第四章 魔女を怖がる村
星屑きのこを使った薬が完成したのは、三日後のことだった。
調合に手間取ったのは、きのこの魔力成分が予想より複雑だったからだ。単純に煮出すだけでは成分が飛んでしまう。何度か失敗して、最終的に蒸してから低温で溶かす方法に行き着いた。
できあがったのは、琥珀色の液体だった。
セレナの飾りにほんの一滴垂らすと、飾りが短く光った。
「消えた」
セレナが自分の手首を見た。
「完全にじゃない。光る仕組みそのものを消せるわけじゃないから、また反応することはあると思う。でも、感知されにくくはなるはず」
「機械兵が来なくなる?」
「来にくくはなる」
セレナはしばらく飾りを眺めた。それから顔を上げて、リコリスを見た。
「ありがとう、魔女さん」
「べつに」
「べつにじゃないよ。すごいじゃん」
「試作品だから、完全には信用しないで。外に出るときは気をつけて」
言いながら、残った薬液を小瓶に詰めた。万が一効き目が切れたときのために、セレナに持たせておく分も作っておく。
モクが棚の上から見下ろした。
「して、外に出るとはどこへ行く気じゃ」
「村に、情報を集めに行こうと思って」
リコリスは小瓶の蓋を閉めながら言った。
セレナの記憶は、まだ戻っていない。飾りのことは薬でなんとかなったが、根本的なことは何も分かっていない。空島についての手がかりが欲しかった。そのためには、外の世界の話を聞く必要がある。村なら行商人も立ち寄るし、各地の話が集まりやすい。
ただし、村へ行くことにはためらいがあった。
「魔女だと気づかれたら」
モクが言った。リコリスの考えていたことをそのまま言葉にした形だった。
「気をつける。帽子を外して、普通の旅人のふりをする。セレナも一緒に来てもらえたら、ふたり連れの方が怪しまれにくいと思う」
「あたし行く」
セレナは迷わず言った。むしろ待っていたような反応だった。
「外に出たかったから」
「怪我は?」
「もう全然平気。走れるよ」
「走る必要はないけど」
翌朝、リコリスたちは村へ向かった。
森を出て、石橋を渡ると、道が広くなる。踏み固めた土道が、南へ向かって続いていた。両側に畑が広がって、遠くに家の屋根が見えた。空は晴れていて、風が穏やかだった。
リコリスは帽子を外して、袋の中にしまった。肩の少し下まで伸びた黒茶の髪を、そのままにするか結ぶか迷って、結んだ。森で暮らしているせいか肌は日に焼けておらず、顔立ちも目立つ方ではない。灰緑の瞳だけは、魔力を使うと少し色が濃く見えることがあった。
魔女帽子さえなければ、外見だけでは普通の少女と変わらないはずだ。問題は、魔法を使ったときだ。使わなければ分からない。今日は使わない。
そう決めた。
「緊張してる?」
隣を歩くセレナが聞いてきた。
「少し」
「顔が硬い」
「そう?」
「うん。もう少し力抜いた方がいいよ」
言われても、どうやって抜けばいいか分からなかった。リコリスが黙っていると、セレナが腕に手を添えた。
「あたしがいるから大丈夫だよ」
あなたがいると余計に目立つかもしれない、とリコリスは思ったが、言わなかった。言えなかった、の方が正確かもしれない。
村の入口に差し掛かった頃、モクが袋の中に潜った。顔だけ出して、外を見ている。古代文字の木札は布で隠してあった。
村は、思ったより活気があった。
市が立っているらしく、通りに露店が並んでいる。野菜、干物、布地、陶器。人の声が重なって、賑やかな空気がある。リコリスは久しぶりにそれを聞いて、自分が人の声に慣れていないことを思い知った。
うるさいというより、多い。声の数が多すぎて、どれを聞けばいいか分からない。
「いっぱいいるね」
セレナが言った。怖がっている様子はなく、むしろ楽しそうだった。
「市が立ってるのは知らなかった」
「いいじゃん。いろんな話が聞けそう」
それはそうだった。
リコリスは人の流れの外側を歩きながら、耳を向けた。商人の声、客の値切り声、子どもの笑い声。それに混じって、時々気になる言葉が聞こえた。
「森の方でまた変な音がしたって話」
「機械みたいな音だろ、あれ。隣村でも見たって言ってたぞ」
「魔女が呼んだんじゃないか」
最後の言葉に、リコリスは足が止まりそうになった。話しているのは、荷物を運んでいる男たちだった。
魔女が呼んだ。そう思われているなら、機械兵の暴走と魔女が結びついている。正体を隠していても、前提がそこにある。
セレナがリコリスを見た。聞こえていた顔をしていた。
リコリスは小さく首を振って、先へ進んだ。
薬草を扱っている露店を見つけて、そこに寄った。売り手は年配の女で、干した薬草の束が並んでいる。品物を見る振りをしながら、リコリスは世間話を振った。
「最近、変なことがあるみたいですね」
「ああ、森の方のやつかい。機械の音がするとか、光が見えるとかいう話でしょ」
「怖いですね」
「まったく。騎士様が調べに来るって話もあるよ。王都から来るらしいから、偉い人たちが気にしてるんだろ」
「偉い人、ですか」
「グランベル卿の名前が出てたね。あの人が動くなら、ただの森の怪異じゃ済まないよ」
女は声を落とした。
「あの人は、魔女が絡むと容赦しないって話だからね。捕まった魔女が戻ってきたなんて、聞いたことがない」
リコリスは、並んだ薬草の束を見つめた。
指先が、少し冷えた。
騎士団。リコリスは胸の中で繰り返した。
「空島のことを知ってる人はいますか? 古い話でもいいんですが」
女は首を傾げた。
「空島ねえ。古い話なら、村の端の方に物知りじいさんがいるけど。でも空島のことは知らない人の方が多いよ。上の方のことは、王都の偉い人たちが管理してるって話だから」
「管理、というのは」
「さあ、詳しいことは知らないよ。とにかくそういう話だってこと」
そこで話が切れた。礼を言って、リコリスは露店を離れた。
「管理……」
セレナが小さく繰り返した。
リコリスが横を見ると、セレナは露店の布地を見つめたまま、少しだけ顔色を変えていた。
「どうしたの」
「分からない。でも、その言い方、嫌な感じがした」
「王都が管理している、ってところ?」
「うん。誰かが、同じことを言ってた気がする。空は放っておけない、管理しなければならない、って」
セレナはそこで口を閉じた。
「誰が言ってたかは、思い出せない」
次の露店を見て回りながら、頭の中で情報を整理した。機械兵の話は村にも広まっている。騎士団が動いている。空島については、王都が何か知っている可能性がある。
手がかりが増えたとも言えるし、厄介なことが増えたとも言えた。
「リコリスさん」
突然、背後から声がした。
リコリスは振り返った。
三つ編みの栗色の髪をした、小柄な少女が立っていた。年はリコリスより少し下だろう。そばかすの残る頬に、少し日に焼けた肌。素朴な村娘の服装で、首に包帯を巻いている。
知らない顔だった。でも、声の呼び方がおかしい。名前を知っている。
「えっと」
「あ、ごめんなさい。でも、リコリスさんですよね。以前、薬を分けてもらったことがあって」
リコリスは記憶を探った。半年ほど前、森の縁で熱を出した子どもに薬を渡したことがあった。その子どもに付き添っていた少女が、目の前の子に似ていた気がする。
「あのときの」
「はい。ミラです。あのときはありがとうございました。弟の熱が下がって、本当に助かりました」
ミラは深く頭を下げた。リコリスは戸惑いながら、周囲を見た。誰かに聞かれているかもしれない。
「声、少し小さくしてもらえると」
「あ、ごめんなさい」
ミラは声を落とした。それでも笑顔は変わらなかった。怖がっていない。以前もそうだった。
「これは?」
ミラの首の包帯を指した。
「転んで。石で切っちゃって、昨日から痛くて」
「見てもいいですか」
ミラは頷いた。包帯をそっとずらすと、首の横に切り傷があった。深くはないが、端が少し赤くなっている。化膿しかけていた。
リコリスは持参した薬袋を開けた。化膿止めの軟膏と、清潔な布がある。迷う必要もなかった。
「少し沁みるかもしれないけど」
「大丈夫です」
傷を消毒して、軟膏を塗り、新しい布で押さえた。ミラは痛みに少し顔をしかめたが、声は出さなかった。
「二日くらいで良くなります。化膿が進んでなければ」
「ありがとうございます。薬代、払います」
「いいです」
「でも」
「今度でいいです」
今度があるかどうかは分からなかった。けれど、今日は受け取りたくなかった。
そのとき、広場の方から声が上がった。
何かが倒れる音。それから、悲鳴ではないが緊張した声が重なる。
人の流れが一か所に集まっていく。
ミラが顔を向けた。
「何だろう?」
「見てきます」
セレナがすでに人混みの方へ歩いていた。
「セレナ、待って」
リコリスもあとを追った。
広場の中心で、荷車が横倒しになっていた。荷が崩れて、道を塞いでいる。その下に、小さな子どもが挟まれていた。泣いている。動けない。荷車が重くて、周囲の大人たちが持ち上げようとしているが、上がらない。
リコリスは立ち止まった。
魔法を使えば持ち上げられる。でも、ここでは使えない。使ったら正体がばれる。
人の輪の外側で、リコリスは動けなかった。
セレナが輪の中に入っていた。子どもの様子を確認して、荷車の端を探っている。魔法ではなく、物理的に隙間を作ろうとしていた。
モクが袋の中で動いた。
「リコリス」
「分かってる」
「分かっておるか?」
大人たちが再び荷車を押した。少し動いたが、また戻った。子どもの泣き声が続いている。
やめようと思った。でも、足が動いた。
人の輪をすり抜けて、荷車の前に立った。
周囲の目が集まった。分かっていた。それでも手を当てた。荷車の底に、魔力を流し込む。物を持ち上げるための魔法ではなく、摩擦を減らして滑らせる方法にした。目立たない使い方だ。でも、完全に隠せるほど繊細にはできなかった。
荷車が動いた。
大人たちが引き、今度は上がった。子どもが引き出される。母親らしい女が飛びついた。
子どもの泣き声が少しずつ落ち着いた。
リコリスはゆっくりと輪の外へ引いた。なるべく顔を下げて、人の流れに紛れようとした。
でも、遅かった。
「あの子、何かしなかったか」
「光ったように見えたけど」
「魔女じゃないのか」
声が背中に当たった。リコリスは足を止めなかった。セレナが追いついて、横に並んだ。ミラも後ろからついてきていた。
村の外れまで来たところで、リコリスは立ち止まった。
手が少し震えていた。
「大丈夫?」
セレナが聞いた。
「大丈夫」
「震えてる」
「寒いから」
「寒くないよ、今日」
リコリスは返事をしなかった。モクが袋から顔を出して、リコリスの頬のそばに頭を寄せた。何も言わなかったが、温かかった。
後ろからミラが来た。
「リコリスさん」
ミラの声は、さっきより低かった。深刻ではなく、ただ真剣だった。
「あれ、魔法ですよね?」
リコリスは否定しなかった。
「怖いですか?」
ミラは少し間を置いた。
「怖くないです」
「村の人たちは怖がってる」
「知ってます。でも、わたしは怖くないです。あの子、助かったから」
リコリスはミラを見た。十四歳くらいの、普通の村娘だ。怖がって当然だ。でも、怖がっていない。それだけは本当のことだった。
「リコリスさんは、わたしを助けてくれた人です。弟も助けてもらった。あの子も助けてもらった。それが全部です」
リコリスはしばらく黙っていた。
ありがとうとも、どういたしましてとも言えなかった。ただ、胸の中に何かが溜まった。重くはなく、痛くもない。何か別のものだった。
「ありがとう」
結局それだけ言った。
ミラは頷いて、それから少し困った顔をした。
「あの、一つだけ言っておくと、さっきの騒ぎを見ていた人の中に、旅の服を着た人たちがいました」
「旅人?」
「たぶん騎士団の人だと思います。動きが違ったから」
リコリスは顔を上げた。
広場の方を見ると、人の輪がまだ残っている。その外側に、旅装の人影が数人見えた。こちらを見ていた。
目が合いそうになった瞬間、リコリスは視線を外した。
見られていた。どこまで見られていたかは分からない。でも、何かを見られたのは確かだった。
「帰ろう」
セレナとモクに言った。ミラに一度だけ頭を下げて、森の方へ向かった。
後ろから足音は来なかった。
でも、リコリスには分かった。
今日からまた、何かが変わる。




