【54】真鍮色の夜明け
「寄越しな。」
赤井さんがぶっきらぼうに片手を差し出す。
一瞬の空白の後、カバンから辞書ほどのサイズのケースを取り出し、中の金属片…インゴットと言うには少し物足りないサイズのそれを持ち上げた。
「なんだい、随分と頼りない手つきだね。」
「デスクワーク中心の生活なので、お目こぼしくださいよ。」
苦笑しながら手渡し…彼女の手がぐんっと下がった。
「…!やってくれるじゃないか。このサイズでこの重さ…なかなかヤバいシロモノだねぇ。」
先ほどまでのどこか小馬鹿にしたような、それでいて警戒心を最大限に保っていた彼女の瞳が、途端にギラギラと熱を帯びてこちらに向いた。
「あくまでそれはサンプルですが、まだ量産は不可能です。自由にいじってもらって構いませんが、おかわりは今日はありません。」
「今日でなければおかわりはアリなんだね?」
「…そうとも言いますね。」
横目でこちらを確認しながらサンプルを手に炉に向かっていく。
「今わかってる特性で注意すべき事柄はある?」
「敢えて言うなら、頑固です。変なヤンチャはしない代わりに手がかかります。」
「へぇ…。それならまずはどれだけ頑固者なのか、アタシと根比べといこうか。」
そう呟くと、その後は僕の事など頭から消え去ったかのようにサンプルと炉、金床やハンマーといった道具に向かい合った。
炎に照らされた彼女の横顔は真摯で、ひたとサンプルと炉を見据えて時に語りかけ、時にそれらの声を聞き、ハンマーをふるい、炎と会話し、作業に没頭し続けた。
僕はといえば、その光景に魅入られたかのように見つめ続け時間すら脳裏から消え去った。
神話の一場面のようにどこかこの世から切り取られたようなこの場面は、プジュー!という水冷の音で区切りを迎えた。
「確かに相当な頑固者だね。熱でも衝撃でも急冷でもちょっとやそっとじゃ形すら変えられない。」
「だからこそ、これが必要となるケースは多いと考えています。特に僕が必要とするシステムのコアにはこれで作られた部品が不可欠なので。」
「熱だけじゃこいつは言うこと聞かないよ。融点と固体化する温度の閾値が近過ぎる。」
「だからこそ、その特性を洗い出して加工の道筋を立てること、この素材を更にブラッシュアップするための試行錯誤とある程度の生産体制を構築する目安を立てること。その二つに協力をいただきたいんです。」
「こんな小さい工房にずいぶん吹っ掛けるね。アタシが無理だと言ったらどうするつもりさ。」
僕はニヤリとして答えた。
「この素材そのものが貴方にとっては魅力的ではありませんか?先ほどの作業、とても熱心に取り組んでおられましたよね。」
「確かに、いじりがいのあるヤツではあるね。」
「それと」
低い声で、囁くように続けた。
「マナって、なんですか?」
その瞬間、世界がひっくり返った。
いや。彼女が僕を地面に引き倒して喉元に肘を押し当てたのだった。
「アンタ…ホント、何なの。」
既に聞いたフレーズだが、これ以上ない程の殺気と共に放たれたそれは、僕の心臓を締め付けるだけの質量を伴って聞こえた。
「僕がいた…世界にも…っ、マナなんて…なかった…!」
「!…アンタがいた、世界…?」
更に喉と胸に加わる圧が増して肺の空気が押し出され、目の前がチカチカと瞬いて…ぐぅっ!とうめき声が漏れたことで急に力が抜かれた。
一気に肺に流れ込んできた埃っぽい空気に噎せこんでいると、容赦なく胸ぐらを掴まれ、引き起こされた。そして眼前に殺気を隠そうともしない表情で唸るように告げた。
「アンタの知ってること…全部吐いてもらうよ。でなきゃ、ここから無事に帰れると思わないことだね。」
濡れたうえに地面と二回も仲良くする羽目になった泥だらけの僕は、バスタオルとタオルを放り投げられ風呂場へと連行された。
「逃げようとしても無駄だからね。余計な算段立てようとしないほうがいい。」
そう言った彼女からは最大級の警戒と戸惑いが滲み出ていた。
「お風呂、助かります。それと荷物、中を見ても構いませんよ。」
「余裕じゃないさ。なら、遠慮なく漁ってやる。」
「着替えだけ取らせてください。」
一瞬呆れたように視線を寄越すと、カバンの口を開いてくれた。ありがたく服と下着を取り出すと、こちらも遠慮なくお風呂を使わせていただいた。
一通りさっぱりとしたところで土間に戻る。上がり框から続く縁の廊下で、彼女は論文の一つを熱心に読んでいた。
「面白いですか、それ?」
「アンタ、ホントに学者さんなんだね。」
「ええまあ。」
「こっちに来な。」
案内されて居間へ通してもらう。畳敷きのそこはどこかノスタルジックで、襖や鴨居、欄間といった室礼が古き良き時代の面影を残しつつ、生活に馴染んだ色合いだった。
座卓に向かって腰を下ろすと、彼女はカバンに入れていた論文をバサリと目の前に広げた。
「さっきの、どうして知ってた?この世界にもアンタの世界にもなかったって、なのに…。」
「あぁ、じゃ、うっかりだったんですね。作業中にご自分で仰ってましたよ。『マナがなくて不便だ』って。」
「………!」
しまった、という表情の後、諦めたように息を吐いた。そして…こちらを見やるとニヤリとして言った。
「良い耳してんね、アンタ。でさ。」
一拍置くと、身を乗り出してさっきの僕のように低く囁いた。
「『僕の世界』って、どこにあんの?」
彼女としてはやり返したつもりなのだろう。だけど。
「おそらく、もうないですね。弾け飛んだと思います。」
僕の言葉に呆然と、そして少しだけ痛ましい色を滲ませた表情を見せた。
その顔を見て、僕のいた世界を『失った』という意味の大きさを今更ながらに思い知った。
そうだ。生まれた世界そのものを失うというのは、本来こういうものなんだ。彼女の喪失感と生きるためのがむしゃらな努力が僕のそれと重なり合って、他人事じゃなく…独りきりではなかったという、安心感に似た感情がよぎった。
その晚、僕たちはお互いのこれまでをぽつりぽつりと語り合った。
崩落した土砂に塗れて必死に川沿いに人里を目指したこと、投げ出された海の冷たさと死ぬかもしれないという恐怖、助けられた時の安堵とその先の不安…。全く違うエピソードなのに、不思議と同期する安堵感と焦燥感。
そして、支えてくれている人たちに対する感謝と、それでも消えなかった孤独感、そして罪悪感。
それらを吐き出し、共有していればいつの間にか朝を迎えていた。
「すっかり話し込んじゃいましたね。こんな時間まですみません。」
「いや、アタシもこんな機会なかったからね。つい引き留めて悪かったよ。」
「それで…どうでしょうか。共同研究と開発…引き受けていただけませんか?おそらく、あの素材を扱える可能性があるのは赤井さん。貴方だけだと思います。」
「そんなことないって。確かに頑固だけど、あの子はあの子の文脈に従って扱えばきっと化ける。」
「あの子って…!」
思わず微笑んでしまった。あの素材を前に、あの子呼ばわりする彼女の思わぬ可愛らしさが垣間見えたので。
それに気付いたのか、ムッとしたように反論する。
「金属だって生き物と同じだよ。時間の流れが違うだけで、そいつらにはそいつらの流儀や個性がある。そこを分かってやらなきゃ鍛冶屋はやっていけないんだよ。」
「物理学ではそれを物質の特性として扱うんですよ。表現する言葉が違うだけで本質は同じ事ですが…貴方の言葉の方が…何と言うか、湿度があって温かいですね。」
「おカタイ頭のセンセイがずいぶん可愛いこと言うじゃない。」
「可愛いですかね?」
互いに顔を見合わせて、ぷっと噴き出した。
その後は研究を共にするうちに打ち解け、心を通い合わせ…今では唯一無二の相棒になった。
最初こそ鍛冶屋の領分を越えなかったが、工業高校で得た知識をベースに様々な分野に手を伸ばした彼女は、やがておおよその金属加工と機械の構造や仕組みを我がものとしながら僕の思いつきをどんどんとカタチにしていった。
既存の学問や知識に囚われないその発想力と実現力には今でも助けられている。
出会いの時には荒々しい、といった表現が相応しかった言葉や態度も、次第に洗練されていって公の場でも問題ないレベルまで至った。
「雪雄さんのおかげだよ。」
彼女はそう言ってくれるけれど。
僕も凪ちゃんのおかげで今がある。
あのどうしようもない孤独感と疎外感は、もう感じない。彼女と、晴ちゃんの存在が僕をこの世界へと結びつけてくれているから。
「ほらほら、端末に映像送れるようにしてみたよ!」
カメラにいつもの端末をつなぐと、手招きして見せてくる。画面にはカメラに映った僕と凪ちゃんが、端末を覗き込んで笑顔で手を振っている。
「今度来る私たちも楽しんで映ってくれるかな?」
「きっとノリノリだよ。僕たちと同じようにね。」
その後、カメラを覗く度に思い出すだろう。笑顔で過ごせるようになった僕たちがここにいることを。




