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第一話 血塗られたマリーゴールド


 昼下がりの港湾地区は、潮のベタつく匂い、熱された鉄錆の匂いが立ち込めていた。

  

 波板の剥がれた廃倉庫。



 かつては貨物の積み下ろしに使われていたのだろう。

 壁には古い銃痕が残り、そこから日差しが差し込んでいる。


 死んでいるような建物。


 だが、死んだ建物ではなかった。


 正面には見張りが二人。南側には土嚢。裏手には即席のアンテナと発電機。

 車庫の扉は半分だけ開き、その奥に軍用車両とバイクらしき影が見える。



 死んだように静かな外観とは裏腹に、そこは間違いなくテロリストたちの生きた巣窟だった。



 米軍の正規部隊が外周を固め、ジャックたち民間軍事会社――PMCの傭兵チームは、倉庫内部の制圧を請け負っていた。



 防波堤の陰で、日本人で本名不明、みんなからゴーストと呼ばれる彼はアサルトライフル(H&K416)の銃床を肩に寄せたまま、双眼鏡を覗いていた。

 呼吸は浅い。

 だが乱れてはいない。



 レンズの向こうで、男たちが動いている。

 銃を持つ者、煙草を吸う者、木箱を運ぶ者、

 そのどれも、まだ撃つタイミングではなかった。


ゴーストの無線が鳴った。


「こちらジャック。役割分担を確認する」


 リーダーのジャック・ハーラン・レイノルズ。

 その声は、落ち着いて冷たく機能的だった。


「俺は正面を押さえる。ウィル、右側カバー。ゲイルは左。ゴースト、お前は後方支援だ。単独で動くな」


 少し間を置いて、低い笑いが混じった。


「聞いたか、Mr.サイレントゴースト(無口な幽霊さん)?」


 右側のコンテナ陰で、ウィリアム・“ウィル”・カーターが白い歯を見せて笑った。

 

 黒い肌に、昼の陽光が汗の膜を作っている。右手には拳銃。左手は、瓦礫の縁を軽く叩いていた。

 危険が近いほど笑い方が軽くなる男だ。


「今日は幽霊みたいに消えるのは禁止だとよ。ちゃんと俺たちの目の届くところにいろよ〜ジャパニーズ?」


 ゴーストは答えなかった。無線は開いている。聞こえている。返事をする必要はない。


「相変わらず喋らねぇ奴だな」


「任務に集中してくださいよ」


 割り込んで無線が入る。


 少し離れた高所で、ゲイル・アレクサンダー・ハリントンがバリスティックグラスを指で押し上げる。

 傍らにはライフル(ホーワM1500)。銃口は倉庫の左を捉えている。

 


「倉庫奥に武器庫を確認。弾薬箱、予備部品、火薬類と思われる木箱が複数あります。右側には車庫。車両が三台、バイクが一台、燃料缶も見えます」


 ゲイルの声は、銃声の前の静けさにもよく通った。


「撃ち合いになれば誘爆の危険があります。慎重にお願いします」


「聞いたな」


 ジャックが短く返す。


「だから待つ。支援が整うまで正面制圧はしない」


 そこへ、別の無線が割り込んだ。米軍側の通信だ。


「こちらブラボー2。正面の見張りを確認。いつでも行ける」


「まだだ」


 ジャックは即答した。


「レイノルズ、お前には聞いていない。HQに聞いたんだ」


「そうか。すまないな、ダニエル」


 ジャックの声が、ほんのわずかに硬くなった。

 無線の向こうで、男が鼻で笑う。


「お前は相変わらずだな。現場全部を自分の家族みたいに抱え込む癖は、まだ治っていないのか?」


「昔話してる場合じゃない。民間人の有無が確認できていない。ゴースト、内部はどうだ」


 ゴーストは双眼鏡の倍率を上げた。


 割れた窓。

 積まれた木箱。

 銃を持つ男の足元に、血のついた布が落ちている。


 さらに奥には影になった区画に、鉄格子が見えた。ゴーストの指が止まる。


 檻だった。中に、小さな身体がいくつも横たわっている。


 子供だ。一人ではない。三人。四人ーーもっといる。


 腕には注射痕。首には番号札。服は汚れ、肌は白く乾いていた。


 その中の一人が何やら叫んで、腕を掴んでるテロリストの一人に声にならない声で抵抗している。


 苛立った男に殴られて子供は倒れ込む。

 

 男はしゃがみ込んで、手には濁った注射器を握っていた。

 子供の腕を掴み、その腕に打とうとしていた。


 ゴーストの指が双眼鏡を握り込む。革手袋が小さく軋んだ。


「ゴースト? 報告しろ」


 ジャックの声が低くなる。


 ゴーストは答えない。


 レンズの向こうで、子供の唇がわずかに動いた。

 助けて、と言ったわけではない。声など届くはずがない。


 それでも、ゴーストには見えた。ゴーストは双眼鏡を下ろした。


「ゴースト。動くなよ」


 ジャックの声が鋭くなる。


「動くな。支援を待て。ゴースト!」


 ゴーストは無線を切らなかった。

 命令は聞こえている。警告も聞こえている。ジャックが怒ることも分かっている。作戦を危険に晒すことも。

 

 それでも、足はすでに倉庫の裏手へ向いていた。


「ん? おい嘘だろ。あいつ動いてるぞ」


 ウィルの声から笑いが消える。


 数秒の沈黙が落ちた。その短い沈黙の中に、ジャックの怒りがあった。迷いもあった。しかしすぐに戦術を切り替える。


「全員、予定変更」


 ジャックが言った。


「ゴーストが中に入る。俺たちは奴を死なせない。ウィル、右を詰めろ。ゲイル、左から窓を見ろ。米軍側にも伝えろ。突入を早める」


「了解」


 ゲイルが即座に返す。


「マジかよ…幽霊のくせに、目立つ入り方しやがって。了解」


「ただし、武器庫付近での発砲は危険です。奥側は特に――」


 その言葉の途中で、ゴーストは倉庫裏の非常口に膝をついた。


 錆びた扉。だが蝶番には油が差されている。

使われている扉だ。


 ゴーストは左手でカランビットを抜いた。


 表情は変わらない。呼吸も乱れない。ただ、目だけが冷えていた。


「ゴースト」


 ジャックの声が耳の奥で響く。


「説教は後だ」


 非常口が、音もなく開いた。


「全員、生きて出るぞ」


 ゴーストは暗い倉庫の中へ消えた。


ーーー



 倉庫の中は、外よりも暗かった。


 油の匂い。鉄の匂い。薬品の甘い臭気。

 

 そして、血の匂い。


 ゴーストは壁際に身を滑らせるように進んだ。


 最初の男は、非常口が開いたことに気づかず、煙草をくわえたまま、木箱の上に置いたアサルトライフルへ手を伸ばす。


 その手が、届く前にゴーストの左手が男の口を塞ぎ、右手のカランビットが、喉を裂く。


 声は出なかった。


 男の身体が崩れる前に、ゴーストはそれを支え、床へ静かに横たえる。

 視線はもう、次の敵を捉えていた。


 檻の前にいた男が、少女の腕に注射器を押し当てようとしている。


 ゴーストはアサルトライフルを構えた。


 短い銃声。


 男の肩が弾け、注射器が床に落ちる。

 少女が悲鳴を上げるより早く、ゴーストは距離を詰めた。


 倒れた男が腰の拳銃に手を伸ばす。その手首を踏み砕く。


 骨の折れる音がした。だが、ゴーストの表情は変わらない。

 男の頭を撃ち抜いた。


 檻の中の子供たちが、怯えた目で彼を見ていた。


 ゴーストは一瞬だけ、その視線を受け止める。


「伏せてろ」


 それだけ言った。その時、正面の扉が吹き飛んだ。


「突入!」


 ジャックの声と同時に、外の白い陽光が倉庫内へ流れ込む。


 ウィルが右側から入り、土嚢の陰にいた敵へ連射した。


「よぉクズども! オネンネの時間だ!」


 軽口はいつも通りだった。

 だが、マガジンを替える指先が、ほんのわずかに震えている。


 ゲイルの声が無線に響いた。


「左奥に二名。二階足場に一名。ゴーストさん、檻の右上です」


 ゴーストは振り向かずに銃口を上げた。


 鉄骨の足場から狙っていた男が、頭を撃ち抜かれて落ちる。

 吊るされた裸電球が揺れ、影が大きく歪んだ。


「子供を助ける!」


 ジャックが怒鳴る。


 その声は低い。怒っている。


 しかし戦場では怒りより先に命令が出る。


「ウィル、右を押さえろ! ゲイル、武器庫側を見張れ!」


「了解!」


「了解です」


 ゴーストは檻の鍵を撃ち壊し、扉を開けた。


 子供たちは動けなかった。

 逃げる体力すら残っていない。


 一番近くにいた少女が、震える手を伸ばす。

 ゴーストはその手を見た。


 小さい。軽い。壊れそうな手だった。


 その時、倉庫の奥で銃声が跳ねた。


 まだ終わっていなかった。


 積まれた木箱の影から、テロリストの残党が一斉に姿を現す。


 死体の下に隠れていた者。

 武器庫の奥に隠れていた者。

 車庫側の扉の陰に潜んでいた者。


 そして、その中に女がいた。


 片手でライフルを構え、もう片方の手で、少年とも青年ともつかない若い男の腕を掴んでいる。


 若い男は銃を持っていた。その男の銃口は震えていた。


 女が何か叫ぶ。言葉は聞き取れない。


 次の瞬間、倉庫の奥から機関銃の掃射が走った。


 弾丸が木箱を裂き、火花が散る。

 ウィルが舌打ちして身を伏せた。


「今までの中で最悪なパーティだな!」


 ジャックが無線を掴む。


「HQ、こちらレイノルズ! 子供を確認! 倉庫内で交戦中! 支援を急げ、ただし武器庫側は撃つな!」


 返ってきたのは、ノイズ混じりの声だった。


『こちらブラボー2、外周で敵車両が動いた! 裏手だ!』


 ゲイルが叫ぶ。


「車庫側、熱源増加。違います、これは――」


 倉庫の壁が震えた。


 裏手から、回転翼の重い音が近づいてくる。


 半開きだった車庫の扉が内側から押し開かれ、砂埃が舞った。車庫というより、小型の格納庫に近い広さだった。

 その向こうで、テロリスト側の武装ヘリがエンジンを唸らせていた。


 古い機体だった。

 腹の下には機銃。側面には無理やり取り付けられたロケット弾のポッド。


 整備途中だったはずのそれが、今まさに浮き上がろうとしている。


「オーマイゴッド」


 ウィルが乾いた声で笑った。


「こいつら、倉庫にヘリまで飼ってやがる」


 外から米兵の怒号が響く。


『敵ヘリ起動! 敵ヘリ起動!』


『上空支援、入れ! 今すぐだ!』


 すぐに、空が唸った。


 港湾地区の上空を旋回していた米軍戦闘機が、低く降りてくる。

 白い昼の空に、銀色の腹が一瞬だけ見えた。


 爆音。圧力。倉庫の薄い壁が震え、天井から錆びた粉が降る。


 ジャックが怒鳴った。


「そっちには撃つなと言っただろうが!」


 返事は、爆発だった。


 車庫の外側が吹き飛ぶ。


 熱風が倉庫内を舐め、木箱が崩れ、燃料缶が転がった。

 火花が散る。炎が床を走る。


 だが、武器庫への直撃ではなかった。それだけが、唯一の幸運だった。


 支援攻撃は敵ヘリの離陸を止めるためのものだった。

 しかし角度が悪かった。

 爆風は倉庫の一部を抉り、正面の退路を瓦礫で塞いだ。


「正面出口、崩落!」


 ゲイルの声が響く。


「車庫側も炎上しています。このままでは閉じ込められます!」


「あのファッキンボムふざけんな! ちゃんと援護しやがれ!」


 ウィルは射撃しながら悪態をつく。


 ジャックは一瞬だけ歯を食いしばった。


「全員、子供を連れて後退! 使える出口を探せ!」


 ゲイルがカバーをして、ジャックが一人を担ぎ、ウィルは舌打ちしながらも、檻の中へ腕を伸ばす。


 ゴーストは檻の中へ入り、抱き上げようと手を伸ばす。少女が、震える手でそれを掴もうとする。


 その瞬間、近くの木箱の陰に隠れていたテロリストの銃口が光った。

 

 ゴーストは反射で体を入れた。

 肩に熱が走る。骨の奥まで響く衝撃。

 

 ほぼ同時に、ゲイルの銃声が鳴った。

 木箱の陰のテロリストが頭を撃ち抜かれ、崩れ落ちる。


 それでも、弾道は止まりきらなかった。

 少女の体から、力が抜けた。ゴーストの指を掴もうとしていた小さな手が床に落ち、赤が広がる。


 ゴーストの呼吸が、一瞬だけ止まる。


「ゴースト!」


 ジャックの声が飛んだ。


「止まるな! まだ生きてる子がいる!」


 ゴーストは答えなかった。

 ただ、少女を床へ横たえた。その下で、静かに血が広がっていく。


 その手が、ほんの少しだけ震えていた。


 ーーお兄ちゃん


 声が、頭の奥で弾けた。


 ゴーストは奥歯を噛んだ。

 呼吸を一つ、無理やり意識を戻す。



 しっかりしろ。まだ生きてる子供たちがいる。助けないと。まだ間に合う。



 奥にいる子供たちの所へ行こうとした時、少女から流れ出た血で足を滑らせる。


 膝が床についた。支えようと伸ばした手のすぐ先に、黄色が見えた。



 花だった。


 マリーゴールド。

 血溜まりの中に、ありえないほど鮮やかな黄色が浮いていた。


 ゴーストの動きが止まった。


 少女が持っていたのか。

 違う。


 知っている。

 この花を、ゴーストは知っている。


 そこにあるはずがない。

 この戦場に。

 この倉庫に。

 この血の中に。


「……なぜ、これが」


 声は、自分でも分からないほど低かった。


 ゴーストの視界が、血に濡れた花へ吸い寄せられる。


 小さな手。黄色い花。照れくさそうな声。


 ――これ、お兄ちゃんに。


 銃声。


 血。

 倒れた小さな身体。

 床に落ちた花びら。


 ジャックが叫ぶ。


「ゴースト! 何をしている! 動け!」


 ゴーストは立ち上がろうとした。

 だが、床についた手が血で滑り、革手袋の指先が、血塗れのマリーゴールドに触れた。


 その時、世界が白くなった。


 音のすべてが、包まれたように遠ざかる。


 次に、重力が消えた。すべての物が浮かぶ。


 床が足元から抜ける。

 瓦礫が浮く。

 弾薬箱が宙を漂う。

 血で濡れたマリーゴールドも浮かぶ。


 ジャックがこちらへ手を伸ばしていた。


 ウィルが何か叫んでいる。


 ゲイルのバリスティックグラスに、白い光だけが映っていた。


 檻の子供たちも。米兵たちも。テロリストたちも。


 車庫の外で離陸しかけていた武装ヘリも。


 上空から離脱しようとしていた米軍戦闘機も。


 港湾地区の一角を包むように広がった白い光に、まとめて飲み込まれていく。


 ヘリのローターが白の中で止まったように見えた。

 戦闘機の機体が、空に縫い止められたように光の中へ沈んだ。


 ゴーストは浮かぶマリーゴールドを反射的に掴む。手の中で、マリーゴールドが熱を持つ。


 熱い。

 だが、燃えているのではない。


 白が、すべてを塗り潰した。




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