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白瀬さんちの開かない扉  作者: いもっち
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【52】自分を大事にする、準備

 我が家の居間に、総勢八名。結構ギリギリの人数だけど、そこには緊張感を伴った静寂がひたひたと満ちていた。

 これから一体何が…と思ったその時、かあさんが口を開いた。


「皆さんに集まっていただいて、ありがとうございます。集まった理由を説明したいんだけど、その前提として、これからの調査と研究の方向性を共有しておいた方がより理解しやすいと思ったので、少し時間をちょうだいね。」

「これまで、世界線の破断という重大な事故について私たちは調べてきたわけだけど、最近になって都市部の広範な揺らぎエリアの存在が明らかになったね。これは私の想定を超えた状況で、これまでの調査では把握できなかった事象なんだ。」

「エリアでの揺らぎが存在するという事実は、世界間の境界が想定よりも脆い、危うい、曖昧、という仮説を成り立たせちゃうのよ。」

「つまり、これまで確定していたポイントからの転移で世界線の歪をマッピングする手法に加えて、都市部でどのように転移が発生しているのかを明らかにしてデータに加える必要が出てきたんだ。」


 …うん。半分以上わからない。

 隣を見ると、唯が何やら考え込んでいる。


「質問だが、都市部での転移とポイントでの転移には何か違いはあるのか?」

「隼瀬くん、良い質問だね。実は、どちらも単に世界をまたぐ事象が起こりやすい場所というだけなんだ。違いは、これまで把握していたポイントでは安定的に転移出来ていたのが、都市部では確率で転移しやすさが変化していくという部分だね。」

「そのせいで、都市部でのポイントが再現性がなくて見過ごされていた可能性が高いのよ。何せエリアで変動するポイントなんて発想なかったもん。」


 と、唯も手を挙げて質問した。


「すみません、おじさんたちはこれまでそういった都市部にも行ったことはあるはずですよね。その時は転移とかしなかったんですか?」

「してたかもしれないし、してなかったかもしれない。それは良くわからない、というのが答えだね。」

「正直、私も雪雄さんもある程度の年齢になるまで都市部には縁がなかったのよ。どっちも山の中が拠点だったからね。出るようになったのはこの世界線に戻る方法を確立した後だったし、仮に複数の世界を渡り歩いてても最終的に戻ってきてた事になるね。」

「じゃ、おじさんたちと穂奈美さんとは何が違ってたんですか?」


 とうさんたちは、顔を見合わせて頷き合った。


「そこが、今回の一番のキモなんだ。」

「キモ?」

「私たちは晴ちゃんというこの世界のアンカーを得られたから、この世界ではある程度の安定性を維持できるようになったのね。それがアンカーのない穂奈美ちゃんと揺らぎポイントで飛ぶ時にどういう違いがあるのかないのかを確認したいのがひとつ。」

「もう一つは、都市部の揺らぎエリアでの転移パターンがどんなものなのかを検証する時に穂奈美さんの協力もお願いしたい、ということだったんだ。」


 だった?何で過去形?

 穂奈美さんを見ると、少し納得のいかなさそうな表情で何かを言いたそうにしている。

 瑞穂兄ちゃんが、それに気付いたのか穂奈美さんの手を握った。穂奈美さんは驚いたように兄ちゃんを見上げたあと、意を決したように口を開いた。


「私は、出来ることをしたいと、協力することで得られる結果が皆さんのためにも…私のためにもなるって、だから協力させてほしいと申し上げたはずです。」

「そうだね。」

「なのに…何が問題なんですか…!協力させてもらえない理由を、教えてください…!」

「協力させないわけじゃないよ。昼間も言った通り、こっちの準備の問題なの。それに、穂奈美ちゃんにも準備が必要なのが良くわかった。」

「私の、準備…?」


 言われていることが良くわからない、そんな表情で助けを求めるように兄ちゃんに視線を向ける。


「まずは聞いてみようや。どんな準備が必要なのか。オレたちは素人なんだ、噛み砕いて、納得するまで説明するのがプロの仕事だろ?」


 後半、ニヤリと煽るようにかあさんととうさんへ視線を向けた。

 わぁ。かあさん、すっごく楽しそうだね…売られた喧嘩は倍の値段で買い取るもんね…。


 が。


「こっちの準備は、単に時間と日程の調整と、差分調査の項目を洗い直すことくらいよ。くらいって言ってもかなり項目が多いからそこでも時間がいるんだけどね。でも穂奈美ちゃんの準備ってやつは、私からじゃないんだなぁ。」

「穂奈美ちゃんの準備については、私から説明するわね。」


 想定していなかった方向から声が上がった。

 何と、呉羽おばさんが片手を上げて発言したのだ。これには隼瀬おじさんも唯も目を見開いて驚いていた。


「呉羽さんからの説明…ですか…?」


 話が見えず、穂奈美さんも戸惑っている。


「これから、穂奈美ちゃんが調査に参加して安全に、確実に帰ってくるために必要な話をするけど…。少し、いえ、かなり穂奈美さんにとって辛い話になると思うの。」

「辛いこと、ですか?」

「そう。でもね、最初に念を押しておくわ。私たちは、ここにいる全員と青木ママさんは、あなたが幸せで笑顔で過ごせるようにお手伝いしたいと真剣に、心から思っているの。」

「はい…。」

「でもね、その選択を最終的に背負うのは穂奈美ちゃん、あなたなの。どんなに私たちがあなたの幸せを願っても、あなたが諦めたらどうも出来ないの。」


 優しい笑顔で、でも逃げを許さない真剣な眼差しで呉羽おばさんは穂奈美さんに突きつけた。


「あなたが犠牲になれば他の人が助かる場面で、あなたは自分を犠牲にしないでいられるかしら?」

「!!!」


 雷に打たれたような表情で言葉をなくす穂奈美さん。兄ちゃんの手を握りしめたその指先は、力のあまりに白くなっている。


「今回から始めようとしている都市部での調査は、自己犠牲の精神が悪い結果につながりかねない、ある意味とても危険なものだそうなの。」

「やるなら、イレギュラーを早い段階で判断して、対処できるだけの知識と決断力を求めるわよ。じゃないと、穂奈美ちゃんだけじゃない、私たちも、瑞穂くんも危険に晒すことになるからね。」


 段々と俯いてしまった穂奈美さんに、呉羽おばさんは静かに語り続ける。


「今のあなたは『誰かの役に立つ』ことで自分の価値を見出そうとしているわね。それはある意味自然で当たり前のことだわ。誰だってそういう部分はあるの。」


 でもね、と穂奈美さんの顔を覗き込むようにして微笑んだ。


「どんなものでも程度問題、ってこと。あなたはこれまで生きてきた中で、『誰かの役に立つ』ことだけを求められ続けて、それが当たり前だと思い込んでしまった。だけど、違うの。生まれて、生きて、暮らしていく…自分の価値はその中で、自分で決めていくものなのよ。」

「自分で…自分の価値を…?」


 のろのろと顔を上げた穂奈美さんに、かあさんがぶっちゃけた。


「『役に立たない人間は価値がない』なんてクソみたいな発想は、さっさとゴミ箱に捨てるべきだよ!」

「凪ちゃんはもうちょっと言葉を選びましょうよ…。」

「選んでコレなんだけどなぁ?」

「選ばなかったら…いえ、何でもないわ。私の精神的安定のために言わないでちょうだいね?」

「えー。」

「いつものヤツがもらえると思うなよ。」

「なん…だと…!!」


 隼瀬おじさんがまぜっ返すとは思わなかった…。

 でも、このやり取りで穂奈美さんの顔に血色が戻って、微かに微笑んだのを確認して呉羽おばさんが告げた。


「人の考え方や価値観はそうそうすぐに変わるものではないわ。少しずつ、ちょっとずつで良いの。昨日より今日、今日より明日、そんな風に自分を大切に出来るようになっていきましょう?」

「…はい、はい…!」


 潤んだ瞳から必死に涙がこぼれないように頷く穂奈美さんの背中を、兄ちゃんが撫でている。


「オレからも頼む。誰のためでもない、穂奈美ちゃんのために自分を大事にしてくれ。じゃないと、オレの人を見る目がないってことになっちまう。」

「え?どういう…ことですか…?」

「オレの大事な人が、オレが大事だと思う人を評価してないってことになるだろ?」

「え…?…あっ…!」


 その理屈に思い至って半泣きのまま真っ赤になる穂奈美さん。こんな時だけど、つくづく思う。

 尊い。ほんっとに穂奈美さん、素敵な人だ。


「準備…が、頑張り…ます…!調査に出ても、良いって言われるように…私がここにいても良いって…私が、思えるように…!」


 とうとう堪えきれず、嗚咽混じりに必死に紡いだ言葉には、これまでとは違う決意が込められていたようだった。

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