第十六章 星落ちの夜、もう一度
グランベルが戻ってきたのは、三日後だった。
猶予は、ほとんど残されなかった。
ミラから知らせが来たのは、空島にいる間だった。風の塔から光が出ているのを、村人が見たらしく、それがグランベルへの報告に繋がった。塔へ向かう部隊が組まれている、という情報がアルヴィンを通じてエルシアに届いた。
エルシアが知らせを受けたのは朝で、空島にいるリコリスたちのところへ届いたのは昼前だった。
「早い」
ノルンが言った。珍しく、驚いた声だった。
「王都での問題を誰かに押しつけて、自分は動いた。そういう判断ができる人間だということだよ」
エルシアが淡々と言った。でも、手元の荷物をまとめる動きは素早かった。
リコリスは空島の状態を考えた。炉の修復から三日が経って、封印の安定度は少しずつ回復していた。ノルンの話では、一週間で七割程度まで戻るだろうとのことだった。今はまだ六割に満たない。
「封印が不完全な状態で、グランベルが来る」
「最悪のタイミングじゃ」
モクが鼻を鳴らした。
「でも、ここを動かせないわけじゃない」
セレナが言った。
「グランベルが来ても、封印が崩れるわけじゃない。あの人は装置を制御しようとしてくる。制御させなければいい」
「制御させない方法は」
「ノルン、装置の起動を封じることはできる?」
ノルンは少し考えた。
「緊急封鎖の術式があります。使えば外部からの干渉を遮断できる。ただし、内部からも操作できなくなる」
「どのくらいの間?」
「半日。それ以上は維持できない」
「半日あれば」
セレナがリコリスを見た。
「炉が安定した状態を維持できれば、グランベルが装置を使おうとしても、空振りになる。装置は封鎖されていて、炉からの魔力は正常に流れている。グランベルが使えるものが何もない状態にする」
「でもグランベルはあきらめない」
「あきらめなくても、装置を使えなければ意味がない。その間にアルヴィンが動いてくれれば」
エルシアが頷いた。
「アルヴィンへの連絡は、私が取る。グランベルが来た段階で、騎士団がグランベルの行動を制限するような動きができれば、時間が稼げる」
「アルヴィンはそこまでやれますか」
「任務の前提が崩れたと分かっているなら、やれると思う。あとはアルヴィン次第だけど」
リコリスはアルヴィンのことを考えた。整理できていないと言っていたが、名前で呼んでくれた。動き方を変えると言わなかったが、信じると決めた、と言った。
「やれます」
言い切ってから、根拠があるかどうか考えた。でも、感覚としては確かだった。
「根拠は?」
「あの人は、間違えたと分かれば直そうとする。そういう人です」
エルシアは少し間を置いた。
「分かった。そこはリコを信じる」
準備を始めた。
ノルンが神殿へ向かい、緊急封鎖の術式を準備した。セレナは飾りの状態を確認して、封印の補強に使える魔力を温存した。
けれど、その手は少しだけ止まっていた。
「あたしが補強に使えるってことは、あたしはやっぱり封印の一部なんだよね」
「セレナ」
「分かってる。今は怖がってる場合じゃない。でも、少しだけ思った。あたしがここに残った方が、封印は安定するんじゃないかって」
リコリスはすぐには答えられなかった。
否定したかった。けれど、封印の仕組みを知ってしまった今、その言葉を簡単に否定することもできなかった。
エルシアは塔の方へ下り、アルヴィンへの連絡に動いた。
リコリスは炉から届いている魔力の流れを確認した。
安定していた。三日前より明らかに均一で、空島全体に行き渡っていた。修復が機能している。グランベルが装置を使おうとしても、この流れを乱せなければ封印は保たれる。
モクが耳を立てた。
「下から来る気配がする」
「どのくらいで着く?」
「塔を使ってくるなら、一刻以内じゃろ」
「一刻」
一刻で、できることをする。
「ノルンはどのくらいで封鎖できる?」
「半刻もあれば」
ノルンが神殿の入口から答えた。すでに準備を始めていた。
「セレナ、補強の準備はできそう?」
「できてる。ノルンが合図をくれれば始められる」
「わたしは炉への通路を塞ぐことを考える。空島から地下への直接干渉は、どこかに経路があるはずで、そこを遮断できれば」
「経路なら、神殿の地下にある」
ノルンが伝えた。
「神殿の地下に、地下の炉と空島を繋ぐ古い導管があります。そこを通じて、グランベルは炉に干渉していた」
「その導管を、封じることはできますか」
「術式があります。ただし、封印の封鎖と同時にはできない」
「順番は?」
「封鎖を先に。グランベルが装置に手を出せない状態にしてから、導管を封じる」
リコリスは頷いた。
「その間に、地上ではアルヴィンが動く。全部が噛み合えば」
「噛み合えば」
「噛み合わせる」
モクが鼻を鳴らした。
「威勢がよくなったのう」
「モクにそう見えるなら、きっとそう」
「珍しく素直じゃ」
半刻後、ノルンが神殿から出てきた。
「封鎖の術式、準備できました」
「起動のタイミングは」
「グランベルが空島に来た瞬間に。それより早く起動すると、塔の装置も制御系に含まれるため、グランベルが上がれなくなる」
「上がれなくていいんじゃないですか」
「グランベルを地上に置いたままにすると、炉に直接向かう可能性がある。炉は今、修復されたばかりで防護がない。空島に誘い込んで、ここで装置への干渉を止めた方がいい。それだけではなく、地上の部下と王都への連絡も同時に押さえる。そうすれば、グランベルは装置にも炉にも部下にも頼れなくなる」
ノルンの判断は正しかった。地上に留まったグランベルが坑道へ向かえば、今度は炉が危険になる。空島に来てもらって、ここで制御系を封鎖する。アルヴィンには、地上側の部下を押さえ、王都への連絡を通してもらう。そうすれば、グランベルは孤立する。
「分かりました」
待った。
草が風に揺れた。空獣が遠くを泳いでいた。静かな島が、来たるものを待っていた。
半刻後、塔の方向から光が上がった。
グランベルが来た。
従者が二人いた。白銀の装備を持った者で、ただの従者ではなく戦力だった。グランベルは穏やかな顔をしていた。慌てていない。計算通りに動いている者の顔だった。
空島の草を踏んで、グランベルは正面を見た。
リコリス、セレナ、モク、ノルンが並んでいた。
「思ったより多いですね」
穏やかな声だった。驚きがない。すでに把握していたかのような口調だった。
「グランベル」
リコリスが呼んだ。
「魔女殿。この場所には、驚かされました。地上の魔女が空島に来るとは思っていなかった」
「炉の修復も、驚かせましたか」
グランベルは少し目を細めた。
「気づいていましたよ。炉の状態が変わったことは。ただ、こちらが戻るより早く修復されるとは思っていなかった」
「だから予定より早く戻ってきた」
「そうです。急ぎすぎたかもしれませんが」
グランベルは周囲を見回した。空島の遺跡、神殿、草原。それらを品定めするように見て、最後にセレナで止めた。
「セレナ嬢。記憶は戻りましたか」
セレナは答えなかった。
「戻っていなくても、構いません。鍵は使えればいい。完全に記憶がある必要はないので」
「あたしを道具として見てる」
「道具ではありません。世界を救うための、大切な存在です」
「世界を救うためじゃなくて、支配するためでしょう」
グランベルは少し間を置いた。
「支配と救済は、異なる言葉ですが、結果は同じです。誰かが管理しなければ、封印はいずれ崩れる。管理する者が必要だ。それが私でなければならない理由は、単純です。他に誰もいないから」
「いる」
リコリスが強く言った。
「ノルンがいます。魔女がいます。セレナがいます」
「魔女は信用されていない。守護者は力が足りない。鍵は記憶を失っている。どれも不完全です。完全な管理者が必要だ」
「完全な管理者が、封印を壊しかけた」
「壊そうとしたのではない。利用しようとした。制御の下に置けば、もっと安定する」
論理が整っていた。だから厄介だった。グランベルは悪意を自覚していない。本当に正しいと思っている。
ノルンが動いた。
「封鎖、起動します」
グランベルが反応した。
「待ってくれますか」
従者二人が動いた。ノルンへ向かった。
セレナが前に出た。
「止まって」
飾りが光った。強く、鋭く光った。従者の動きが止まった。守護機械が動いたときと同じ反応だった。
飾りの光が、従者の装備に干渉していた。装備に埋め込まれた古代の素材が、セレナの飾りに反応して固まった。
「動ける?」
ノルンに聞いた。
「動けます」
ノルンが術式を起動した。
空島全体が、低い音を立てた。
結晶が光った。建物の文字が輝いた。装置が封鎖された音だった。グランベルが顔を上げた。
「これは」
「封鎖です。半日、空島の制御系には触れられない」
グランベルは表情を変えなかった。
「封鎖されても、炉への導管は残っている」
「今から封じます」
リコリスが言った。
神殿の地下へ向かった。入口を通って、石段を下りた。地下は暗かったが、壁の結晶が光っていた。
導管があった。
床に埋め込まれた、金属の管だった。古代の素材で作られていて、魔力を通す仕組みになっていた。表面にグランベルの器具が残した痕跡があった。長く干渉されてきた跡だった。
流れを読んだ。
導管の中を、炉から来た魔力が通っていた。正常な流れだった。修復後の炉の流れが、正しく届いていた。
これを封じるとは、塞ぐのではない。
外からの干渉を遮断しながら、正常な流れは保つ。それが結び直す魔法の応用だった。エルシアには習っていなかったが、原理は同じだとリコリスには分かった。
触れる。流れに乗る。外向きの成分だけを、そっと押さえる。
難しかった。炉よりも繊細な作業だった。内向きと外向きが混在しているのを、片方だけ選んで押さえる。
三度失敗した。
四度目に、感覚が掴めた。
外向きの成分が、押さえられた。導管の表面が少し変わった。干渉を受け付けない、硬さが生まれた。
上から足音がした。
グランベルが来ていた。
リコリスは急いで仕上げた。最後の部分を整えて、手を離した。
グランベルが石段を下りてきた。
導管を見て、リコリスを見た。
「終わりましたか」
「終わりました」
「手際がいい」
「あなたが七年かけてやってきたことを、壊したくなかったから」
「壊した、とは違う見方ですね」
「封じただけです。導管そのものは残っています。ただ、外からは触れられない」
グランベルは導管を見た。
「魔女殿、あなたは賢い。でも、これで終わりではない」
「知っています」
「王都の問題も、時間が経てば解決する。証拠は、確かに痛かったが、無効化する方法がある」
「それはそちらで考えてください」
「手伝ってもらえませんか」
「断ります」
グランベルは穏やかに笑った。怒らなかった。
「一人の少女を救うために、世界を危険にさらすのですか」
「世界を救うためではなく、セレナが帰ってこられる世界にしたい。それだけです」
言ってから、この言葉は前から自分の中にあったのだと気づいた。ずっとここにあって、今初めて声になった。
グランベルは少し間を置いた。
「それが、あなたの答えですか」
「そうです」
「封印が崩れれば、その世界もなくなる」
「崩れないようにします。あなたではなく、ノルンと、セレナと、エルシアと、わたしで」
「不完全な者たちで」
「不完全でいいです。完全な管理者がいなくても、繋がっていれば保てる。それが封印の本来の形だと思います」
グランベルは答えなかった。
上から声がした。
アルヴィンの声だった。
グランベルが顔を上げた。リコリスも上を見た。
「アルヴィン隊長が来た」
「早い」
「エルシアが連絡を入れていた」
グランベルはもう一度導管を見た。封じられた導管を、しばらく見ていた。
「魔女殿」
「はい」
「あなたが正しいとは、まだ思っていない」
「分かっています」
「ただ、今日はここまでにしましょう」
グランベルは石段を上り始めた。
リコリスはもう一度、導管に触れた。触れたまま、魔力の流れを確かめた。
もう外から掴まれる感触はなかった。
炉へ伸びていたグランベルの手は、ここで切れた。
空島の装置は封鎖されている。地上ではアルヴィンが先に手を打ってくれた。王都へも、すでに証拠は届いている。
今日、グランベルを倒したわけではない。
でも、グランベルが世界を管理するために作ってきた道筋は、ここで折れたのだと分かった。
上から声が続いていた。アルヴィンとグランベルが、話しているらしかった。怒鳴り声ではなく、でも穏やかでもない、複雑な声の重なりだった。
リコリスは石段を上った。
神殿の前に出ると、アルヴィンがグランベルに向かって立っていた。騎士の部下が三人、後ろにいた。
「グランベル閣下、王都よりの命令書があります」
アルヴィンは、一歩も退かなかった。
「古代遺構への独断干渉、魔女拘束令の濫用、ならびに封印管理権限の私的使用について、調査命令が出ています。閣下には、王都への帰還と、すべての装置の引き渡しが命じられています」
グランベルの従者が動こうとした。
だが、その背後には騎士たちがいた。
白銀の装備は、もう動かなかった。セレナの飾りに干渉され、ノルンの封鎖に巻き込まれ、ただの重い鎧になっていた。
「命令書、ですか」
「証拠が確認されました。内容が精査される間、閣下の行動に制限がかかります」
グランベルは命令書を受け取って、読んだ。
「迅速ですね」
「閣下の部下が提出した報告書が、他の派閥に届いていた。確認が早かった」
グランベルは命令書を折って、胸にしまった。
「分かりました。従いましょう」
あっさりしていた。抵抗しなかった。でも、その穏やかさが、今日の終わりを認めただけで、諦めていないことを示していた。
グランベルは退くことを選んだのではなく、退くしかなかった。
アルヴィンがリコリスを見た。
「終わったか」
「炉の導管を封じました。装置も封鎖されています。今日のところは」
「今日のところは、か」
「長期的には、まだ課題があります」
「正直だな」
「嘘をついても仕方ないから」
アルヴィンは少し頷いた。
グランベルが空島の草を踏みながら、塔の方向へ向かった。従者があとを追い、アルヴィンの部下が両側についた。
姿が見えなくなってから、リコリスは空を見た。
雲が流れていた。空獣が二頭、島の上を泳いでいた。
セレナが隣に来た。
「終わった?」
「今日は終わった」
「グランベルは?」
「帰った。でも諦めてない」
「そっか」
「諦めてもらう方法を考えないといけない。でも、今日じゃない」
セレナは空を見た。
「ノルンはあの人のことを、どう思ってるんだろう」
リコリスも考えていた。グランベルとノルンの関係は分からない。でも、ノルンが封鎖の術式を起動したのは、セレナとリコリスを守るためだったのは確かだった。
「今度聞いてみたら」
「聞いてみる」
モクが肩に乗ってきた。
「お疲れじゃ、二人とも」
「モクも」
「我は比較的余裕があった」
「そう見えなかったけど」
「見た目に出ていたか」
「少し」
モクは鼻を鳴らした。
エルシアが戻ってきた。塔の方から来た。アルヴィンへの連絡を入れてから、ここへ上がってきたらしかった。
「うまくいったね」
「今日は」
「今日でいい。明日は明日で考える」
エルシアがリコリスを見た。
「結び直す魔法、導管でも使えたんだね」
「習っていない応用でしたが、原理が同じだから」
「習っていないことを、自分で応用できるようになった」
「それは、どういう意味ですか」
「師匠が必要なくなる段階に来た、という意味だよ」
リコリスは少し考えた。
「そんなことはないです」
「そう?」
「まだ知らないことがたくさんある。エルシアが知っていることで、わたしが知らないことが」
「たくさんあるね。全部教えるよ、これから」
「これから」
「旅に出るとき、黙って行かない。今度は一緒に行くか、行くなら話してから行く」
「約束できますか」
「できる。リコが約束を守る人間なのは知ってるから、わたしも守る」
リコリスはエルシアを見た。
完全には信じていない。でも、信じると決めた部分は確かにある。
「分かりました」
「分かりました、か。ありがとう、とは言わないんだね」
「約束を守ってくれたら言います」
「厳しいね」
「師匠に習いました」
エルシアが笑った。珍しく、素直に笑った。
空が夕方の色になってきた。
今夜は空島に泊まる。明日、地上に戻る。帰るべき場所が、地上にある。
リコリスはそれを思いながら、夕方の空を見た。
空獣が一頭、頭上を通り過ぎた。
光る尾が、夕空に溶けていった。




