【14】知らなくていいこと、知らなければならないこと
ランチタイムを過ぎて客足が鈍った頃、白瀬家のお騒がせ夫婦と黒部家のツッコミ夫婦は喫茶店「青い鳥」の窓際のテーブルを囲んでいた。既に食べ終わったランチの皿は片付けられ、食後のコーヒーがそれぞれの前で香ばしい香りを漂わせている。
「相変わらず、ママのコーヒーは格別なんだよねぇ…。普段はコーヒーなんて飲まないのに、ここに来ると何故かコーヒー頼んじゃう。」
「わかる~!私も凪ちゃんと同じでお茶派なんだけど、ここではコーヒー頼んじゃうわね。」
「豆の品質もさることながら、やはりママの腕前に依るところが大きいんだろうね。」
「俺用のコーヒーマシンでもこの味は出せないもんなぁ…。ここの豆を買って帰ってもダメなんだから。」
しばらく雑談を交わしながらコーヒーを味わう。そうするうちに、4人以外の客がいなくなった。
訝しげに周りを見回す4人に、オーナーの青木ママはウィンクしながら告げた。
「何か特別な話をしたいんでしょ?夜の営業まで貸し切りにしたげる。」
「えっ?!」
「さっき、臨時休業の札を下げといたから。」
「…何でわかったの、ママ…?」
「皆さんの顔見たらわかるわよ。これでも客商売長いんだから。私もいたら不味いだろうから、2階に上がってるわね。何かあったら呼んでちょうだい。」
にっこりと笑ってさっさと2階席へと上がっていってしまう。
「流石だな…。」
「ちょっとは見習え、雪雄。」
「人には向き不向きというものがあると思うんだ。」
「開き直るな…。」
ため息を付くと、隼瀬は切り出した。
「で?有給まで使ったんだ。キリキリ吐いてもらおうか?」
「カツ丼が欲しくなるねぇ。」
「ランチセット食ったばっかりだろうが。誤魔化してないでさっさと話せ。」
「しょうがないなぁ。隼瀬くん、我慢の利かない子はモテないよ?」
「呉羽にモテてるから要らん。」
まぜっ返しながらも、どこから話すべきかを思案していると凪が手を挙げた。
「あのね、正直なところ私も全部が全部わかってるわけではないの。だから、ちょうどいいから私にも話せるところは全部教えてくんないかな?これからはちょっとした行き違いが大きくなる可能性もあるんだから、その目は潰しておきたい。」
「凪ちゃんにもわからないことあったの?」
「雪雄さんとは頭の出来が違いすぎるもん。説明されてもわかんないことなんて星の数ほどあるよ。」
「敢えて聞かなかったわけではないと?」
「敢えて聞いてない部分もあれば、聞いてもわからなかった部分もあるね。それでも、私がわかる範囲で聞いた上で、私がやるべきと判断したからゲートも扉も作った。そこは雪雄さんだけの責任じゃないよ。」
3人の視線が雪雄に注がれると、観念したように上を向いて息を吐き出した。
「わかった。これから話すのは、今後一切知らなくても何の支障もなかった話だ。けれど、知ってしまったからには否応なく私たちに巻き込まれることになる。その覚悟はあるかい?」
「ここまで来て、怖気づくような人間だと思われてたなら心外だな。これは俺らも知っておくべきこと、いや、知らなきゃいけないことだろう?」
「私なら当事者だもん。腹は括ってるわよ。」
「知らないと、みんなをサポートできないじゃない。仲間外れにされるのは困るわね。」
「………ありがとう。なら、私も腹を括るとするよ。」
居住まいを正すと、雪雄は淡々と語り始めた。
雪雄が生まれ育った世界。それは科学が進歩の極みに達した世界だった。知識や技術に重きが置かれ、学ぶことが何よりも尊ばれていた。
そんな世界で育った雪雄もまた、学ぶこと、知識を得ることに貪欲だった。成人とされる20歳で、こちらでいう大学にあたる学舎に在籍していた。
その雪雄が成人となる年に、事故は起きた。
きっかけは些細なことだったように覚えている。些細な、しかし数多くの出来事が、ひとつの致命的な大きな事象へとあっという間に拡がってしまった。
多くの人が、些細な出来事のトリガーだった。雪雄もその一人だった。
その世界では、既に多世界解釈における他の世界線へのアプローチが可能となっていた。こちらの世界では知られていないエネルギーの流れや物質の振る舞いすらも読み解かれ、簡易に、そして安易に世界の間を掻き乱すようになっていった。
それは転移であったり収納であったり、小規模ながら時間の巻き戻しであったりと、かつてない程の規模で一般社会へとその技術が浸透していった。
そして、破綻した。
わずかずつの世界同士の干渉が、穿たれた小さなワームホールが、撚りをほんの少し戻した時間が、そんな積み重ねがどんどんと世界を歪め、歴史蓋然性の近いものからある程度離れたものまで巻き込んで一斉に大きく破断してしまったのだった。まるで海底プレートのゆがみが溜まりに溜まって大地震が引き起こされるかのように、多くの世界線を巻き込んで歪み、ねじれ、引き千切られ弾け飛んだ。
それは世界同士の干渉を認識していない世界では単なる大事故として、認識されている世界では複数の世界を巻き込んだ重大な干渉事故として把握された。
「これが、私がここに来た理由で原因なんだ。」
しん………と沈黙がその場を支配した。
事の規模の大きさに隼瀬は言葉を失い、呉羽もまた混乱の極みにあった。
そして、凪は凪で自分の運命の幸と不幸の妙を噛み締めていた。
ポツリと凪は呟いた。
「私が生きていられたのは、雪雄さんたちの世界のおかげなのかもね…。」
「えっ?」
「私は兄弟弟子の妨害で起こった魔道具の暴走事故に巻き込まれたんだよ?もし世界の破断がなかったら、そしてここに飛ばされなかったら、その場所で肉片になるか潰れるか、いずれにしても命なんてなかったはずなんだよ。」
「それはそうだけど…。」
「もちろん、困ったことが何もなかったわけじゃないよ。そもそも世界がまとめてぶっ千切れるような事態、そうそうあるもんじゃないでしょ?命があるだけラッキーなんだよ。」
「全く知らない世界に飛ばされたのに?」
「だから、来たばっかりの時は確かに大変だったって。魔力が使えない世界があるなんて初めて知ったし。」
「そう、そこなんだ!」
「「「へ」」」
思わぬ大きな声に、3人は目を瞬かせた。
「僕やこの世界と、凪ちゃんの世界…歴史蓋然性が遠すぎるんだよ。」
「もうちょっとわかりやすく」
「多世界解釈での世界線同士の干渉は、辿ってきた歴史、すなわち素粒子レベルでの挙動が近ければ近い程起こりやすいと話したことがあるね?」
「うーん、そういう事もあったような………?」
「でだ。私と凪ちゃん、もっと言えば隼瀬くんと呉羽さんは全員同じ言葉を話しているね?」
「………あ!」
「これはこの国で起こったことと似た歴史を歩んできた証拠でもある。」
雪雄の指摘に、思わずといったように凪は
「確かに、言葉には困ったことなかったけど…。」
と呆然としていた。
「けれど、凪ちゃんの世界とは人の生活レベルや価値観、さらに魔力、マナというこちらや私の世界では存在しないエネルギー法則という重大な差異がある。」
「それって………。」
「物理法則が確定する辺りから違う分岐へと進んだ世界に凪ちゃんがいた、ということだよ。」
「てことは、つまり」
「あの世界の破断は私が想定した以上の規模だった、ということだ。そして、凪ちゃんの世界はおそらく収斂、収束したように私たちの世界と似た状況へと歴史を辿ってきた。だから言葉が通じたというだけ。」
「わかったようなわからないような…でも、そしたらどうして雪雄さんは世界に穴を開けてまで行き来しようとしてるの?また世界が捻れちゃうんじゃ…!」
すると、雪雄は困ったように頭を掻きかきため息をついた。
「その心配は確かにあったよ。でもね、破断の痕跡や他の世界への影響を調査するにはどうしても必要だったんだ。世界の隔たり越しの観測ではどうしても限界があったからね。」
「それは雪雄、お前がやらなきゃいけないことなのか?」
「そうだね…。最初は私もそんなことするつもりはなかったよ。隼瀬くんと大学で出会った時も。だけどね、知ってしまったんだよ。」
「…何をだ?」
ふと、雪雄の視線が凪に注がれた。
「凪ちゃんと出会って、事情を知って、起こった出来事の本質を知って。」
「………。」
「凪ちゃんと、晴ちゃんに、出会えた。」
「…それが理由か。」
「最大の理由のひとつだよ。他には隼瀬くんや呉羽さん、白瀬の義父さん義母さん、大学の研究仲間……。私は欲張りなんでね。大事なものは手元で囲っておきたいんだ。」
「欲張りにも程があるな。だいたい、綺麗事で上手くまとめようとしてるけど俺にはわかってるぞ。」
「何がだい?」
「単なる好奇心と知識欲もないとは言わせんぞ。」
「あ~、さすが隼瀬くんには敵わないや。」
あっけらかんと笑い飛ばす雪雄。そこには微塵も後ろめたさはなかった。
「そこをないがしろにしたら私じゃなくなるからね。でも、私の持てる力で私の大事なものを守れるとしたら、それは最高に滾るってやつじゃないかい?」
「確かに!」
苦笑しながらも首肯する隼瀬に呉羽が静かにツッコんだ。
「隼瀬さん。そこで丸め込まれてどうするのよ!」
「おっと。」
「呉羽さんもなかなかどうして、やるねぇ…。」
「男の人ってそういう話で煙に巻くの、常套手段ですから。」
ニヤリと笑う呉羽に残りの3人はそっと冷や汗を拭った。
「呉羽ちゃん、過去に一体何が…!」
「俺じゃない、俺じゃない…はずだ!」
「はず、ってなんだい隼瀬くん…。」
んんっ、と咳払いし、隼瀬が改めて雪雄に尋ねた。
「扉を作った事情と理由は何となく分かったと思う。問題はこれからだ。」
「扉の運用と今後の方針だね。」
4人の顔が改まり、話し始めようとした時。
「そろそろコーヒーのおかわりはいかが?」
階段から顔を覗かせたママが笑顔で割り込んできたのだった。
「「「「うわぁ!!!」」」」
「聞いてたわけじゃないわよ〜、気配が動いたかなって思ったから…。」
「この人、組織の手のものとかそういう…?」
「物騒な発想ね…。」
「取り敢えず今日のスペシャルコーヒーでいいな?みんな。」
「はーい」
「スペシャルコーヒー4人前ね!」
そう言うとカウンターの中でコーヒーを用意し始めるママ。4人は目を見合わせて深いため息をつくのであった。




