07.喫茶店
幸は提案した。「なぁ、今日は休暇だからみんなでどこか行かないか?先ずは、親睦を深めようじゃないか」
「行く行くー!」と間髪入れずに答えたのは旅神だった。班員総出で市街に繰り出すことにした。非番のため、研究所の制服は脱いで、私服で赴いた。真門以外は和服だったが、真門は洋装を異国の紳士さながらに着こなしていた。背丈があり眉目秀麗な青年は、街中で年頃の乙女から熱い視線を浴びていた。
古書店で術関連の本を漁っていた時だった。
1人の女が真門に頭を下げた。
「士郎様。お久しぶりです」
「香夜じゃないか。久しぶりだな」真門に下げた頭を上げた時、伏し目がちな瞳から憧憬の意を感じた。女は濡れたような黒い髪をしていた。ふと幸と視線が合った。幸は顔を赤らめ視線を泳がせた。
「こちらの方は?」
「ぁあ。紹介するよ。僕の組手の泰山だ」
女は幸一瞥すると。頭を下げた。
「どうも」幸はどきまぎしながら答える。
綺麗な女だったので、緊張したのだった。
「あの」と女は言いかけた。
「なっ、何でしょう?」
女の伏し目がちだった瞳に力が入った。幸は思わず身構える。
「士郎様の足を引っ張らないでくださいね。この方は国を背負うお方ですから」
「あっ、はい」
幸はなんとも情けない声が出た。それだけ言うと女は足早に去っていった。
「随分。君のこと慕っているんだな。誰なんだ?」幸は落ち着きを取り戻すため、なるべくさり気なく尋ねた。「真門家抱えの水の術師の娘だよ。従者だからそういう風にみえただけさ」
「そうかな?あれは恋い慕っているようにすらみえたよ」「だとしたら…いや何でもない」真門は言いかけて辞めた。真門士郎はこう言いたかった。だとしたら迷惑だ、と。色恋沙汰ほど、術の安定を削ぐものはない。そのようなかりそめにうつつを抜かす必要はない。それが彼の経験から得られた信条なのだった。
「おーい、置いてくぞ」という旅神の声が聞こえ、2人は出口へと向かった。
喫茶店に入ると、それぞれに注文した。旅神は餡を追加した餡蜜とアイスコーヒー。南雲と真門はブレンドコーヒー。幸はほうじ茶を頼んだ。「茶店に入って、ほうじ茶は野暮だろう。この琥珀色の浪漫がわからんかね?君には」と珈琲を頼まなかった幸を旅神が揶揄する。「お前こそ、甘党が過ぎるだろう。餡を追加して、珈琲に糖蜜をそんなに入れて…。見てるだけで胸焼けがする」「甘いは美味いんだよ!」
2人のやりとりをやれやれ、全く賑やかしいという顔で南雲は眺めている。
南雲が煙草を取り出した時、真門が指先の青白い炎を差し出した。
南雲は真門を一瞥すると黙って、くわえ煙草を差し出した。
「便利だな」南雲は紫煙を吐き出した後で、言った。「子供の時分から練習したのさ。力を制御できるのもまた力だ。私の組手は抑えが過ぎて困るが」犬猿の仲の2人のやりとりを内心ヒヤヒヤしながら聞いていたら、自分の名前が出てきたので、幸は少し驚いた。
「これには訳が…」南雲は諦めたような様子で、「どうせトラウマか何かだろう?」と頭を掻いた。「何でそれを?」「あのなぁ。研究所にいるやつなんてみんな訳ありだよ。術の使えるやつなんて道化レベルなら見世物小屋、軍事レベルなら戦場さ。いずれにせよ、いわゆる普通の穏やかな人生とは縁がないってこった」幸は黙ってそれからほうじ茶を飲み干した。普通の、穏やかな、人生。幸は南雲の言葉を反芻した。




