【5】弱虫な僕とヒーローなあの子
今回ちょっと重い。色々と。
白瀬 晴、隣に住んでる生まれた頃からのご近所さんで幼馴染。
白瀬家の一人娘で、ちょっとクールに見えるけど、本当はとても優しくて懐が広くてオトコマエな女の子。一人っ子にありがちなワガママさや独りよがりなところはちっともない。むしろ正義漢で正しいことはちゃんと正しいって主張して、時々貧乏くじも引いちゃうくせにその姿勢が揺るがない。
本当に幼い頃から一緒に過ごしてきたせいで、僕は何度となく晴ちゃんに助けられてきた。何せ、僕と来たらてんで意気地のない泣き虫弱虫だったから。
物心ついた頃から、僕の周りには濃淡様々なモヤのようなものが見えていた。最初は見える度に両親に話していたのだが、まったく信じるどころか取り合ってもらえなかった。
「何か見えた気がしたの?大丈夫、気のせいよ〜、何もないもの!」
「そんなこと言っても、おやつは増やせないぞ?晩ご飯が食べられなくなるからな。まったく、知恵が回るようになったな、唯。」
そんな事が繰り返されるうちに、僕は見えても誰にも言わなくなっていった。信じてもらうどころか、両親以外には嘘つき呼ばわりまでされることが分かったから。僕だけに良くわからないものが見えるのは正直怖かった。今でもちょっとは怖い。でも、嘘つきと言われるなら黙っていた方がまだマシだった。
そんな僕を嘘つき呼ばわりせず、見えなくても信じて寄り添ってくれたのはたった一人、晴ちゃんだけだった。
「あたしには見えないけど、唯が怖いのはホントなんでしょ?だったら唯は嘘つきなんかじゃないよ。」
そう言って繋いでくれた手の温かさに、僕は思わず涙を流してしまった。
「え、ごめん!何か変なこといっちゃったかな?!ごめん、泣かないで!」
「ち、ちが…っ、僕の、こと、嘘つきじゃないって…!う、うれしく、て、は、晴ちゃんだけが、言ってくれた、から…!」
「…!…唯、悲しかったんだね…。大丈夫、あたしは絶対に唯のこと嘘つきって言わない。だから、唯もあたしには嘘つかないでね。」
言葉が出てこなくて、ただひたすら頷くしか出来なかった僕を撫でながら晴ちゃんは言った。
「あたしは知ってるから。唯は嘘つきなんかじゃない。だからこれからも一緒に遊ぼう。」
それからというもの、僕はいつも晴ちゃんと行動するようになった。晴ちゃんといると何故かあのモヤが少なく感じられたし、周りのちょっかいをかけてくる子供たちも晴ちゃんが遠ざけてくれた。
小学校でもその立ち位置はあまり変わらなかった。ただ、晴ちゃんに飛び蹴り食らって泣きべそかく癖に猿知恵の回る小物が、晴ちゃんのいない隙を狙って嫌味を言ってくることは増えたけど。
「オマエ、オンナなんかに庇われてやんのな!そんでも股間にちゃんと生えてんのか?ホントはオンナなんじゃね?」
今思えばくっだらない煽りだけど、晴ちゃんにおんぶに抱っこな自覚はあったので当時はそれなりに落ち込んだ。
でも、それで終わったら本当に僕は晴ちゃんに頼りっぱなしのしょうもない男になってしまう。そんなのはイヤだった。
何より、晴ちゃんを僕にかこつけて一緒くたに貶めたあいつらに負けたくない。晴ちゃんの隣にいても誰にも文句を言わせない、そんな自分になる。そう決めた僕は出来ることから始めることにした。
まず、父に頼んで体を鍛えるという名目で何かしらの武術を身に付けたい、と頼み込んだ。当然どこかの道場なり習い事に通うのかと思いきや…
「父さん、合気道伍段なんだ。唯に基本を教えるくらいなら出来るぞ。」
思わず父を二度見したのは許して欲しい。正直、どこにでもいる公務員、中肉中背のおじさんにしか見えなかったから。
そんな風に父と始めた合気道だが、何故か途中からお隣さんの凪おばさんが加わるようになった。
「ほらほら唯くん!そんなんじゃー足元狙われちゃうよ!」
「おっと、唯、そこは重心移動で躱すんだよ。じゃないと簡単に体を崩されるだろ?」
「おばさんもうちょっと手加減してくださっ!?うわっ!」
フルコン空手にマーシャルアーツ、古武術が混ざってストリートで進化しました的な動きを繰り出す凪おばさん。何の武術か尋ねても豪快に笑いながら誤魔化されてしまう。雪雄おじさんに聞こうとしても
「心意気は大変によろしいがいまだ葛藤から抜け出せずにいるので答えるには今しばらく猶予をいただきたい。」
と良くわからない答えしかもらえなかった。
そしてもうふたつ。
ひとつめは、僕だけに見えていたあのモヤ。小学生の高学年になる頃には、見えることが少なくなり、またあのモヤは見えていてもほとんど何もしてこない事が段々わかってきたので、次第に意識することが少なくなっていた。それでも急に見えたりすると驚いてしまうけど、以前のような怖ろしさは感じなくなっていった。
ふたつめ、これだけは自分でどうにかしなきゃいけなかった。それは晴ちゃんの次に大切で大好きな「絵」だった。白い紙だけでなくチラシやプリントの裏にまで描き散らし、紙がなければ地面や黒板、コンクリートの壁。晴ちゃんと遊ぶ以外の時間はかなり描いていたと思う。
将来、自分の身を立てるのに「絵」を選択するのは僕にとっては自然なことだった。
が。
僕の周りには、いわゆる「画伯」しかいなかったのだ。すっごく好意的に解釈するなら、キュビズムの本流からダリやピカソ、ルソーにフィーチャーした前衛芸術…???というような。
そんなわけで、ネットを参考に描いたり足繁く美術館や博物館に通ったりするうちに、僕たちは中学生になっていた。
中学校では、僕と晴ちゃんの立場は徐々に逆転していった。理由は僕の見た目と晴ちゃんへの嫉妬だ。
非常に不本意だが、僕の見た目は可愛い系イケメンらしい。普通、可愛いって言われて喜ぶ男はいないんだけど。
そんな僕はモテていたらしい。実際女子の中でもクラスカーストの上位にいるような子たちは積極的に声をかけてきたし、意味もなく周りをうろつくことが多かった。ウザ。
逆に遠巻きに見ていたような女子たちは、自分からは声をかけてくることも少ない代わりに、会話すれば程よい距離感で好感の持てる子が多かった。そういう子たちは晴ちゃんとも仲が良くて、しばしば連れ立って歩く姿も見たものだった。
そんな中、僕の周りをうろつく連中が不穏な動きをし始めた。晴ちゃんをターゲットにした、いわゆる「イジメ」だった。あの頃も今も、晴ちゃんは大したことなかったように笑って話してるけど、僕は知ってる。
大切にしていたキーホルダーを壊されて悔しそうに握りしめていたこと。クラスのグループ活動でわざと仲のいい友人と同じグループにならないよう画策されたこと。僕と話している時にわざわざ呼び出して引き離されたこと、その後に囲まれて罵詈雑言を浴びせられていたこと。
他にも色々されていたようで、それを晴ちゃんと仲の良かった子達から聞いた時は腸が煮えくり返るってこういうことか、ともう一人の自分が妙に冷静に分析してたくらいにムカついた。
我慢できず、その子たちに協力してもらってヤツらのやらかし現場に乗り込んで直接口撃出来た時には大変スッキリしたものだった。
後日その子たちに、協力してくれた理由を聞いた。
「晴ちゃんってクールなのに優しくて大人で背も高くてすっごくカッコいいじゃないですか!私たち晴ちゃんのファンなんです!もちろん唯くんも可愛くて素敵だし、二人並んでるのがホントもう尊くて…!だから二人の邪魔するあの人たち、マジでウザかったんですよね!私たちの推しになんてことしやがる!って!」
………ちょっとだけ、聞いたのを後悔したのは内緒だ。
三年はあっという間で、先のことを考えるには短すぎた。僕が僕らしく晴ちゃんの隣にいるために選んだ「絵」。その選択肢の中でどうしても考えなければいけない事があった。
僕達の県には美術科のある高校は少ない。まして芸術総合というそちらに特化した高校なんて、隣の県にしかなかった。東京に出るという選択肢もないではなかったが、僕が耐えられないと思った。
何日も何週間も何ヶ月も悩んだ。父と母にも相談はした。ちょっとばかりのゴタゴタはあったものの、最終的に「唯の思う通りにすればいい」と言われて。
悩んで悩んで、でも晴ちゃんの隣に立つなら、って考えて、決めた。
「晴ちゃん、僕、県外の高校に行こうと思ってるんだ。」
誰もいなくなった教室で、震えながら切り出した。
晴ちゃんは、びっくりしたような、それをどうにか表に出さずに耐えようとしたような、それでいて不安そうな表情で言った。
「どこに行くつもりなの?県内にはない分野?」
「ちょっと離れてるんだけど隣の県の美術科がある芸術総合高校に行きたくて…。」
「美術科…。そっか、昔から絵を描くの好きだったし、美術部だもんね。でも、県内にだってあるじゃない?おじさんたちはなんて?」
「父さんたちは何も。行きたいところなら応援してくれるとは言ってくれてる。」
「そう…。そしたら私も応援しないとだね。ちょっと淋しくなるけどさ。」
泣きそうなのに、それをこらえて笑顔になった晴ちゃんを見て、思わず呟いた。
「ごめん、晴ちゃん」
すると、泣きそうなのに必死に袖をつかんで謝るなって言うんだ。そんなの…。
「だって…晴ちゃん、泣きそうな顔してる。」
晴ちゃんを泣かせた自分が情けなくて、悔しくて、なのに晴ちゃんは僕のことばかり心配して。
「唯こそ、泣きそうだよ?唯も淋しいんだろうけどここは『頑張るから応援してくれ』って言わなきゃ!」
泣きそうな笑顔で僕の背中をはたいた。
「私も頑張る。お互いに頑張りあって、受かったら呉羽おばさんのご飯でパーティーしようよ!そんで………高校卒業したら、もう一回パーティー、しよ…?」
涙声になって言葉に詰まってしまった晴ちゃんに、僕は抱きついて言った。
「もちろんだよ。約束する。絶対に。」
誰もいない教室で、僕と晴ちゃんは涙を流しながら、それでもお互いの気持ちを確信していた。
三年後、必ずまた今までのように隣に立つって。
高校での生活は、正直あんまり記憶に残っていない。食事が美味しくないのと、ひたすら描いて学んで描き続けたのと、豊富な画材や資料、方法論を試してきたのをぼんやり覚えてるくらい。
晴ちゃんとのスマホや電話でのやり取り、長期休暇での帰省で会う時間、それだけが三年間を耐える原動力だった。
僕が絵を続ける理由。それが晴ちゃん。それ以上でも以下でもない。
だから、同じ大学にデザイン科と理系、文系がバランス良く揃っている所を探し、晴ちゃんがそこに興味を持てるように白瀬家のおじさん、おばさんに協力を頼んだのは当然の流れだ。だって、そのためだから。
だから、晴ちゃん。覚悟してて。ちゃんと、伝えるからね。




