【58】境界線のこっち側
「いやー、いつも助かるわ。今回から更に色々頼むことになるけど、穂奈美ちゃんのためだからと思ってよろしくお願いね!」
「かる~く言ってくれますけどね!近場でなかったら無理ですからね!本業半日空けるのだって厳しいんすから!」
「だからこうして朝イチで行くように調整したんだよ?」
「まだ日も出てないですよね?!」
ここまでヒソヒソ声でやり取りしている理由は、後ろの座席で仮眠している穂奈美ちゃんのためだ。
現在、午前4時。確かに周りは真っ暗で高速道路にもトラックばかり。運転する身となれば一言二言、いや十言くらいは言いたくなるのも道理だろう。私でもそうする。
今回のポイントは、以前にも何度か飛んだことのある、いわば馴染みの場所だ。安定して飛べる上に比較的アクセスしやすい場所なのだが、それでもいつもなら最寄りの駅からタクシーで向かっていたところだ。
今回の調査目的は何と言っても穂奈美ちゃんの転移調査への適性と安全性の確認、評価にある。私たちと違う生活を送り、違う価値観で生きてきて、さらに専門知識もない素人。本来なら調査に巻き込むのは危険だし無謀ともいえる。だが。
「あの都市部の調査には穂奈美ちゃんが不可欠だからなぁ…。」
「…そんなに違うもんなんすか?」
「正直、違うかどうかすらわかんないのよ。」
「…どういうことっすか。」
「私と雪雄さんが、都市部での転移に気付かなかったって、おかしくない?」
「…そこはオレも違和感あったんですよね。」
「世界をまたいだ時の、あの感覚ってホントに一瞬だし微かな違和感でしかないんだけどね。私も雪雄さんも感じないってのは考えにくいのよ。」
私と雪雄さんは、何故か同時に世界を跨いでしまう。どんな場所にいても、だ。しかも同じ世界線に。
量子もつれの指輪をしていても、かつてはこんなことはなかった。どちらかが飛んで、指輪を目印に飛んで戻って。簡易とはいえ帰還できる方式を確立してからもそれは変わらなかったのが、変わってしまったのは晴ちゃんが生まれてからだ。
まぁ、それはそれとして。飛ぶ時の感覚は微かで、でも独特な不快感を伴うものだ。それを感じないのは何故なのか。雪雄さんもあれこれ仮説を立ててはいるが、どれも決定打に欠けるらしく頭を抱えていた。
「ま、とにかく都市部に無策で突っ込むのも無謀に過ぎるでしょ?だからまずはわかってる範囲の状況で穂奈美ちゃんと私たちの違いがあるかどうかを確認したいわけ。」
「まぁ、理屈はわからないでもないっすよ。感情はともかくね。」
「そこはほら、私らがどうこう以前に穂奈美ちゃんの意志だから?彼女としても当事者となれば出来ることがあるならやりたいってのは自然だと思うよ。」
瑞穂くんがイヤイヤ渋々なのもわかるけどね、と独りごちると「わかってるんならしゃーないっすよ」と、運転席からボソリと返ってきた。
そこからしばらくは無言で、カーステレオから絞った音量の交通情報が流れるだけだった。
山の中を縫うように走る高速道路の終点が近付いてきた頃合いで、瑞穂くんがルートを確認してきた。
「この終点のインターを出たら、右に出てそのままで良いんですよね?」
「そそ。ナビにもあるけど、転移ポイントの手前に道の駅があるから、そこで休憩しよう。」
「…案外生活圏に近いんすね、ポイント。」
「だから何回か利用してるってのもあるよ。なんせ私ら、運転禁止界隈だからね。」
「それ、後で詳しく。」
「はいはい。」
そうして走り続けるうちに白々と空が明るくなっていく。ポイントに着く頃には日も昇っているだろう。
道の駅に着くと5時半を少し過ぎていた。ここから山道を徒歩で30分。そこにポイントがある。
「はいはーい、予定してた道の駅にとうちゃーく。二人とも起きてー。」
「あ…おはようございます…。」
「ん、凪ちゃんおはよう。二人もおはよう。瑞穂くん、運転助かったよ。いつもすまないね。」
「おはようございます。ちと肌寒いかもしんないですけど、上着、大丈夫っすか?」
「あー。確かに1枚増やしても良いかもしれないな。」
「歩いてると暑くなるかもだから、すぐ調整できるように薄手の方が良いと思うよ?」
「確かに。」
車の有用さを噛みしめる。荷物、全部持って歩かなくて良いって、幸せ…!
何枚か用意していた中から薄手のウインドブレーカーを人数分取り出す。タクシーの時はここで待機してもらってたけど、今回は瑞穂くんなのでポイント現地まで同行してもらう。歩け歩け(笑)。
ここからは雪雄さんが先導してポイントへ徒歩で向かう。かなりの山道なので、各自ちゃんと服装も靴も登山できる服装に準じている。
「ここから5分ほどで傾斜がキツくなってくるからね。穂奈美ちゃんと私が先導して、無理なく登るペースで行こう。」
「はい…!精いっぱい頑張ってついていきます!」
「はいはい、そこね、肩肘張らないの。疲れたらちゃんと申告すること、水分ちゃんと取ること。守れないなら連れていけないよー?」
「あう…はい…すみません…。」
途端にシュンとしちゃって、穂奈美ちゃんたら最初っから飛ばしてるなぁ。
「なんならオレがおぶってやっても良いぞ?役得だしな。」
「そ、それはダメです!私が自分で行かないと…!」
「あっはっは!もー、瑞穂くん初手から笑わせないでよー、腹筋痛い…!!」
「瑞穂くんなら可能かもしれないが、そこは穂奈美さんの意思を尊重すべきじゃないかな?」
雪雄さんも吹き出しそうなのバレてるよ…せっかく良いこと言ってるのに…!
真っ赤になった穂奈美ちゃんとニヤニヤしながら穂奈美ちゃんのすぐ後ろを歩く瑞穂くん、笑いに顔の筋肉が痛い先頭を歩く雪雄さんと殿の私で山道を登り始めた。
歩くうちに、道の駅に着く前の会話を思い出したのか、瑞穂くんから質問が飛び出した。
「そういや、車の中で言ってた『運転禁止界隈』ってなんなんすか?」
「運転禁止界隈………??」
「あー。それね。」
「私たちが二人とも免許を持ってない理由だろう?」
「えー、まあ。運転手引き受ける時に持ってないのは聞いたっすけど、そもそも何で二人とも持ってないんすか?」
「それね、私も雪雄さんも免許取るなって周りから大反対されたのよ。」
「二人とも?」
「そ。理由はね、私が今、先頭じゃない理由でもあるの。」
「え?それってどういう…?」
「方向音痴なんだわ、私。」
「方向音痴?!」
「そ。他の人によると、人知を超えた方向音痴らしいよ?失礼な、とは思うけど、実際に現地にたどり着けないから反論しようもなくてさぁ。」
これ、自分でも良くわからないんだけどね。機械の構造やなんかは頭の中で再構築できるんだけど、現実の地図はどうしてもインプットされないんだな、これが。
「凪ちゃんはどうも、俯瞰でしか物の位置を把握できないみたいなんだ。現実のこういう平面で自分を真ん中に据えてのマッピングが出来ないんだね。」
「同行した人によると、建物に入って、出た時に堂々と来た道と反対側に歩き出すらしいわ。自分では元の道に戻ったつもりなんだけどねえ。」
瑞穂くんも穂奈美ちゃんも、二人とも唖然としている。まぁね、予想はしてたよ?こういう反応。でもさぁ…。
「ほらほら、足が止まってるよー。登りながら話すよ!」
「あ、はい!」
「軽々と予想を超えてきたんでフリーズしたわ…。」
「悪かったな!方向音痴で!とにかくそんなわけで、車でそれやっちゃったら一生帰ってこられないからヤメロって周りの全員に言われたから諦めたの!」
「「でしょうね…!」」
二人でハモって、仲良しだなこのやろ。
「で。白瀬さんが免許持ってない理由は?やっぱり方向音痴…てわけじゃないっすよね…?!」
流石に先導してるのに方向音痴じゃ遭難するわいな。そんな怖いことしないよ!
「ははは、それは大丈夫。僕はマッピングは得意なんだ。」
「マッピング…は?」
「どうもね、僕、機械音痴というか、運転音痴らしくてね。教習所から諦めてくれって泣きつかれたんだよ、義理の父が。」
「「機械音痴…運転音痴………!」」
「あ、安心してほしいんだけど、身体の動きに左右されないものは問題ないんだ。だから扉とかの僕が作ったものは安全だからね?」
これもまた不思議なのよねぇ。運転技術って、身体の動きというか、反射神経やら体性感覚が物をいうらしくて、運転だけなら私も出来るっちゃ出来るんだよね。内緒だけど。
「教習所から泣きつかれるって、いったい何やらかしたんすか…?!」
「まぁ、一通りやったよ。エンジンかからないところから始まって、アクセルとブレーキ間違えるとかハンドル逆に回すとか、急発進急ブレーキは当たり前、クランクでは縁石乗り上げに角はぶつける、カーブでは減速間に合わなくて反対側に突っ込みそうになったり」
「いやもうお腹いっぱいですって!」
「まだまだあるんだけどなぁ…。」
「すみません、私たちの心臓が先に止まりそうです…!」
うん、二人の顔色、白いな。私も今は平然としてるけど、初めて聞いた時は握ってたスパナを落としたよね。安全靴履いてなかったら青痣出来てたよ、きっと。
「まぁ、そんなわけで僕は運転に致命的に適性がないってことで、授業料と壊した車の修理代をチャラにしてもらって諦めたんだ。」
「…そこまで教習所がドン引きとか…!」
「生命と引き換えにしてまで取るものじゃないですよね…運転免許。」
「ある意味才能かもね?私の方向音痴と一緒で。」
「才能…。」
そんな嫌そうな顔でコッチミンナ。
わちゃわちゃと喋りながら登っているうちに、目的のポイントに近い目印が見えてきた。ここまで来る人は早々いないため、木に目印を巻いているのだ。
ここから先は、転移ポイントまで数メートル。一旦ここで休憩だな。穂奈美ちゃんの息が上がっているし、心構えしてもらわないといけない。
「さて、ここでひと休みね。水分とって息を整えるよ。」
「はぁ、はぁ、はい…!けっこう、登りましたね…!」
「僕たちは慣れてるけど、穂奈美ちゃんにはちょっと大変だったね。良く頑張ってくれたよ。」
瑞穂くんは…うん、しっかり体力あるね。息はもう整っている。穂奈美ちゃんの心配する余裕まであるもんな。けど。
「さて、ここからは瑞穂くんは私らと穂奈美ちゃんにお触り禁止ね。」
「お触りって。」
「冗談抜きで、ここから先は転移ポイントが近いから、触れてたら一緒に転移しかねないんだよ。」
「転移ポイントでは一回しか転移しないわけじゃない。うっかり転移してしまったら、帰還方法がない瑞穂くんは戻れなくなる可能性が高いんだ。」
目を見開いている二人。どちらからともなく、ゴクリと唾を飲み込む音が聞こえた。
「そしてね、穂奈美ちゃん。貴方は出来れば私か雪雄さんと手を繋いでいて欲しいの。繋がなくても転移はするだろうけど、お互いに違う世界線に飛ぶ可能性の方が高いのはこないだも伝えたよね?」
「はい。たとえ違う世界線の白瀬さん達であっても関係性はさほど変わらないだろう、ともお聞きしました。扉を介せば問題なく戻れるだろうことも。でも…。」
「ま、違う世界の私たちよりは安心できるよね、ちょっとはね?」
「ちょっとなんかじゃありません!私にとってはここの凪さんたちが本物なんです!」
「まぁ、そうよね…。」
苦笑しながらも頷いた。ぶっちゃけこちらとしては差分含め、どの世界の私たちも同じ私たちだと認識している。単に選択と観測が少しずつズレただけの私たち。
だけど、彼女にはそんな感覚は受け入れ難いだろう。ここにいる自分と関わり合ってきた人が唯一の存在だ、と。これが普通の感覚というヤツだ。
だから。
「じゃ、行くよ。瑞穂くんはここで待機。あの少し先にある赤いプレートが立ってる周囲、あの辺がポイントだからね。」
「ああ、わかった。…穂奈美ちゃん、いってらっしゃい、だ。」
「…行ってきます…!」
瑞穂くんが低い声で告げた言葉に、決然とした瞳で応える穂奈美ちゃんと手をつなぐ。
雪雄さんとも頷き合い、赤いプレートへと向かう。
そして。
飛んだ。




