第十九章 それぞれの帰る場所
三週間が過ぎた。
グランベルの件は、王都での精査が続いていた。アルヴィンを通じて入ってくる情報によると、証拠の量が想定より多く、審査が長引いているとのことだった。グランベルは王都に留め置かれており、しばらくは動けない状態だという。
しばらくの間が、どのくらいかは分からなかった。でも、今は動けない。
その三週間で、リコリスは何度も採取に出た。
素材の分析も進んだ。浮遊石の浮力の限界値が分かった。空草の露の効果時間と副作用の関係が分かった。星霧水晶の粉の散布量と効果範囲の関係が分かった。風結びの糸は使い方に工夫が要ったが、三度の実験で安定した使い方を見つけた。
結び直す魔法の練習は、毎朝エルシアと続けた。
石組みの修復から始まって、崩れかけた小さな石橋を直した。森の中にある、誰も使っていない古い石橋だった。苔に覆われて、中央の石が外れかけていた。流れを読んで、石を元の位置に戻して、固定した。
エルシアが見ていた。
「完成度が上がってる」
「石橋は難しかった。遺跡の導管より、素材が均一でないから」
「でも直せた」
「直せた」
「次は何を練習する?」
「浮遊石と組み合わせたい。修復しながら浮かせる、という動作を同時にできるか試したい」
「野心的だね」
「やってみないと分からない」
セレナの修復魔法の練習も始めた。
最初は全く感覚が掴めなかった。飾りを通じて魔力を操作することはできても、流れに乗る、という感覚がリコリスとは違った。
四日目に、エルシアが新しい方法を提案した。
「セレナは飾りを通じて動かすより、体全体で感じる方が合ってるかもしれない」
「体全体で?」
「飾りを意識しないで。ただ、目の前のものを、あるべき場所に戻したい、と思って触れてみて」
セレナが試した。崩れた石組みの前に立って、飾りを意識せずに手を当てた。
石が動いた。
完全ではなかったが、少し元の位置に戻った。
「あ」
「感じた?」
「感じた。押した感じじゃなくて、引き寄せた感じがした」
「それが合ってる。セレナは引き寄せる側の感覚が強い。リコリスは流れを整える感覚が強い。二人で組むと、引き寄せながら整える動作ができる」
「二人で同時にやると、一人でやるより上手くいく?」
「試してみて」
さっそく試した。
リコリスが流れを読んで整えながら、セレナが元の位置へ引き寄せる。同時にやると、それぞれ単独でやるより早く、より精確に動いた。
「凄い」
「凄い」
二人が同時に言った。
エルシアが満足そうにした。
「二人でやると、魔法の精度が上がる。片方が補う形になるから」
「これを応用して、炉が乱れたときにも使える?」
リコリスが尋ねた。
「使えると思う。今回より複雑な乱れでも、二人でなら対処できるかもしれない」
モクが棚から見ていた。
「我も何かできることがあればよいのじゃが」
「古代文字を読む役割は、相変わらず重要だよ」
「それ以外に」
「魔力の濃い場所を探知する役割も」
「他には」
「木の実パンを食べることによる雰囲気の安定」
「何じゃそれは」
「モクが食べてると、場が和む」
モクは少し考えた。
「そういうことなら、積極的に食べることにしよう」
「積極的に食べる必要はない」
アルヴィンは、その三週間で三度来た。
一度目は、グランベルの件の経緯を聞くためだった。エルシアを交えて話した。アルヴィンは全部を聞いて、長い間黙っていた。それから、魔女狩りの見直しを騎士団内部で動かすつもりだと言った。
「一人ではできないことだが、やる方向で動く」
「何が必要ですか」
「証拠と証言者と、時間だ」
「証拠はエルシアが持っている。証言者は、ミラが話せると思う」
「ミラ、という子は、怖がっていないのか」
「怖がっていない。最初から」
アルヴィンは少し間を置いた。
「勇気がある子だ」
「そうです」
二度目は、ミラと一緒に来た。
ミラは村でのことを話した。薬をもらったこと、弟が助かったこと、荷車の下の子どもを助けるところを見たこと。怖かったかどうか、という質問に、怖くなかった、とミラははっきり答えた。
アルヴィンは黙って聞いていた。
「なぜ怖くなかったのか」
「助けてくれた人を、怖いとは思えませんでした。怖いものが魔女ではなくて、怖くないものが魔女なんだと、自分で見たから信じました」
その答えを、アルヴィンはしばらく考えていた。
「自分で見たから、か」
「はい」
「それは正しい判断の仕方だ」
三度目は、一人で来た。
石橋のそばで待っていた。リコリスが採取から戻ってきたところで声をかけてきた。
「少し話せるか」
「今から薬を煮ないといけないけど、その間でよければ」
台所で薬を煮ながら話した。アルヴィンは卓に座って、不思議そうに薬棚を見回していた。
「いつも、こういう仕事をしているのか」
「毎日」
「魔法使いというより、薬師だな」
「薬師の方が近いかもしれない。魔法は補助的に使う」
「それが強みになるとは思っていなかった。炉の修復も、薬と魔法を組み合わせていたのか」
「そうです」
「どちらか一方では、できなかった?」
「どちらかだけでは、もっと時間がかかった。組み合わせることで短時間でできた」
「なるほど」
アルヴィンは鍋を見た。
「その薬は何になる?」
「関節の痛みに効く薬です。村の年配の方に届ける分」
「作り続けているのか」
「需要があれば、作り続ける」
「魔女が村人の薬を作る」
「変ですか?」
「変だとは思わない。ただ、私が信じていたこととあまりにも違う」
「信じていたことと違うことは、多かったですか?」
「多かった。リコリスと話すたびに増える」
「それは良いことだと思います」
「なぜ」
「知らなかったことを知るのは、良いことだから」
アルヴィンは少し黙った。
「一つ、聞いていいか」
「どうぞ」
「リコリスは、騎士団が魔女狩りを見直した後の世界を、どう思い描いているか」
リコリスは鍋をかき混ぜながら、考えた。
「完全に変わることは、すぐにはないと思います。百年、二百年かけて変わることだと思う」
「それでいいのか」
「自分が生きている間に全部変わらなくても、変わり始めることが大事だと思います。今日ここで話していることが、変わり始めの一つになれれば」
「気の長い話だな」
「そうです。でも、封印が千年続いてきたことを考えれば、百年は短い」
アルヴィンはそれを聞いて、少し笑った。
普段の硬い表情が、少しだけ崩れた。珍しかった。
「千年のスケールで物事を考えるのか」
「最近そうなりました。封印の話を知ってから」
「見え方が変わるな、千年で考えると」
「変わります」
鍋が完成した。リコリスは冷ましながら小瓶に詰め始めた。
アルヴィンが立ち上がった。
「また来る」
「来てください」
「セレナは今日は?」
「空島に行っています。ノルンと話すために」
「一人で行けるのか」
「モクが一緒です。塔の使い方は慣れた」
「あの光の筒か。初めて見たときは何事かと思った」
「慣れます」
「また言うな、慣れると」
「慣れるんです、本当に」
アルヴィンは外に出た。
セレナとモクが空島から戻ってきたのは、夕方だった。
セレナは少し疲れた顔をしていたが、明るかった。
「ノルンに記憶のことを聞いた」
「どうだった?」
「少しずつ戻ってきてるって。まだ全部じゃないけど、断片が繋がってきてるって感じがするって、ノルンに確認してもらった」
「ノルンは、何と言っていた?」
「焦らなくていい、って。記憶が戻るペースは人それぞれで、無理に引き出そうとすると歪むことがあるって」
「焦っているの?」
「少し。使命のこととか、儀式のこととか、自分で理解したいんだけど、まだ記憶が揃っていなくて」
「揃うまで待てる?」
「待てる。リコがいるから」
リコリスは薬棚を確認しながら、その言葉を受け取った。
リコリスがいるから、という言い方が、最近のセレナには増えていた。最初の頃は、魔女さんに助けてもらったから、だった。それが今は、リコがいるから、になっている。
呼び方が変わったのは、随分前のことだったが、理由の言い方が変わったのは最近だった。
「モクは何をしてたの?」
「ノルンに古代文字を教えてもらっておった」
「教えてもらったの?」
「我の読める文字に、ノルンの読める文字の種類を教えてもらった。合わせると、読める量が増える」
「それは助かる」
「じゃろ。感謝しろ」
「ありがとう、モク」
「うむ」
リコリスに言われ、モクは満足そうに鼻を鳴らした。
その夜、エルシアが言った。
「私、そろそろ旅に出ようと思う」
リコリスは顔を上げた。
「また急に」
「急ではないよ。来てから三週間、ここで過ごせた。じゅうぶんだった」
「どこへ行くんですか?」
「グランベルの件の追跡を続ける。王都の状況を直接確認しながら、必要なら証拠を追加する。一人でできることをする」
「また黙って消えないですよね」
「約束した。行く前に言う。今言っている」
「いつ出発しますか?」
「明後日の朝」
リコリスは少し考えた。
「分かりました」
「怒らないんだね」
「今回は行く前に言ってくれたから」
「リコが厳しくなった」
「師匠に習いました」
セレナが少し笑った。
「エルシアさん、行ってらっしゃい」
「ありがとう、セレナ」
「またここに帰ってきてください」
「帰ってくるよ。ここが帰る場所になってしまった」
「なってしまった、って言い方がちょっとおかしい」
「いい意味で、なってしまった」
モクが棚の上から言った。
「次に来るときは、土産を持ってくるがよい」
「何がいい?」
「南の港町に、干した魚の燻製がある。美味かった」
「いつ行ったの、南の港町に」
「エルシアと一緒に来る前、少し立ち寄った」
「そんなことをしてたんだ」
「立ち寄ったのは私で、モクは袋の中にいた」
「袋の中から匂いで分かった」
エルシアが笑った。
「じゃあ燻製を持ってくる」
「量は多めに」
「多めに」
出発の二日前、エルシアはリコリスと二人で夜遅くまで話した。
グランベルのことだけでなく、魔女の歴史のこと、封印の構造のこと、結び直す魔法のより深い使い方のこと。
リコリスは全部を調合帳に書き留めた。
夜中になって、エルシアが言った。
「リコ、一つだけ伝えておきたいことがある」
「何ですか」
「私が知っている魔女の中で、リコが一番、魔女の本来の姿に近い」
「本来の姿って」
「戦うのではなく、繋ぐ。壊すのではなく、直す。排除するのではなく、調合する。千年前に世界を守った魔女たちが、そういう存在だったと、古い記録には書いてある」
「その記録は信用できますか?」
「信用できると思う。私が見た範囲では、裏付けがある」
「わたしが本来の姿に近いのは、師匠に教わったからです」
「私が教えたことと、リコが使っていることは、少し違う」
「違いますか」
「私が教えたのは技術だけど、リコが使っているのは技術と判断の両方だ。薬を作るとき、誰に届けるかを考えている。修復するとき、何が本来あるべきかを考えている。その判断の部分は、教えていない」
「では、どこで覚えたんですか?」
「リコが自分で積み上げた。それが本来の魔女の姿に近い、と思う」
リコリスは、その言葉をすぐには受け取れなかった。
受け取るには少し時間がかかった。
「ありがとうございます」
「お礼を言えるようになった」
「約束を守ってもらったから」
「今夜も守った?」
「守りました」
「良かった」
エルシアが先に眠った。
リコリスは調合帳を閉じて、暖炉を見た。
火が落ち着いた色だった。赤から橙へ、穏やかに燃えている。
本来の姿に近い、とエルシアが言っていた。
自分では分からなかった。でも、エルシアが見ていてそう思うなら、そうなのかもしれない。
明後日、エルシアが出発する。
また一人少なくなる。でも今度は違う。行き先が分かっている。戻ってくると言った。戻ってきたとき、また話せる。
それだけで、随分違った。
窓の外を見ると、星が見えた。
雲の向こうに、空島があった。見えないが、ある。炉が正常になって、封印が安定している。ノルンが守っている。セレナが繋いでいる。
地上には森があって、この家がある。ミラが来る。アルヴィンが来る。エルシアが戻ってくる。
リコリスは毛布を引き寄せた。
眠れると思った。
眠れる夜が、続いていた。




