【47】鏡合わせのタブレット(前)
工房に染み入る研磨機の音。そして飛び交う激励と泣き言。
「ちょ!何か端っこ欠けて飛んでった!」
「はいはい、ゴーグルしてるから問題ないない。そこ、欠けたのはほら、石のクラックが入ってたのに気付かなかった石取りだからだよ。」
「そもそも曲面出す前からめっちゃムズいじゃないですか、カボッションって!」
「それはそう。」
「勘弁してくださいよ!」
「穂奈美ちゃんの喜ぶ顔、可愛いだろうなぁ…!」
「〜〜〜、わかりましたよ!」
うーん、かあさんの鬼教官振りが冴え渡ってるなぁ…と他人事として眺めている私は、唯と一緒に工房で机を並べてヒスイを手に耐水ペーパーでシャコシャコとヒスイを磨いている。ヒスイ?もちろん、普通の、でも緑と白のマーブルが綺麗な「唯が厳選に厳選を重ねた」端材の片割れだ。
「晴ちゃん、どう?」
「うーん、まだここのザラつきが気になるなぁ…。」
「ホントだ。僕もこの真ん中へんがなかなかすべすべにならないんだよね…。」
「ここできっちりすべすべにしないと、後からどうにも出来ないって言ってたもんね…。」
「…やろっか…。」
耐水ペーパーの120番から未だに抜け出せない私たちと違い、昨夜からしごかれっぱなしの瑞穂兄ちゃんは既に円柱から曲面を出しにかかる段階まで進んでいた。
ちなみにかあさんはその脇で磨き棒に新しい石をロウ付けしながら、楽しそうに兄ちゃんに茶々を入れている。
「そうそう、その調子。そろそろ最初のざっくりとした形を出す工程は手に馴染んできたかな?」
「さすがにこんだけ残骸出して成果なかったら泣きますよ、オレでも。」
「これ見たら、穂奈美ちゃんは惚れ直してくれるかな〜、それともドン引きかなぁ?」
「今、そういう事言う必要ありました?!」
「ほらほら、動揺したから手元がおろそかになってるよ〜?」
「誰のせいだ、誰の!」
ある意味仲良しだな、と思いながら手を動かしていると、とうさんがやってきた。何やら頭をかきかき書類を睨みつけている。
「かあさん、瑞穂くん、ちょっと良いかな?」
「ん?どしたん?」
「ちょっと3号機でエラー出てね、コードとかメッセージをチェックしてみたんだけど二人の意見が聞きたくて。」
「え、どんなっすか?」
「これ、ここだよ。」
「あー、これ私はわかんない部分だわ。」
「これ…ちょっと実機触って見た方が早いかも。」
研磨作業を中断して、三人で地下に戻っていく。
「あーいうとこはちゃんとして見えるのにね…。」
「言いたいことは何となくわかるよ…。」
お互いの顔を見合わせて頷き合う。
一昨日、久し振りにこの工房に来た私と初めて訪れた唯。あらかじめ頼まれていた通り、かあさんたちがメンテナンスに籠ってからしばらくして大量の食材が届いた。ストック用のカップ麺各種とインスタントのコーヒーやらお茶やら、ファイト一発やるためであろうドリンク剤各種。そして…。
「これ、料理してくれってことなのかなぁ…?」
「生鮮食品も来ると思わなかったよね…。」
「豚肉にキャベツ、ジャガイモ、タマネギ…あと何?豆腐?」
「晴ちゃん、これ…。」
唯が取り出したのは「生姜焼きのタレ」のボトル。
「「わっかりやすぅ〜〜!」」
「このチョイス、かあさんと見せかけてとうさんだわ…。」
「何でわかるの?」
「かあさんならはじめから指定するはずだもん。こっそり入れといて読み取ってほしいこのやり方、とうさんだね。」
「あー。意志は尊重するけど出来たらこうして欲しいってこっそり仕込むやつ。」
「はいはい、気付いてあげますよ、っと。でもいつ上がってくるのかな?仕込みに時間かかるじゃんね?」
「ご飯時に下に聞きに行ってみたら?」
「そーしよ。」
それぞれ手分けして食材をしまうと、途端に手持ち無沙汰になった。夕食の時間まではまだかなりある。
「唯、これからどうしよっか?」
「ここにずっといても良いし、集落までくらいなら出てても良いとか言ってたよね。」
「暑いっちゃ暑いけど、うちの周りよりは涼しいよね…散歩でもしよっか?」
「晴ちゃんが行きたいなら付き合うよ。」
8月も末、暑さはピークを過ぎたと言ってもまだまだ暑い。帽子を被ってペットボトルをカバンに入れたら、二人連れ立って外へと向かった。
ところどころに羊のような雲がぽっかりと浮かんで流れていく。暑いとはいえ、吹いてくる風は平地よりもすっきりとしていて心地よかった。
唯も風を気持ちよさそうに受けながらあちらこちらに視線を向けている。時々驚いたような表情を見せるが、すぐにそれも緩んでクスクスと笑っている。
自然と繋がれた手は、あの日以来ずっと恋人つなぎだ。段々と慣れてきている自分に驚くような、呆れるような。でも、ちっとも不快じゃなかった。背丈は5cmしか違わないのに、その手はしっかりとした骨格で、私よりも大きくて力強い。ドキドキと安心感と面映ゆさが同時に感じ取れる、唯の手はちゃんと「男性」のものだった。
しばらくは他愛ない会話だったのに、段々と口数が減って、沈黙の時間が増えて…それでも不思議と心地良かった。山道を歩いていく靴音、風に揺れる木々のさざめき、たまに聞こえる鳥の鳴き声。
ふと隣を見ると、唯も同じようにこっちを見て、目が合って微笑み合う。それが自然で何の気負いもなくて、ああ、私、ホントに唯が好きなんだな、ってストンと納得が落ちてきた。
「晴ちゃん、どうしたの?」
「ううん、何か、ちょっとした疑問が解決しただけー。」
「え、何それ気になる!」
「えへへ、ナイショ!」
「えー!」
ちょっとふくれっ面になりながらもその目は笑っていて、いつものじゃれ合いも少し甘く感じた。これからも、こんな風に過ごしていけたらいいな…。
散歩から戻ると、六時を過ぎていた。まだ日は高いけど、夏の初めよりは日の落ちるのが早いな。
晩ご飯のタイミングと内容を確認しようと隠し階段を下りると、難しい顔の兄ちゃんととうさんがモニターの前で額を突き合わせて小難しい何やらを話し合っている。声をかけようか迷っていると、脇からかあさんが小声で呼び止めた。
「晴ちゃん、こっちこっち。」
「何、かあさん。晩ご飯どうするか聞きに来たんだけど。」
「それなんだけど、目処がつくまではカップ麺で良いよ。ずっと同じだと飽きちゃうからローテーションで。」
「え、ちゃんと食べないとダメじゃん。」
「美味しいご飯だと集中が切れやすいのよ。ミスも増えるしね。」
「それかあさんだけじゃん!」
「雪雄さんもだよ?」
「ダメ夫婦…!」
コソコソ声で告げられた内容に呆れていると。
「こういうのは一気に大筋をやり切らないといつまでも終わんないのよ。下手に休憩挟むと改善点とかやり足したいこと出てきてエンドレスだからさ。」
納得出来るような出来ないような。
しかし、実際に見たことも触ったこともない現場のことだ。これ以上は口出しする権利なんてないよね。
「わかった。時間はこっちで適当に持ってくるので良い?」
「ありがと。あ、お湯はポットで持ってきて。手が離せないとのびちゃうしもったいないでしょ?」
「はいはーい。んじゃ、お湯が沸いたらカップ麺3つとポット持ってくるね。」
そう言って上に上がると、聞こえていたのか既に唯がカップ麺を3つ用意していた。手際良いな!
電気ポットのお湯が沸くのを待って、再び地下に降りた。すると…。
「やはり分割バックアップ方式は効率が良いね。瑞穂くんの提案通りだ。こちらのプログラムやシステムの解析や飲み込みも早くて助かったよ。」
「こんなエグくてクセの強いシステム、見たことないっすよ…!確かにここのコードはこっちの方が安定しますけど、これってOSの改造ありきじゃないっすか。ヘンタイしかこれは組めませんって。」
「いやぁ、本職にそこまで褒めてもらえるなんて嬉しいなぁ」
(絶対に褒めてないと思う)と、四人の意見は一致した。声には出さなかったけどね。
かあさんを見つけて、カップ麺とポットを手渡すと再び一階に戻る。
「晩ご飯、どうする?」
「食材で使っちゃった方が良さそうなのもらおうよ。」
「生姜焼き以外でね。」
「それな。」
豚肉とキャベツと玉ねぎで炒め物、スープの元で卵スープ、白ご飯という簡単な食事を二人で作り、ちゃぶ台に向かう。
「「いただきまーす。」」
うん、我ながら美味しくできたと思う。
と、唯がポツリと言った。
「何か、不思議な気分だね。」
「不思議?」
「これまで、こうやって二人でご飯ってあんまりなかったな、って。」
「…確かにね。必ずどっちかの親が誰かしらいたもんね。」
「ちょっと気恥ずかしいけど、嬉しいな。」
照れたように笑う唯。見慣れたけど慣れないよ!可愛いの暴力!
おそらく顔が赤くなってしまっているけど、転がって悶えるのは必死に耐えた。頑張った私。
「大学生なんだし、これからはまだまだあるんじゃない?こういうの。」
「そうだね。楽しみだなぁ。」
ヤバい。唯が例の笑みで見つめてくる。昇天しかねない。神さま助けて。
赤面したあまりに言葉が出なくなった私を見て、仕方ないなぁ、という表情で唯が頭を撫でてきた。
「晴ちゃん、ホントに可愛い。このくらいで赤くなっちゃうなんて、攻略しがいがあるなぁ。」
「そういうの本人に言う?!」
「僕はもう言ったもん。だから良いの。」
「ふぐぐ…!」
くーやーしーいー!手の平でコロコロされてるのが丸わかりで、でもイヤじゃないのがもっと悔しい!!
「くっそ、ゆい!おぼえてろ…!」
「涙目なの反則だよ、晴ちゃん…!」
かろうじて唯も赤面した…!今日はこれで勘弁してやるー!と、悪役みたいな事を内心で叫びながら寝る準備を整えるのであった。




