第二話 森の中の教会
この話は元々第一話の後半だった話ですが、詰め込みすぎたと判断して分けることにしました。
作戦司令部では、モニターの前にいた兵士が言葉を失っていた。
映っていたはずの廃倉庫がない。港湾地区の一角が、丸く抉られている。
「……倉庫が消えた」
「違う!」
別の兵士が、震える声で言った。
「地面ごと、持っていかれてる!」
「ブラボー2、応答しろ! レイノルズ、応答しろ! 上空支援機、応答しろ!!」
返事はない。
ノイズだけが、無線を埋めていた。
「敵ヘリの反応も消失!」
「支援機もです!」
「何が起きた!?」
誰も答えられなかった。
焼けた港湾地区には、クレーターのような穴だけが残っていた。
ーーー
白が消えた。
最初に戻ってきたのは、音だった。
風の音。葉擦れ。誰かの呻き声。金属が地面に落ちる音。
次に、匂いが戻った。潮の匂いではなかった。油と鉄錆でもなかった。
湿った土。枯れ草。腐った木。
そして、血。
ゴーストは地面に片膝をついていた。倉庫の床ではない。土だった。冷たい泥が膝に食い込み、手袋の下で血がぬるく滑る。
昼頃の倉庫の中だったはずが、今は夕方になっていた。
「……どこだ、ここは」
ウィルの声だった。
いつもの軽さはある。だが、薄い。
笑おうとして、失敗している声だった。
ゴーストは反射的に右手を動かした。
ない。アサルトライフルが手元にない。
さっきまで肩にあったはずの重さが、消えている。スリングだけが裂け、胸元に垂れていた。
消えたのか、転移の衝撃でどこかへ飛んだのか。確認してる暇はなかった。
ゴーストは舌打ちもせず、装備を確認する。
拳銃はある。カランビット。ある。マガジン。少ない。手榴弾が二つ。閃光弾が二つ。
弾薬ポーチは異様に軽かった。
「くそ……俺のもない」
ジャックが肩を確認していた。彼のアサルトライフルも手元にない。
かわりに拳銃を抜き、即座に周囲へ銃口を向けた。
「全員、報告しろ」
「Mr.ウィルは生きてるぜ。俺のアサルトライフル知らねぇか? 無くしちまった。グロックの弾は……笑えねぇくらい減ってる」
ウィルは腰の拳銃を確認しながら、歪んだ木箱のそばに転がっている古いショットガンを拾い上げた。
長い銃身。木製の銃床。倉庫にあった武器の一つだろう。
「おいおい、M1897かよ。古いな。骨董品まで一緒に旅行してきたらしいぜ」
彼は薬室を確認する。
「弾は二発。最高だな。泣ける」
「ゲイル」
「生存。負傷軽微。ですが、僕のライフルがありません。拳銃はあります。あとデザートイーグルもありますが、弾が少ない」
ゲイルは泥に膝をつき、バリスティックグラスを指で直した。
手元にあるのは拳銃だけ。
彼の目が、空を見上げる。
「……月が二つあります」
ゴーストも空を見た。
黒い森の上に、月が二つ浮かんでいた。
一つは白い。
もう一つは、血を薄めたような赤だった。
誰もすぐには喋らなかった。その沈黙を破ったのは、上空を切り裂く轟音だった。
米軍の戦闘機だった。
機体は大きく傾いている。見知らぬ空を低く裂き、森の奥へ消えていく。
墜落音は、聞こえなかった。
そのさらに下で、ローター音が乱れていた。
テロリスト側の武装ヘリが、木々の上をふらつきながら流れていく。
黒煙を吐き、機体を傾けながら、それでも落ちきらない。
やがて森の向こうで、木々をへし折る鈍い音がした。
爆発はしない。
「ヘリ、落ちたか?」
ウィルが乾いた声で言った。
ゲイルは短く答える。
「爆発音はありません。不時着の可能性があります」
「確認は後だ」
ジャックが銃口を森へ向ける。
「今は目の前を見ろ」
周囲には、倉庫の一部が散らばっていた。
燃料缶。弾薬箱。木箱。歪んだ鉄骨。割れたコンクリート片。
そして、人間もいた。
倒れた米兵たち。武器を取り落としたテロリストたち。檻にいた子供たち。
檻にいた子供たちのうち、動いているのは一人だけだった。他は、息をしているのかさえ分からない。
子供の側へ行こうと思った時、森の奥で、低い唸り声がした。人間の声ではない。
木々の間から、巨大な影が出てきた。
緑がかった灰色の皮膚。デカい怪物。手には、棍棒というより、ただの丸太。
米兵の一人が叫んだ。
「何だ、あれは――!」
次の瞬間、怪物の丸太が横へ振り抜かれた。
米兵の身体が宙を舞う。
背中から木の幹に叩きつけられる。
嫌な音がした。
男はずるりと落ちた。もう動かない。
「敵だ!!」
ジャックが叫ぶ。
「全員、散開!」
だが、それより早く、森が動いた。
小さな影がいくつも飛び出してくる。
緑色の小鬼。歪んだ顔。黄色い目。腐った歯。手には古い斧や錆びたナイフ。
一体が米兵へ飛びかかった。
斧が振り下ろされる。
鈍い音。
米兵のヘルメットが割れ、脳漿を飛び散らせながら男が地面に崩れた。
別の一体が、倒れた兵士の顔へ噛みつく。さらに別の一体が、兵士に体当たりして地面に押し倒す。
そこに数体が群がって腹に噛みつき食い破り、内臓を食べていた。
「撃て!」
ジャックの声と同時に、銃声が森に響いた。
ウィルが拳銃を連射しながら前に出る。
「おいおいおい! 緑のチビにデカブツまで追加かよ!」
笑っている。だが、息は荒い。
「ファンタジーってかクソが!!」
ゴーストは拳銃を抜いた。
アサルトライフルはない。
弾も少ない。
それでも撃つしかない。
一体目。頭。
二体目。喉。
三体目。外す。肩。すぐ二発目。
小鬼が悲鳴を上げて倒れる。
だが数が多い。
森の奥から、さらに出てくる。
「ゲイル!」
「右から七。左から五。大型一。小型はまだ増えています!」
ゲイルが拳銃を構え、近づく小鬼を撃ち抜く。
ライフルはない。デザートイーグルの弾も少ない。
だが、狙いは正確だった。
ジャックが叫びながら指示を出した。
「狙え! 無駄撃ちするな!」
その時、檻の子供の一人が、小さく呻いた。
泣く力もない。
喉の奥から漏れた、細い音だった。
泥の上で震えている。血と薬で汚れた服。細い腕。それでも、まだ息がある。
その子へ、小鬼が向かった。錆びた斧を両手で持ち上げる。
ゴーストの目が変わった。
「ゴースト!」
ジャックの制止より早く、ゴーストは走っていた。
斧が振り下ろされる。ゴーストは子供の上に覆いかぶさった。
背中に、熱い痛みが走る。刃がタクティカルベストを裂き、肉を削った。
ゴーストは歯を食いしばる。声は出さない。
左腕で子供を抱え、右手の拳銃を小鬼の口に押し込む。
撃った。
小鬼の後頭部が弾け、泥の上へ倒れる。
子供が震えている。ゴーストの腕の中で、小さく息をしている。生きている。まだ、生きている。
「……大丈夫だ」
ゴーストは優しく言い聞かせた。
「こっちだ!」
ジャックが叫ぶ。
「固まれ! 森の中へ押し込まれるな!」
ウィルがゴーストの背中を見て顔をしかめた。
「おい、背中切れてるぞ、サイレントゴースト」
「動ける」
「知ってるよ。相変わらずクールだなお前は」
ウィルは小鬼を蹴り飛ばし、至近距離で撃った。
「まっ俺もクールだけどな」
ゲイルが短く叫ぶ。
「大型、再接近!」
巨大な怪物が丸太を振り上げていた。
ゲイルは拳銃で巨大な怪物に向かって撃つ。血は出る。
しかし鈍いのか皮膚が硬いのか、痛みはあまりないようだ。
ジャックは指示を出す。
「撤退! 隙を作るぞ!」
ゴーストは子供を片腕で抱えたまま、腰のポーチに手を伸ばした。
閃光弾。
残り二つ。
今は迷う場面ではない。
ゴーストはピンを抜き、巨大な怪物の足元へ投げた。
「目を閉じろ!」
白い閃光が森を裂いた。
小鬼たちが悲鳴を上げる。
大型の怪物も目を押さえ、丸太を振り回した。
木が折れる。
土が跳ねる。
「走れ!」
ジャックが叫んだ。
全員が動いた。
ゴーストは子供を抱えたまま走る。背中の傷が焼ける。肩も痛む。肺が軋む。
それでも止まらない。森の中を駆け抜ける。
その時、ゲイルが森の奥を見た。
彼のバリスティックグラスに、木々の隙間から何かが映る。
石の壁。古い尖塔。蔦に覆われた、灰色の建物。
「建物があります!」
ジャックが振り返る。
「どこだ!」
「北東。木々の奥です。古い教会のように見えます!」
ウィルが叫ぶ。
「教会? この状況で神頼みかよ!」
ゲイルは息を整えながら続けた。
「あそこに立て籠れば、生き残れる確率は上がります!」
ジャックの判断は早かった。
「そこへ行く!」
森を抜けた先に、古い教会があった。
月明かりも届かない木々の奥に立っている。蔦に覆われた石壁。尖った屋根。色の失せた扉。
まるで、最初からそこにあったように。
まるで、誰にも見つからないように。
ジャックが扉を押した。開かない。
「鍵か!?」
「錆びついてるか、内側から噛んでます!」
ゲイルが振り返る。
森の奥から、小鬼たちの叫び声が近づいていた。大型の怪物も、閃光から立ち直り、丸太を振り回しながら、ゴースト達を探している。
「どけ!」
ウィルが前に出て、拾ったショットガンを構える。その顔から笑みが消えていた。
「弾は二発しかねぇが、くれてやる。喜べファッキンドア」
轟音。
森の奥で、怪物たちの声が一斉に跳ねる。音で、こちらの位置が割れた。雄叫びを上げながら向かってくる。
ショットガンの一発が、古い扉の鍵部分を吹き飛ばした。ジャックがすぐに体当たりする。
重い扉が内側へ開いた。
「入れ!」
全員が教会の中へなだれ込む。
ウィルが最後に入り、扉を閉める。
すぐにジャックとゲイルが椅子を引きずり、扉の前へ積み上げた。
古い木の椅子。倒れた燭台。割れた長椅子。
バリケードになるなら何でも使った。
扉の向こうで、小鬼たちがぶつかってくる音がする。
どん。
どん。
どん。
それは扉を叩く音ではなかった。
何もない空間に体ごとぶつかっているような鈍い音だった。
外では小鬼たちの甲高い声がしている。
近くにいる。だが、扉には来ない。
ゲイルは窓から確認して、息を殺して言った。
「……妙ですね。連中、ここを認識できていないようです」
「静かに。奴ら、俺たちが入るところを見てなかったのか?」
ジャックは銃を構えながら、周りを確認する。
教会の中は、外よりも静かだった。古びてはいる。だが、荒れ果ててはいない。何年も放置された建物にしては、埃が少なすぎる。
まるで、この中だけ時間の流れが遅いようだった。
ゴーストは子供を長椅子の上へそっと寝かせた。
脈を確認する。まだある。
「俺が見る。お前はここにトイレがあるか確認してくれよ。デケェのが出そうだ」
ウィルはジョークを言いながら横に膝をついた。
ゴーストは子供を任せ、周囲へ銃口を巡らせる。
その時、薄暗い礼拝堂の奥に何かを見つけた。
祭壇。色あせた布。ステンドグラス。古びた祈祷書。
その奥に、何かがある。白い布に包まれた、小さな寝台。
銀色の髪が、わずかに見えた。
ゴーストは銃をゆっくり下ろす。
「子供?」
白い布。
銀色の髪。
尖った耳。
少女だ。まだ幼い。だが、眠る顔立ちはどこか大人びて見えた。
「待て。こんな場所に子供だと? 罠かもしれない」
ジャックは銃を構える。
ゴーストは、ジャックの銃口に手を添えて、静かに下げた。
「ゴースト? なんのつもりだ」
「銃を向けるな。子供だ」
その時、少女のまぶたが震えた。
銀色の髪の奥で、薄紫の瞳がゆっくりと開く。
少女はゴーストを見た。




