【48】鏡合わせのタブレット(後)
翌日は丸一日、三人とも地下から上がってこなかった。朝、昼、夜と進むにつれて目の下のクマや髪のほつれが酷くなっていったが、かあさんは
「まだまだイケる、大丈夫!」
と全然だいじょばない風体で宣うのだった。
それでも夜には「今晩で目処がつきそうだから朝ご飯はおにぎり所望」と言ってきたのでホッとしたのだった。
そして朝。おにぎりにうっすら涙を浮かべ、食べ終わって早々に布団にダイブした三人を起こさないように、そっと庭に出た。
「サーバーメンテナンスって、こんなに大変なんだねぇ…。ここんちだけだろうけど。」
「瑞穂兄ちゃんには運が悪かったとしか言えないなぁ…。」
「「ま、しゃーないか。」」
お昼までは間があるから、と昨日と同様にスケッチを始める唯。私はそんな唯を見つめながら間近に迫った夏の終わりに思いを馳せていた。
大学一年生の、わずか夏休みまででこんなにイベントだらけになるとは予想すらしていなかった。普通に授業を受け、家族とお隣さんたちと、大学や高校の友人たちと平凡な生活が続いていくのだと思い込んでいた。
でも。きっかけこそ両親の扉と旅立ちではあったけど、遅かれ早かれ唯や他の人達との関係は変わっていく必要もあったのだ、と今は思えるようになった。
唯への気持ちも、唯からの気持ちも確認できた今ならわかる気がする。
唯は待っていてくれた。そして、私が望む限り待っていてくれるのだろうということも。
あとは、私が腹を括るだけだ。
そう思い至ったその時、かあさんが起き出してきた。
「晴ちゃん、唯くん、おはよー…今何時?」
「おはよ。今は…午後一時だよ。」
「そっか…ちょっとつまめるもんって何かあったっけ?」
「朝のご飯が残ってるよ。」
「おー…お茶漬けでも食べよっかな…。」
欠伸をしながら土間へと向かうかあさん。とうさんと兄ちゃんはまだ寝てんのかな?
そーっと寝室にした客間を覗くと、兄ちゃんは熟睡していて、とうさんは起き上がってぼんやりとしていた。あ。また寝た。
「多分二人とも夕方まで寝ると思うよ。」
「何でわかるの?」
「二人とも脳みそガチでフル回転させてたからね。私はまだあっちゃこっちゃ動いてたから、二人ほどじゃないのよ。」
「頭脳労働ってのも大変なんだね…。」
「ねー。」
いや、『ねー』じゃないよ。かあさんだってフル回転してたに決まってる。方向性が違うだけで。
「早くお茶漬け食べてもっかい寝なよ。」
「そうだねー、起きたらまだお楽しみが残ってるしね…。」
そう言ってお茶漬けをサラサラとかっ込むと再び布団に沈んだ。
…お楽しみ???
「あー、それ、多分ヒスイのことじゃない?瑞穂兄ちゃんと穂奈美さんの。」
「それって、楽しみに入るの…?」
「凪おばさんに限って言えば、入るんだろうね…恋バナ好きじゃん、おばさん。」
「なるほど…!すっごい納得した…!」
さすがの唯の観察眼。
そうして、また散歩したりだべったりしているうちにかあさんととうさんが起き出してきた。もうすぐ夕焼けになろうかという頃だけど、かあさんは思ってた以上に張り切っていた。
「これからはお楽しみだからね、まずは扉を取り替えてくるね!」
「扉?どこの?」
「お風呂場の脱衣所と台所の間の扉。あの扉、そろそろ寿命でさ、中がボロボロなのよ。」
「え?そうなの?」
「開け閉めの時に変な音したでしょ?あれ、中が一部空洞になってんのよ。」
知らんがな。そういうもんだと思ってたわい。
「えーっと、工具工具…!」
うきうきで工房から工具箱を持ってきて、立てかけてあった新しい扉をあっという間に付け替えていく。
「でーきた!やっぱ、この扉にして良かったー!見て、このフィット感!ずっとこの扉だったみたいに思えない?」
むっふっふー!とすこぶるご機嫌だが…ごめん。私にはわかんない。鈍い娘でスマン。
「凪ちゃん、終わったんなら順番でお風呂にしないかい?流石に汗とほこりでベタつくんだよ…。」
「そうだね、じゃーすぐ沸かすね!でさ、雪雄さん、沸いたら先に入ってね。私は工房で研磨機準備するからその後にしたいのよ。」
「わかった。先にいただくよ。」
その会話の間にも工房で機械やら道具やら素材を動かし始めるかあさん。どんだけ楽しみなのよ…!
とはいえ、黙って何もせずにいるのも時間がもったいない。唯と目配せして、台所で作業を始めることにした。
「僕は出汁取ってお味噌汁作るね。」
「ご飯足りないから、先に仕込んどこうかな?」
「お願いするよ。」
「生姜焼きのお肉、足りるかなぁ…?」
「…どうかなぁ…??」
唯と二人で夕食を作っていると、とうさんとかあさんがお風呂を終えたタイミングで兄ちゃんが起き出してきた。
とうさんとかあさんにお風呂をすすめられて素直に向かう兄ちゃん。扉には…うん、素で気が付かなかったね…。かあさんの目がほんのり据わったように見えたけど、キノセイダヨネ…?
そして、夕食を終えてかあさん的にはお楽しみ、兄ちゃんにとっては新たな地獄が始まった。
すると、兄ちゃんが混乱しながらも研磨機のレクチャーを受けている後ろで、唯がヒスイの山を見つめている。
「唯?どしたの?」
「あ、晴ちゃん。このヒスイ、すごくいいな、って思って。ほら、これなんか緑と白の混ざり具合が木漏れ日みたいじゃない?」
「え?…わ、ホントだ…!」
「おばさん、すみません!これ、僕と晴ちゃんとでお揃いで欲しいんですけど…いくら払ったら譲ってもらえますか?」
ちょ!唯?!いきなり何言い出してんの?!
「あー、お代はいらないけど…そうねえ。ちょっと貸してみ?」
「はい。」
「ふんふん…デモンストレーションにはちょうど良いね。瑞穂くん、これ、今から円柱に形を整えてから二分割するからね。」
「二分割してから、じゃなくて?」
「ペアで持ちたいってんなら形を揃えたいじゃない?そしたら円柱にしてからカットすれば綺麗に揃うもの。見ててね。」
まるで誰でもが出来るかのように端材を手早く滞りなく円柱に削ると、隣のカッターマシンで二等分にした。
「ほら、今カットした面がこっちとこっち。合わせ鏡みたいにお揃いで面白いでしょ?」
「ホントだ…。」
「こういう形を英語じゃタブレットって言うらしいけど、日本語だと小判型って言うのよね。風情ないわぁ。」
ケラケラと笑うかあさん。まるで魔法でも見たかのように兄ちゃんが固まっている。
「あれを?オレが?これから…???」
「そうよー。穂奈美ちゃんのためにもガンバ!」
死んだ魚のような目で、のろのろと研磨機に向かう兄ちゃんを尻目に、かあさんが良い笑顔で私たちにも宣った。
「どうせだから二人も手磨きでこのヒスイを仕上げてみようか!」
「「え。」」
流れ弾が着弾した瞬間だった。
そして、今。兄ちゃんの悪戦苦闘とともに私と唯も耐水ペーパーとの苦闘が続いている。
「…ペーパーのヤスリ部分が剥がれてきた…。」
「…はい、おかわり。」
「ありがと…。」
120番の荒目サンドペーパーから抜け出せずに昨夜、そして今朝へと続く手磨き修行。
正直こんなもんで、と終わらせて次に行っても良いのではないか?と思わなくもなかった。でも隣で真剣に、黙々と磨き続ける唯を見ていると…やらないといけないな、という気分にさせられる。
唯の仕上げたものに見劣りするような出来にはしたくない。そう思えばこそ踏ん張れるのだ。
「こっちの二人はどうかなー?お、なかなか滑らかになってきたね!こっちも…いいねー!二人とも地道に根気よく頑張ったね!」
「ペーパー三枚目だけどね…。」
「上等上等!よし、これなら次に行っても大丈夫。200番手に変えて磨いていこ!」
「はーい!」
やっと120番から抜け出せた…!
「この後は200番、400番、600番、1000番、1500番、2000番の順に磨いて、5000番で磨いたらコンパウンドで仕上げだからね!」
…ここは地獄の何丁目…?
兄ちゃんよりはマシと思うか、先の長さに頭を抱えるか、悩ましいことこの上なかった。
シャコシャコシャコ…少しだけ細かく滑らかになった研磨音。少しずつ削れたヒスイの粉がペーパーの上に溜まる水に撹拌されて沈殿して、また撹拌されてマーブル模様をかたち作る。
隣では、やっぱり真剣に磨き続ける唯の横顔。手元は私よりも迷いなく、一定のリズムでヒスイがペーパーの上を滑っていく。
こうして隣で同じ方向を向いて、同じ事をして、同じ事を感じて…そうして生きてきた。これからも、そうして生きていく。
うん。それで良い。それが良い。時々は違う方向を向いて、違うものを見ることもあるかもしれない。でも、その後にはこんな事があった、あんなものを見た、なんて伝えあって共有して。
それが、私の幸せなんだ。
その日の夕方。兄ちゃんはとうとうアイスジェイドのカボッション一組を完成させ、私と唯もコンパウンドでの仕上げまでたどり着くことができた。
「もう、もう、研磨機なんて二度と見たくねえ…!」
男泣きにむせび泣く兄ちゃん。
一方の私も唯も、指先が微妙に重だるい。そしてふやけている。
でも、お揃いのタブレットは見事な艶を放ち、キラキラと光を反射していた。
「晴ちゃん。」
「ん?」
「はい。」
差し出された唯のタブレット。首を傾げて見返すと。
「僕の、晴ちゃんのと交換しよ?」
どうしよう。唯が尊すぎて死ぬ。可愛すぎてもはや犯罪かも知んない。
そんな事を上の空で考えていたら、手の中のものはさっさと取り替えられていた。
そして、仕事の早い母さんによって穴が空けられ、革紐が通され、帰る時には私の胸元で「唯の磨いた鏡合わせのタブレット」が揺れていたのだった。




