【7】扉はきちんと閉めましょう
量子論ムズカチイでつ………。
「これはもう少し手を入れた方が良いだろう。唯くんが気付いてくれなければ、私たちはこのまま帰るところだったからね。いずれ何かが世界線を越えてきた可能性が高い。」
改めて唯から詳しく状況を聞き取った両親は、難しい顔をして何やら話し合った後にそう告げた。何でも、扉自体の作りは(両親から見れば)然程難しいものではないらしく、構造というかギミックは案外単純なんだとか(あくまで両親基準)。そこにこちらの情報を感知して扉の向こう側に送る装置と、扉を開ける時にこちらへ情報を送る装置が加わると…。
「扉の安全装置として働くはずの量子的デコヒーレンスが働きにくくなるみたいなんだ。」
「扉が閉まってる時はどっちからも行き来できないのを、扉が開いてる時だけ世界線同士を高確率で同調させることで行き来してるのね。走ってる車同士で乗り移ろうとするなら、速さを揃えた方が成功しやすいでしょ?あんな感じ。で、その閉まってる時の世界同士の独立性が、お知らせ機能のせいで駄目になるみたいなのよね〜。あれって、マーカーと扉の間で扉が開いてなくても情報が行き来する状態になってるの。さっきの車の例えで言えばロープかなんかを2台の間に繋いでるようなもんなのよね。」
「時々、他の世界に侵食しようとする存在の曖昧な意志体が多い世界線があるんだが、今回の改造で、どうもそういう存在を引き寄せてしまったようだな。存在確定には情報のやり取りが必然だから、そういう情報の動きを鋭敏に嗅ぎ取ってるのだろうな。」
「つまり、ロープがぶら下がってるのを辿ってこっちに染みだそうとしてたみたい。」
半分以上ナンノコッチャだが、改造したせいで変なのが来やすいようになってしまったことは理解できた。
と、思う………。
「唯、どう?」
「どうって?」
「今のでわかった?」
「変なのが改造してから来るようになったってだけ。」
「ナカーマ」
お互いにチベットスナギツネみたいな顔でハイタッチすると、両親に向き直った。
「で?どうにか出来る方法はあるの?」
と、両親が難しい顔で額を押さえている。
「あー、ないんだー………。」
「座標指定マーカーが扉と同じ世界線にある間は問題ないだろう。」
「世界線を跨いじゃうとだめなのよね〜。」
「つーか跨がないで?!」
突っ込んではみたものの、この両親がこの程度で自重などするはずもなく。「ダメだコリャ」と往年のギャグが頭をよぎる。
と、黙り込んでいた唯が声を上げた。
「あの」
「どうしたの、唯くん?」
「さっき、おじさんたちが帰ってきた時に、お二人の、なんというか、オーラみたいなものが黒いもやのかけらを消したように見えて…。」
「オーラ?そんなの私たちにあるの?」
「私たち自身に触れて、ではなく?周りに近寄ったら消えた、と?」
「その前段階でメロディーで固まって扉に押し潰されてましたけど…。」
「メロディーと扉………。私たち実体ではなくその周り………?」
さっき説明してたのになー…?
「すまんね、さっき聞いた時には私たち自体に触れたものかと思い込んでいたんだが、違うんだね?」
「え、ええ。おじさんたちには触れていなかったように思います。」
「と、なるとだ。凪ちゃん、もしかしたら…!」
「え、ごめん、ちょっとついていけてない。」
「あれはもしかすると、実体として存在するものには触れられないのかもしれない!彼らはその存在の曖昧さゆえに複数の次元、世界線に同時に存在することで薄く広く自己を複数の世界に展開出来るんだろう。それが実体に触れることで、曖昧な位相を保っていた存在が強制的に一点に収束する。だが、その先では存在圧、つまり局所的な実在密度の圧縮波が閾値を超えて、それが反作用として周囲の時空連続体に応力を発生させる。結果、周囲のカイラル対称性が一時的に崩壊して…」
「ぱーん!ってやつね。なるほどー!」
何がなるほどなのか。日本語で説明をお願いしたい。
「まぁ、私たちのように透けたりなんだりしない物質には触れられない運命ってことだわね。そんなに心配しなくても大丈夫だったってことかな?」
「いや、そうとも限らない。確率論的にいえば絶対にない、という事象はないんだ。何かしらの対策はやはり必要だろうね。」
「世界線を跨がないって選択肢はないんですかー」
「跨ごうと思って跨いでるわけじゃないからねぇ。こればっかりは私たちでもどうにもならないわね。」
「確率論的に跨がないような行動を心がけてくださいー」
「心がけてはいるんだよ?結果が伴わなかっただけで。」
「ダメじゃん!!」
この程度のツッコミで両親の暴走が止まるわけもなく。
「それと、扉の隙間から染み出してきてたのに、開いたら押し潰されたというのも興味深いわね。」
「あれ?実体に触れられないなら何で染み出してこれたの?」
「開けるまで、この扉はこの世界での存在が確立してないからだね。」
「何それ。」
「座標指定マーカーと扉は同期、つまりエンタングルメントしてるんだが、世界線同士にワームホールを繋いで初めてこの世界線に固定されるんだよ。そうやって実体化させることで扉が使えるようになるんだ。この理論を実用化させるまで苦労したなぁ…。」
「要するに、例のもやとこの扉は開けるまでは似たようなもんだってことね。そうなると…雪雄さん、マーカーと扉を繋ぎっぱなしじゃなくて起動する毎に繋げる仕組みにしたらどうかな?開けないでいると通り抜けられちゃうなら、繋がらないようにしておけば…。」
「そうなると、帰ろうとした時に扉と接続するまでタイムラグが生じてしまう。エンタングルメントを解除してしまったら、再びもつれさせるのは難しいんだよ。…いや、待てよ?もつれを逆にもっと強固にしたら…?」
「それじゃ余計に色んなものが寄って来そうだけど?」
「逆だ!もつれを更に強化することでその間をお互いしか辿れなくするんだよ!もつれていない対象から観測された時点で、そこからはもつれの双方向性が固定化されて相手を辿る経路が消失するはずだ。」
「つまり?」
「ロープを太くすると、触った途端に消えるようになるって感じかな?この辺は古典物理学の感覚と相容れないだろうから、『そういうもん』ってだけ思ってれば良いわよ。」
「何でかあさんはとうさんのアレを理解できてるのよ…?」
「これでも技術者として年季積んでますから!」
ドヤァ!とばかりに胸を張るかあさん。とうさんは扉を見つめて何やらブツブツ言い始めた。扉の改造案が高速で頭の中を駆け巡り始めたんだろう。
こうなると、とうさんはしばらく帰ってこない。どうしたもんかと唯と目を合わせると、肩を竦めて苦笑した。
「取り敢えずチーズケーキ食べない?」
「食べる。」
「取り分減っちゃうけど。」
「あげたくないなぁ…。」
「そんな?!呉羽ちゃんのチーズケーキを目前にして食べずにいられる人類がどんだけ存在すると思ってんの?!」
カッと目を見開いて必死に異議を唱えるかあさん。まぁ、気持ちは分かる。絶品だもんね。
渋々譲歩案を提示した。
「かあさん秘蔵のフォートナム&メイソン、春季限定で手を打とうじゃないの。」
「チーズケーキとタイマン張れるのは確かにその辺よね…良いよ、その条件呑みましょう。じゃ、淹れてくるわ。ケーキの準備よろしくね。」
いそいそとお湯を沸かしに行くのを見送りながら、ケーキを切り分けた。
まだブツブツ言っているとうさんを横目に美味しいチーズケーキと紅茶を味わいながら、このあとの騒ぎを予想してため息をつくのであった。




