【16】君と見る海のかけら〈後〉
深海エリアにやってくると、深海おなじみのタカアシガニやダイオウグソクムシ、深海ザメに熱水噴出孔周囲や鯨骨周囲の生態系などなどなど、深海マニア垂涎の展示が目白押しだ。
「わぁ!サケビクニン!」
「こっちはマツカサウオの発光だね…うわ、ここの水槽の構成、相変わらずクオリティ高いな…。」
「今日は…いた!ラブカ!ラッキーだなぁ!」
「その代わりにメンダコはいなかったね…。」
「メンダコはSSRだから…!」
薄暗がりの中、暗さに比例するかのように密やかな声で話しながら進んでいくと、細やかな工芸品のような編み目の籠が見えてきた。
「そっか、カイロウドウケツとドウケツエビってここだったね。どこで見たのか忘れてた。」
「ここと沖縄でしか見られないみたいだよ?」
「そうなんだ…あ、エビもちゃんといるね。」
「そりゃ、展示するならエビの同居は必須でしょ…」
ふと、カイロウドウケツに見入ってる唯の表情に違和感を覚えた。さっきまでのワクワク感と、細部まで見落とすまいとした真剣さが同居した表情とはわずかに違っていた。
その視線は水槽に据えられているのに、何故かその奥にあるものを見つめているようだった。笑顔なのに、憧れと情念、わずかな罪悪感のようなものが入り混じって複雑な影を落としていて…。
ゾッとするほど綺麗だった。
「エビたちは、何を考えているのかな…?」
「へ?エビたち?」
「外敵は来ないし、食料に困ることもないけど外に出られないし自由もない。この子たちは幸せなのかな?」
「それは…エビじゃないと分からないと思うよ…?」
「そうだね…。でもさ。」
こちらを見て柔らかく微笑んで言った。
「一緒にいるのが一番大事な相手だったら、最高に幸せかもね。」
「………そうかもね。」
「ちょっと時間かかっちゃったね。少しだけスケッチしたら次に行こうか。待ってて。」
さっきまでの雰囲気をあっという間に消し去ってスケッチブックを取り出すと、いくつかのデッサンを描きはじめた。
さっきのは何だったんだろう?聞きたいような、聞いたらいけないような…。
うん。こういうのは悩むだけ無駄だ。私には向いてない。私は見なかった気付かなかっただから気にするようなことは何もなかった。よし。
次にどのエリアを見るかで意見が分かれた。南国のサンゴ礁大水槽を見るか、確実に時間を食うクラゲに絞るか。
「熱帯魚って種類多すぎてフォーカス絞りきれなさそうなんだよね…。そうするとクラゲに時間をかけられなくなっちゃうな。」
「目についたのを片っ端から描くとかは?あとは有名どころと気に入ったのを数だけ決めて描くとか。」
「デザインの幅を出すならそれもありかな…?」
「あのさ、オネダリしても良い?」
「お、オネダリ?!」
「私さ、チョウチョウウオ好きなんだよね、あとツバメウオ。時間のある時で良いから、描いてくれないかな?」
「あ、あー。そう、だね。前にも言ってたもんね。それじゃサンゴ礁大水槽に行って大急ぎでスケッチしてからクラゲエリアに行こう。」
「やった!唯の描くイラスト、可愛くて大好きなんだよね!」
水族館でスケッチすると聞いてから密かに狙っていたオネダリ成功!海の生き物で好きな子は数あれど、チョウチョウウオとツバメウオは熱帯魚部門でトップ争いするくらいにお気に入りなのだ。
これまで、何かにつけてはイラストをせしめてきたものだが(これは断らない唯にも問題あるはず)、どれも額装して部屋に飾ってある。まるで唯のイラストによる水族館だ。
ウキウキしながら大水槽に到着すると、唯はよほど時間が惜しいのか、すぐにスケッチを始めた。
サンゴがまとまっている場所にはカラフルな小魚たちが踊るかのように泳ぎ回っている。その上には群れをなすタカサゴやアジ、悠々と泳ぐホシエイ、ツマグロ、ナポレオンフィッシュ…。
雄大な景色に見惚れていると、唯の呟きが耳に入ってきた。
「晴ちゃんにはやっぱりこっちの明るい海が似合ってるなぁ…。」
思わず振り向くと、眩しいのか目を細めて唯が微笑んでいた。ゆらゆらと揺蕩う水の中を通り抜けた光が唯を包んで見えて、まるでどこかの宗教画みたいだな、なんて陳腐な感想しか出てこなかった自分の語彙力が残念すぎた。
「唯こそ、明るい海も暗い海も似合ってるじゃない。」
「それ、褒めてる?」
「褒めてる褒めてる。」
「軽いなぁ!」
くすくす笑いながらも描く手は止まらない。もう何枚描けたんだろう?スケッチブックを覗き込んでみると、ちょうどツバメウオが完成したところだった。
「うわぁ…!スケッチでこの完成度…可愛いなぁ!」
「なかなかこの子がこっちに来てくれなくてどうしようかと思ったよ。」
「オネダリゴメンよ!」
「満面の笑顔でゴメンって言われるの、こんな感じなんだね。」
ふてくされたように言いながらも目は笑っている。
「そうだ、そろそろクラゲ見に行かないと、時間ギリギリになっちゃうよね。」
「クラゲは外せないから、急がないと!」
閉館時間を気にしながらクラゲエリアに急ぐと、再び暗めな空間に様々にライトアップされたクラゲたちが壁一面に舞っていた。定番のミズクラゲやタコクラゲ、ブルージェリー、シーネットル…。ゆったりと華やかに、水流に乗って触手を翻す様子はまるで半透明の妖精のようだ。
唯は一通り流し見すると、パシフィックシーネットルの前でスケッチを始めた。暗い照明の中でゆっくりと色が変わるライティングに照らされている唯の横顔は、明るい場所で見たそれと同じようで違うようで。クラゲを見て回りながらも、意識の半分は唯に持っていかれてた。
「ヤバいなぁ………。」
唯に対する自分の気持ちは自覚しているけど、唯にとって私が最適解ではないという自覚もあって。でも、何よりもこの距離感を保っていたい、ズルい打算が気持ちを封じ込める最大の理由だ。そんな自分への嫌悪感もない混ぜになって、ギヤマンクラゲの水槽前で貼り付いたように足が止まってしまった。
「………来世はクラゲとか、プランクトンが良いかなぁ…?」
「晴ちゃんはクラゲになりたいの?」
耳元で不用意に囁くの禁止したい。真面目に。
しかもガラス面越しに映る唯の表情ったら、多分全人類が陥落するんじゃないか(当社比)ってくらいの傾城っぷりでさ!視線が合ったら妊娠騒ぎ起こるレベルで色っぽい…!
ここが暗くなかったら赤面して変な顔になってるであろう事がバレてたよね…クラゲエリアグッジョブ。それにしたって近すぎ問題再び。
「び………っくりしたぁ…!だからさ、近いって!心臓に悪いでしょ!」
「ごめんごめん、ギヤマンクラゲ見ようと思ったら晴ちゃんも見てて、そしたらクラゲになりたいとか言ってたから。」
「クラゲなんかのプランクトンって考えることなさそうだからのほほんとしていられるかな?って思っただけだよ。」
「時々、晴ちゃんの感覚がわかんないや…。」
近いって言ってるのに離れないな、こいつ…。色っぽく苦笑しながらも触れるかどうかのギリギリラインで斜め後ろに立たれると、位置的にガラス前から動けない…!
「スケッチは終わったの?」
「ギヤマンクラゲ描こうかと思ったけど、もっと良いもの見られたから満足しちゃった。」
「え?邪魔だったんじゃない!どくから描きなよ!」
「いいのいいの。それよりお土産見る時間なくなるからショップに行こうよ!」
ぐい、と手を取られてミュージアムショップに向かう。何だろう、このドナドナ感。
「今日はどのお土産買おうかなぁ…?」
と呟きながらも手を取ったまま連れ回される。
「唯、私ちょっとお菓子見てくるから…」
「あ、それなら僕も!ここのチョコクランチの缶、デザイン良いなーって気になってたんだ。」
何故連行されたままなんだ…。
お菓子コーナーで気にしていた缶を発見したので、すかさず買い物カゴを取りに行こうとすると。
「これ、キープしとこ。」
チョコクランチの缶と私の手を握りしめたままついてくる…。カゴを手にすると、ようやく手が離れてカゴを取られた。
「カゴありがとう。晴ちゃんも欲しいものあったら入れちゃってよ。会計一緒にした方が早いから…」
「いや!私のは私が買うから!そうやってまた奢ろうとしてるでしょ?」
「えー、そんな事は………」
明後日の方向を向きながらしらばっくれる唯を尻目に、自分のカゴを持ってお菓子を物色する。チョコクランチは自分で買うみたいだから、とクッキーや煎餅なんかを見て回っていると、可愛らしい熱帯魚のキーホルダーが目に入った。珍しく4種類のチョウチョウウオがラインナップされている。
「わ、これ良いなぁ…。でも、私がつけるには可愛すぎるのがネックだよねぇ…。」
軽くため息をついて諦めると、両親への煎餅と自分用にベルーガモチーフのマシュマロを選んでカゴに放り込んだ。
唯は、と見るとぬいぐるみの前で真剣に悩んでいた。真ん前にあるのはペンギンのぬいぐるみ。しかし、よく見ると隣には卵のようなぬいぐるみが並んでいる。
「これ、卵からペンギンになるんだよ…!」
さ、最近のぬいぐるみはそんなギミックがあるのか…!ぬいぐるみ自体の造形もなかなかにクォリティが高い。こりゃー唯みたいなペンギンマニアにはたまらんだろうな。
「欲しいけど…これ以上増やすわけにはいかない…!」
ぐぬぬと我慢する唯を見て、さっきの私みたいだな、って笑いがこみ上げてきた。
唯が別の品物を見ている隙に、むんずとそのペンギンをつかむとカゴに放り込んでレジに向かった。これで貸し借りはなしに出来る(ふんす)!
帰りの電車はそれなりに混んでいたけど、途中から運良く2人で座ることが出来た。お土産の袋から大きめの紙袋に包まれたものを唯に渡す。
「唯、これ、今日のお礼。可愛がってやりな?」
「え?これって…?」
ガサガサと袋を開けると、さっきのペンギンが出てきた。
「晴ちゃん………!ありがとう…!」
「収納スペースは自分で何とかしてね。こういうのは悩んだ時はゲットしておくべきらしいよ?」
「うん、大事にするよ…!どうしようかな、ペンギンコーナーに空きあったかな…?整理しないとだよね…。」
ペンギンコーナーがあるんかい…。思わず苦笑したが、真剣にペンギンを握りしめながら悩む唯の顔に、買ってよかった、と安堵の気持ちが湧いた。
「あ、そうだ。忘れないうちにこれ付けようっと。」
唯が唐突にカバンからキーホルダーを取り出して自分のバッグに取り付け始めた。あれ?これ、あのチョウチョウウオのキーホルダーだ…。
「唯、この子たちそんなに好きだったっけ?」
「今日描いてみたら思ってた以上にバリエーションあって楽しくなっちゃったんだ。だからその記念だね。」
「確かに!」
今日見た感想を語り合ううちに最寄り駅に到着した。そのまま自宅までのんびりと歩く。
「今日は楽しかったなぁ!誘ってくれてありがとうね。」
「こちらこそ、すっごく楽しかったし良いスケッチも出来たよ。付き合ってもらったお礼に、これ受け取って。」
「え?これ何?てかお礼はこっちがするもんじゃん!」
「良いから良いから。ほら、ついちゃったから、これ。」
いつの間にか到着していた玄関の前で、小さな紙袋を渡された。
「それじゃ、また明日!それと、水族館にもまた行こうね!」
爽やかにそう言い残して、唯は玄関をくぐっていったのだった。
帰宅して自分の部屋に戻ると、唯のくれた紙袋を開けてみた。
出てきたのはトゲチョウチョウウオのキーホルダー。唯がかばんにつけていたのはフウライチョウチョウウオのキーホルダーだった。
「ちょ、これって、こっそりペアじゃない…!」
最後の最後でしてやられた私はベッドの上で悶えるのであった。
個人的にはトゲチョウチョウウオがイチオシです。




