【28】街に揺らめく確率の雲
幹線道路を走ってしばらくすると、まばらだった人家が丘陵地帯沿いに増え、車の数も多くなり、背の高い建物も見え始めた。ぽつりぽつりと大学での授業の話をしたり夏休みの予定を確認したりしていたが、だんだんと唯の顔が怪訝そうになっていく。
「唯、どうしたの?車に酔った?」
「いや、それは平気なんだけど…ちょっと、こんな見え方してたかなって…。」
「え?何が?」
「車で移動するのが久しぶりだからかな…ちょっと、黒いモヤの見え方が…。」
「へ?!あのモヤ、見えてるの?!」
「言ってないだけで、割とあちこちで見るんだよ。でもいつもはこんな見え方してなくて…。」
「唯くん、どんな風に見えるのか、違いも含めて教えてくれるかい?」
とうさんが後ろの席から乗り出して話に加わってきた。かあさんもけっこう前のめりに聞き耳を立てている。
「いつもは出る場所ってだいたいこの辺、って決まってたり、違う場所に出ても短時間だったりしてて…。」
「それは家の近くで、ってことだね?」
「家の近くだけじゃなくて、旅行に行った先とかでもそうなんですけど…。さっきの、家が増えてビルが混じるようになった辺りからちょっと…いやけっこう違う見え方になってきてます。」
「どんな風に?」
「かなり範囲が広いんですけど…ふわっとしたり、吹き上がったり、それが何というか…ゆるやかなでっかいモグラ叩きみたいにあちこちで出たり引っ込んだりしてるんです…。」
「「「モグラ叩き?!」」」
唯の言葉に思わずハモるとうさん達と私。
「いや、その、モグラ叩きって言葉はアレなんですけど…高校の物理でちょこっとだけやった量子力学の動画でそんな感じのものがあったんです。それを見た時に『モグラ叩きみたいだー』って思ったら、それからずっと頭から離れなくて…!」
唯も『イマイチな比喩だけど他に思いつかない』って顔に書いてあるくらい恥ずかしそうに顔を赤くしている。なんだおまえカワイイなコノヤロ!
すると、とうさんがはたと気付いたようにスマホで検索し始めた。
「唯くんが見たのってもしかして、これじゃないかい?」
「あー!これです!」
「これは量子力学で言うところの『確率の雲』をわかりやすく可視化したモデルでね。本来、電子のような素粒子は定位置を持たずに、面で『ここだよ!いや、こっち!』って絶えず揺らいでいる状態なんだよ。授業でもよく使う、有名なモデルだね。しかしモグラ叩きか…唯くんの言葉のセンスもなかなか面白いね!」
「それ、褒められてるんだか遠回しにけなされてるんだかわかんないよ、とうさん。」
「えっ!褒めてるんだけど?!けなす要素なんてないよね?ね、凪ちゃん!」
「雪雄さんの言葉のセンスも唯くんと近いんじゃないかなー?」
かあさん…二人がどういう意味なのか頭抱えちゃってるじゃん…こういう時にとうさんで遊ぶセンスが抜群のかあさんには言われたくないと思う…。
しばらくして立ち直ったらしいとうさんが、考え込むような表情で話し始めた。
「黒いモヤは世界の境界が曖昧で情報の行き来が可能な場所に引かれて出現する…ならばそこは世界線の境界が揺らいでるポイントなのか…?そういや唯くんをこれまでわかっている揺らぎポイントに連れて行ってなかったな…しかしそれが波打つように………?ポイントが点ではなく面で揺らいでいる………?」
「唯くんがいうところのモグラ叩きみたいになってるなら、エリアそのものが揺らぎポイントってこと?でも、そしたら私たち、何度もこれから行く場所とかその周りに行ったことあるわよね?ああいう賑やかな、事故もなかった場所でまたいだ記憶なんてないけどなぁ…?」
「詳しくは行ってみないとわからないが、まずは『彼女』と会うのが最優先だね。他の疑問はそれから考えるとしよう。」
「それもそうね。」
小難しい話は一旦棚上げとなったようだ。良かった。私と唯はそっと胸をなで下ろした。
「そろそろ待ち合わせ場所に着くわよ〜。」
運転席の呉羽おばさんがお知らせしてくれた通り、車は県庁所在地のこの市で一番大きな駅のロータリーに着いた。私たちが住んでいるところの駅とは比べものにならないくらい大きいこの駅では、駅前ロータリーと言っても3箇所あるため、初見では迷子になる人が後を絶たない。ただ、これから会う方は地元なので問題なく、むしろあちらから場所を指定されたそうだ。
「このロータリーの大きなオレンジのポストの近くで良いのよね?」
「そう聞いたよ。…あ!あの人!あそこにいるのが茜田穂奈美さんだよ!」
かあさんが指さす方向を見ると、黒髪を右肩に流して結んだ繊細な美人さんが会釈している。フェミニンで優雅なペールオレンジのワンピースにレースのカーディガン、足元はサンドベージュのオープントゥパンプスだ。なんというオシャレさん…!
ハザードを出して停車した車からとうさんたちが降りて彼女へと近付く。握手を交わして車に戻ろうとしたその時…
「黒いモヤが湧き上がってきた!…えっ…?!」
いきなり唯が叫んだかと思うと車から飛び出してとうさんたちに向かっていった。慌てて私も後を追うと、泣きそうな彼女と途方に暮れたとうさんたち、頭を抱えた唯が立ち尽くしていた。
「晴ちゃん…大変だ…この三人、別の世界線の三人だよ…。」




