05.雪
幸は真門から目が離せない。幸はずっと心の奥底にある消したくても消えない記憶を引き出さなければならなかった。「僕は、人を殺めたことがある」幸は真門からやっと目を背けた。
しんと寒い日だったと思う。雪かきを終えた帰り道、姉に手を引かれて歩いていた。幸は氷の術を体得しているからか、そこまでの寒さは感じなかったが、息の白さや、握られた姉の手の温度から外気を感じ取った。幸の住んでいた村は豪雪地帯で、冬になると大人の背丈を越えるほどの雪が降り積もった。そのため冬季は外仕事が減り、女達は機織、男達は鍛治などした。家に帰ったら、反物を仕上げようかと姉が話していた時だった。納屋の奥から、麻袋をもった男が飛びかかってきたのだ。男は、姉を突き飛ばして幸をひったくるようにして袋に入れようとした。幸が抵抗し、男がまごついている間に、姉が男を雪掻き道具で突いた。男がよろめいた隙に幸たちは母屋の裏山の方へ走った。しかし、辺り一面の新雪で足場が悪く、逃げきれそうも無かった。振り返ると、男が鉈をもって追いかけて来ているのが見えた。男は幸たちに追いつき、鉈を振り回した。姉は幸を庇って、男の鉈が当たった。姉の背から血が滴りあたりの雪を染め上げた。「若葉姉!」少年の悲痛な叫びは静かな銀世界に飲まれた。憎しみの氷心とでもいうのか。少年のただただ純粋な敵意が男へと向いた。その瞬間、男の首には鋭利な氷柱が刺さっていた。
男は即死だった。今考えれば、敵意なんて生易しいものではなかったのではないだろうか。それは圧倒的な殺意だったのではないか。幸は自分が恐ろしかった。
後からわかったことは男は誰かに雇われて、術を使える子供を拐おうとしていたということだった。冬場に仕事をなくして、困窮してした男に誰かが囁いたのだった。
もし姉を傷つけられる前に、防御ができていれば、男を殺めずには済んだかもしれない。黒幕を吐き出させることだってできたかもしれない。幼い幸は術のコントロールも戦略も持ち合わせていなかった。
姉は退役軍医の爺が手当てを施し、傷は回復へと向かった。しかし、背中には大きな傷痕が残ってしまった。母は嫁入り前の娘を傷物にしてしまった悲しみに暮れた。母はその後肺を病み、床に伏した。亡くなるひと月ほど前だろうか、母が幸に語りかけた。その日も雪が降っていた。「幸を産んだのもこんな寒い日だった。雪がこんこんと降っていてね。幸せが降るように、幸って名前にしたの」暫く間を置いて「ごめんね幸。こんな寒い日に産んだから、氷の術が宿ってしまったのかもしれないね。お前の行く道は険しいかもしれない」幸は自分の術は呪われていると思った。姉は傷を負い、母は死の床で子供達の行く末を嘆いてる。僕が居なければ。何度もそう思った。
それから虚な季節は過ぎていった。ことに冬は毎年憂鬱であった。このまま雪かきをせず、悍しい力と共に、雪に埋もれてしまいたいと思った。そんな中、姉と爺はいつも気にかけてくれていた。雪かきをサボっていると「ほーら!さっさと手伝う!」と鼓舞してくれたのは姉だ。爺は幸に国家術師になることを勧めた。「あんなことがあって、辛いのはわかる。急所を的確に一撃。あれは、術師の上級士官でも難しい。お前は若葉を守ったよ。お前にとって忌々しい力は、誰かを守ることができるんだ」爺がよくこう話してくれた。術は使いたくなかったが、襲撃されても防御できるように、訓練は怠らなかった。
入所してからわかったことは自分は
対人訓練において攻撃ができないということであった。「男の最期の顔が焼き付いて離れないんだ」幸は声が震えた。
真門は一通り聞いた後で、重々しく口を開いた。「術を持っていれば、それを利用しようとする人間も少なくない。だから、中途半端じゃダメなんだ。自分のものにしなきゃならない。己が術を統べ、使ってやるんだ」
真門は幸に歩み寄ると、肩に手を置いた。
「戦場にでれば、そのような経験をあと何百回としなきゃならない。…その男は死ぬべくして死んだ」真門は鈍い光を宿した榛の瞳を向けた。「私の手を汚したくなければ、強くなれ。決して喰われるな。君はもうガキじゃない。身内の者を守りたいのなら、明日から本気でこい」
幸は真門が出ていった後、ひとり格闘場に立っていた。陽はすっかり沈み、夜間ライトに照らされた青年の影は濃い。
「術を統べるってどうしたらいいんだよ」
幸はぼんやり、休暇に舶来の洒落物を買いに行こうかと思った。「ってまずは訓練だろう」青年は独りごちた。




