛られていた彼が、自分の意志でヴァンの側へ。長く描いてきた「迷い」が、ようやく一つの答えにたどり着きました。「おかえり、ガレス」――この一言を書きたくて、ここまで来たと言っても過言ではありません。


そして、消された都市エルの記録は、国の最深部「禁書庫」に。次回はいよいよ、ヴァンたちの最大の潜入作戦が始まります。国で最も警備の厳重な場所に、どう挑むのか。ヴァンの知略と、新たな仲間ガレスの内部情報。反撃の狼煙が、上がります!


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ガレスの帰還に胸が熱くなった方は、ブックマークと、ページ下部の★★★★★評価をいただけると跳び上がって喜びます。

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感想も一言いただけると、執筆の何よりの励みになります。

それでは、次話「国の最深部に、忍び込む」でまたお会いしましょう!


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