第十一章 王都から来た影
薬が完成したのは三日後だった。
熱冷まし、関節痛に効く浸透薬、体の巡りを整える粉薬。それぞれを小分けにして、布袋にまとめた。量は多い方がいいと思って、夜遅くまで作業した。セレナが途中まで付き合って、リコリスが仕上げた。
四日目の朝、ミラに薬を届けに行った。
今回はセレナも連れて行った。一人より二人の方が自然に見えるし、ミラはセレナを怖がらないと分かっていた。
ミラは薬を受け取って、深く頭を下げた。
「本当にありがとうございます。一番具合の悪いおじいさんに、今日から使わせます」
「用法は袋に書いておいた。量を守って」
「はい」
ミラはセレナを見た。以前、村で会ったときよりも、少し落ち着いた顔をしていた。
「リコリスさんの妹さんですか?」
「居候です」
セレナが答えた。
「居候」
「色々あって、しばらくお世話になってます」
「そうなんですね。セレナさん、でしたよね」
「うん。ミラちゃんのこと、リコから聞いてた」
ミラが少し照れた。セレナは自然に距離を縮めるのが上手くて、リコリスはそれをいつも不思議に思っていた。
帰り際に、ミラが声を落とした。
「騎士団が、また動きました。今朝、南の方へ向かいました。複数人で」
「南へ」
「はい。隊長さんも一緒です」
南には、地下へ続く古い坑道があると、師匠の書き付けに書いてあった。まさかそこまで調べているのか、それとも別の用事か。
「分かった。ありがとう」
森へ戻りながら、リコリスはセレナに話した。
「アルヴィンが南へ向かった」
「南に何があるの?」
「地下への入口があるかもしれない場所が、南の方向にある。師匠の書き付けに、古い坑道の記録があった」
「騎士団が地下に入るの?」
「分からない。でも、気になる」
モクが袋の中から頭を出した。
「我が言った通りじゃ。地下が絡んできた」
「まだ絡んできたとは限らない」
「限らなくても、確かめるべきじゃろ」
リコリスは足を止めた。
地下へ行くなら準備がいる。空島よりさらに未知の場所だ。魔力が濃く、異形の獣がいると師匠は書いていた。増幅薬では対処しきれないかもしれない。別の薬が要る。
それと、地下の素材に反応する探知薬が必要だ。
「一度家に戻る。準備を考えてから動く」
「急がなくていいの?」
「急いで失敗する方が困る」
セレナは頷いた。
家に戻って、書き付けを広げた。師匠が残した地下に関する記述は少なかった。古い坑道が南の丘の麓にある。中には星の欠片が点在している。魔力が地上の十倍以上濃い。異形の獣は魔力に引き寄せられる性質がある。それだけだった。
「魔力を抑える薬があれば、獣に見つかりにくくなるかもしれない」
「作れる?」
「材料次第。星霧水晶の粉があった。あれは魔力を安定させる効果があるって、モクが言ってた」
「使えそう?」
「試してみる価値はある」
二日間、実験を繰り返した。
星霧水晶の粉を軸に、抑制効果を持つ植物を組み合わせる。霧苔の抑制成分と合わせると、体から出る魔力の量を一時的に落とせることが分かった。完全ではないが、そのままよりはずっとましだ。
加えて、暗所で使える発光薬も作った。地下は暗い。魔法の光を出し続けると魔力の消耗が激しいので、薬の光の方が効率がいい。
三日目の朝、出発した。
南の丘へ向かう道は、村を迂回する必要があった。騎士団の目を避けるため、森の中を南へ進んだ。地図はないが、丘の方角は分かっている。
午前中歩いて、丘の麓に着いた。
草に覆われた斜面の途中に、石組みで補強された入口があった。扉はなく、ただ暗い穴が口を開けていた。中から冷たい空気が流れ出ていた。魔力を含んだ冷気だった。
「ここが坑道?」
セレナが入口を覗き込んだ。
「たぶん。古い採掘の跡だと思う。昔、星の欠片を採掘していた場所が、地下世界への入口になったって書き付けに書いてあった」
「星の欠片って」
「千年前に落ちてきた星の破片が、地下に眠ってる。魔力の源になってるって、ノルンが言ってた封印の話の中に出てきた」
「それを掘り出そうとした人たちがいたんだ」
「いたんだと思う。どうなったかは書いていなかった」
モクが鼻を動かした。
「内部の魔力は、相当じゃ。抑制薬は飲んだか」
「飲んだ」
「セレナも?」
「飲んだよ」
「ならば行けるじゃろ。ただし、獣の気配がしたらすぐに言え。鼻はごまかせん」
「頼む」
発光薬を割った。橙色の光が手のひらに広がった。それを先に持って、坑道に入った。
内部は思ったより広かった。
天井が高く、横幅も大人が三人横に並べるくらいある。床は石を削った跡があって、かつて人が整備していたことが分かった。壁面に埋まった星の欠片が、薄く青く光っていた。それが等間隔に続いていて、発光薬がなくても完全な暗闇ではなかった。
「綺麗」
セレナが壁を見た。
「触ってもいい?」
「素手では触らないで。魔力が濃いから、手が痺れるかもしれない」
セレナは手袋をして、星の欠片の表面に触れた。
「冷たい。でも、何かが伝わってくる感じがする」
「魔力が直接触れてくる感覚だと思う」
「空島と似てる。でも種類が違う」
「空島は外向きの魔力で、ここは内向きの魔力だから」
「内向き?」
「閉じ込めようとしてる、というか。地下は魔力が外に出ないように層になってる。だからここの魔力は、押し込められた感じがする」
セレナは欠片から手を離した。
「ここも、封印の一部?」
「たぶん。地下が安定していないと、上の世界にも影響が出る。空島だけで封印が成り立っているとは思えない。地下にも、何か支えになるものがあるはず」
歩き進めると、坑道が広くなった。
複数の通路に分かれている場所に出た。それぞれの通路の入口に、古代文字が刻まれていた。
「モク」
「待て」
モクが順番に文字を見た。
「南の通路は、採掘区画。東は、観測区画。北は、炉への道、と書いてある」
「炉への道」
「ただの炉ではなさそうじゃな」
北へ向かった。
通路が下り坂になっていた。奥へ進むほど魔力が濃くなる。抑制薬が効いているので頭痛はないが、皮膚に当たる感覚が強くなった。
途中で、壁の様子が変わった。
石の壁ではなく、鉱石の壁になった。黒い地の中に、赤く光る鉱石が混じっていた。星の欠片と似ているが、色が違う。熱を持っていた。
「これは」
リコリスが近づくと、鉱石が熱を発しているのが分かった。手を近づけると暖かい。燃えているわけではなく、魔力が熱に変わっているような感覚だった。
「星鉱石だと思う。師匠の書き付けに名前があった。地熱に近い性質の魔力を持つって書いてあった」
「これも調合に使える?」
「使えると思う。ただし成分が強すぎると危険かもしれない。少し採ってから試す」
欠片を小刀で削って、瓶に入れた。星霧水晶より熱かったので、布で包んでから入れた。
さらに進むと、声が聞こえた。
人の声だった。
リコリスは足を止めた。セレナも止まった。
前方の通路の奥から、複数の人間の声がしていた。反響して聞き取りにくかったが、話し合っているようだった。騎士団か、それとも別の誰かか。
リコリスはセレナに手で合図した。壁際に寄る。声がする方向へ、音を立てずに近づく。
通路の角から覗き込んだ。
広い空間があった。天井が高く、中心に大きな構造物があった。円形の台座に、複数の柱が建っていて、柱の間に結晶が張り巡らされている。
その周りに、人がいた。
騎士の鎧を着た者が数人。でも、アルヴィンはいなかった。鎧の装飾が騎士団と少し違う。別の組織か、別の派閥か。
その中心に、旅装の男がいた。
五十代ほどの男で、白髪をきちんと整えていた。貴族の服装だったが、地下の暗さや埃に戸惑う様子はなかった。何度もここへ来ている者の、慣れた動き方をしていた。
声は低く、感情の起伏が少なかった。人に命じることに慣れている声だった。
男は結晶のひとつを手に持って、部下らしい者に何かを指示していた。声が反響してくる。
「星の炉の反応は」
「不安定です。上層の封印と同期していません」
星の炉。
リコリスはその言葉を、胸の中で繰り返した。
目の前の巨大な装置が、ただの炉ではないことだけは分かった。
「ここの安定度は落ちているな。予想より早い」
「はい。三か月前より数値が下がっています」
「封印が弱まっている証拠だ。急ぐ必要がある」
「魔女の魔力の収集は、まだじゅうぶんではありません」
「アルヴィン隊長の報告では、森に魔女がいるとのことだった。引き続き探索させろ」
魔女の魔力の収集。
リコリスは息を詰めた。
魔女狩りが、魔女を排除するためではなく、魔力を集めるためだとしたら。
「空島の鍵は、まだ見つかっていないのか」
「地上に落ちたのは確認しましたが、場所が特定できておりません。機械兵に追わせていますが、何者かが妨害していると思われます」
「妨害」
男の目が細くなった。
「森の魔女か」
「可能性があります」
「魔女と鍵が繋がっているなら、一石二鳥だ。両方を押さえれば、古代装置を完全に制御できる」
古代装置を制御する。
封印を守るためではなく、支配するために。
リコリスは壁に手をついた。男の目的が少し見えた。魔女狩りも、機械兵も、全部この男が動かしていた。
セレナを鍵として使って、空島の古代装置を制御しようとしている。
男の部下が、結晶の一つに器具を取り付け始めた。何かを計測している様子だった。その器具が見覚えのあるものに似ていた。魔力を抽出する道具に、似ていた。
炉が、人為的に乱されている。
封印を弱めているのか、それとも封印を利用しようとして結果的に乱しているのか。どちらかは分からないが、炉の状態が正常でないことは確かだった。
モクが耳元で囁いた。
「炉が乱されておる。魔力の流れが変になっておる」
「見える?」
「嗅ぎ分けられる。本来はもっと均一な魔力が満ちているはずじゃ。今は偏っておる。長く続けば、地上にも影響が出る」
「どのくらいで」
「分からん。じゃが、急ぐべきじゃ」
どうするか考えた。
今ここで男たちと対峙するのは無理だ。数が違う。かといって何もせずに引くと、炉の状態が悪化する。
せめて、証拠を持ち帰る必要があった。
リコリスはそっと手を伸ばして、壁の鉱石を小刀で削った。さっきとは違う場所の、炉に近い鉱石だ。乱された魔力の影響を受けているはずだから、成分を調べれば証拠になるかもしれない。
そのとき、セレナの飾りが光った。
抑制薬が弱まっていた。炉の魔力が強すぎて、薬の効果が持たなかったのだ。
男が振り返った。
目が合った。
一瞬、空間が固まった。
「捕らえろ」
男が言った。感情のない声だった。
部下たちが動き出した。
リコリスはセレナの手を取って走った。来た通路を戻る。発光薬を握り直して、先を照らしながら走る。後ろから足音が来た。
「モク、出口の方向」
「左じゃ、次の分岐を左」
左へ折れた。坑道が狭くなった。狭い方が人数差が影響しにくい。
「追いついてくる?」
「来てる。四人」
「四人か」
走りながら考えた。煙霧薬がある。でも坑道の中では風がないから、煙が広がらない。別の手が要る。
星の欠片が壁に光っていた。
リコリスは走りながら、左手に魔力を集めた。壁の欠片に向けて流し込む。欠片が光を強めた。次の欠片にも。さらに次にも。連鎖させるように、通路の欠片を次々と強く光らせた。
後ろから声が上がった。目が眩んだのだ。
「それで時間が稼げる?」
「少しだけ」
「少しで足りる?」
「足りなかったらまた考える」
坑道が上り坂になった。出口が近い。発光薬の光の向こうに、薄く外の光が見えた。
セレナが先に外へ出た。リコリスが続いた。モクが滑空して出た。
丘の斜面に出ると、風があった。
リコリスは振り返った。坑道の中から足音が来ていたが、外に出てくる様子はまだなかった。暗順応が戻っていないのか、あるいは外での追跡を避けているのか。
「走って」
丘の斜面を下った。草を踏みながら、森の方向へ向かった。後ろを確かめながら走って、森に入るまで止まらなかった。
木々の中に入ってから、立ち止まった。
足音は来ていなかった。
リコリスは息を整えた。セレナも肩で息をしていた。モクが木の枝に降りて、耳を後ろへ向けた。
「追ってこん」
「坑道の外には出なかった」
「そうじゃ。ただし」
「ただし?」
「あの男、慌てておらんかった。逃げられてもいい、という顔をしておった」
リコリスはそれを聞いた。
慌てていなかった。見られたことを、問題だと思っていない。なぜか。
こちらが知ったところで、構わないと思っているからか。それとも、どうせ後で捕まえられると思っているからか。
「男の名前が分からない」
「聞けんかったのう」
「でも、心当たりはある」
リコリスは村の市で聞いた名前を思い出した。
「グランベル卿。魔女が絡むと容赦しないって言われていた人」
「あの男が、そのグランベルか」
「分からない。でも、アルヴィンが報告を入れていた相手か、その上にいる人間だと思う。王国の権力を持つ者なのは間違いない」
「装備から見ても、王国の人間じゃろうな」
「そうだと思う」
セレナが飾りを確かめた。光は収まっていた。
「さっきの人、あたしのことも追ってるんだよね」
「そう。鍵として利用しようとしてる」
「封印を守るためじゃなくて」
「支配するために」
セレナは少し黙った。
「怖い?」
リコリスが尋ねた。
「怖い。でも、怒りも湧いてくる」
「怒り」
「使命があるとしても、それはあたしが選ぶことのはずなのに。知らない人が、道具みたいに使おうとしてる」
その怒りは、正当なものだとリコリスは思った。
「帰ろう。今日分かったことを、整理したい」
「うん」
リコリスたちは森の中を、家へ向かって歩いた。
星鉱石の入った瓶が、袋の中で微かに温かかった。炉の近くで採れた鉱石だ。これを調べれば、乱され方の程度が分かるかもしれない。
空島の問題と、地下の問題が、同じ根から来ていることが分かった。
そして、その根を辿ると、一人の男に行き着く。
名前はまだ分からなかった。
でも、村の市で聞いたグランベル卿の名が、頭から離れなかった。
白髪で、貴族服で、感情のない声で部下に指示する男。
あの男がそうなのかは、まだ分からない。
リコリスは歩きながら、その顔を記憶に刻んだ。




