【6】不穏な気配はポン酢の香りで
ポン酢は偉大なのです。
改造した扉から両親が旅立って、一ヶ月。
大学の授業にバイトに、あとは一応家事やら何やらとそれなりに忙しく過ごしていたが、気が付いたら何故か唯がうちに来る頻度が増えていた。
はじめは呉羽おばさんのおかずのお裾分けだったりスイーツの差し入れだったりしたのが、段々と
「一緒に録画した映画見ようよ」
「この教科のここがいまいちわかんないから教えてくれる?」
「気になってた画集買ったんだ!一緒に見てみない?」
などと、「いったいどうした?」という雰囲気でうちに寄っていくようになった。
まだそれほどでもない頻度のうちは気にもしていなかったが、最近は2日も空けずに寄っていく。何がどうしたのだか、聞きたい気もするのだが聞かなくてもいいのではないか、と思い込みたい気もする。
何故か?
唯には小さい頃から人ならぬものが見えているらしい。小学生を越えた辺りから頻度は減ったようだが、今でも時々思わぬタイミングで驚いたりしているので、見えなくなったわけではないようだ。
つまり。もしかしたら唯はうちに何かしらのよろしくないものが見え始めたので警戒して来始めたのではないか?という(あまり嬉しくない)推論が成り立ってしまうからだ。
今日も今日とて呉羽おばさんのおやつ(本日はオレンジソースのチーズケーキ、大当たり)をぶら下げて来ている。コヤツ、策士である。呉羽おばさんのチーズケーキを前に門前払いなど私が出来るわけないのを重々ご承知なのだから。
「今日のケーキは新しいレシピで作ったんだって。後で感想聞かせて欲しいって母さんが言ってた。」
「多分レポート用紙10枚くらいになるけど?」
「母さん的には喜ばしいんじゃないかな…?」
などと軽口をはたきながら居間に入ると、唯が急に立ち止まった。
「どした?」
「晴ちゃん、ここで洗濯物干してたりした?」
「いや?今日は洗濯してないし、干すにしたって2階のベランダに干すよ。」
「少し、湿っぽい気がする。何でだろ…?」
「え?そう?私は何ともないけど…」
唯は、居間の入口から中をじっくりと見回しながら目を眇めている。と、例の扉の辺りで顔をしかめた。
「晴ちゃん。あの扉の隙間から何かがしみ出してきてる。」
「へ?何かって?」
「黒っぽいモヤみたいな、煙みたいなのがじわじわと出てきて、扉を覆うくらいまで広がってる。」
「………何も見えん………。」
「昨日まではこんなに勢いよく出て来てなかったのに…!」
…やっぱりあの扉絡みで日参してたんかい!
それにしても、やっぱり私には何も見えない。だから危機感がいまいち実感できないわけだが、唯はそういう虚仮威しやつまらない嘘をつくヤツじゃないのも良く知っている。
むしろ、ただ見えるだけの無害なものなら何も言わずにスルーしているくらいだ。
その唯が、ここまで警戒して私にも伝えてくるということは…!
ヤバいヤツなんじゃないか?
ようやくここまで考えが辿り着いて、足元からスーッと血の気が引いた。
「あれ、かなりマズイヤツかも。昨日までよりも色が濃い。どうしたら…!」
と、扉の中央に改造の際に追加された飾りから、とある有名な給湯器ソングが流れ始めた。
「〜♪ まもなく、扉が開きます。」
バターーーーン!
「だから、ポン酢はこっちで買っていかないとダメって言ってたでしょー!そんなあちこちで買えたら苦労しないんだってば。」
「あんな万能調味料、世界中にあって当然じゃないか!全く先進国だからってポン酢も用意できないなんて…」
これまでのいかにもヤバそうな雰囲気が雲散霧消し、我が家ならではのやかましさとともに両親が現れた。
「………おかえり………ポン酢のストックならシンクの下に3本あったよ………。」
「ただいま晴ちゃん!流石、私たちの娘だな!」
「あら、唯くんも来てたのね、いらっしゃ~い。」
小躍りしながら台所へ向かう両親を呆然と見送り、唯が呟いた。
「………今のでさっきの黒いモヤ、全部消えちゃった………。」
「へ」
「正確に見たままを言うね。扉の音楽が流れた途端、モヤが固まったんだ。アナウンスが流れて扉が開いた勢いでぶちぶち千切られたように細かくなって、扉が壁にぶつかった拍子に潰れた。残った細かいのは、おじさんとおばさんの…なんというか…オーラみたいな?触れた途端に消えてった…。」
「うちの親…蚊取り線香かなんかなの…?」
「ブフッ!あ、あと、湿気も全部持って行かれたっぽい。」
「蚊取り線香がどうしたのー?」
唯が吹き出したところでかあさんが戻ってきた。
これまであった事をかいつまんで報告していると、とうさんも戻ってきた。
「ほぉ…それは興味深い現象だね。普通デコヒーレンスによって次元をまたいだ干渉というのは不可能とされているんだが、それを一時的に可能とするデバイスがこの扉なんだ。その機能と帰還のお知らせ機能か感知センサーのどっちかが変に共鳴したせいで」
「ごめん、日本語でお願い。」
「要するに、こないだ改造したせいで、別の次元だか世界線だかの一部分がこっちに来られるようになってたみたい。やっぱりカノンより人形の夢と目覚めの方が」
「かあさんもストップ!何で有名なお風呂が沸いた曲の名前が出てくるの!」
「中古で安かったのよね、お知らせ機能の付いた音声デバイス。」
「何をどうしたらそういう発想が出てくるの…!」
「スーパーの呼び込みくんとかって高いんだもの、案外。」
「それはそれでイヤ。」
そんな私たち親子のやり取りを横目に、扉に向かって「モヤよ、さらば…」と唯が呟いていた。




