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9.運営、箱買いを検討中


 防衛戦終結、翌朝。

 非公式掲示板――通称『裏掲示板』に、ひと晩で立った一本の新スレッドが、爆発的な速度で伸び続けていた。


―――裏掲示板・第3スレッド「【裏門】あの機巧技師が一人で街を救った件【ソロ殲滅】」より―――

1 名無しの環理民

 マジで一人で四千体以上、殲滅してたらしいぞ

2 名無しの環理民

 はぁ? あれだろ、廃材で組んだ塔とかいうやつ

3 名無しの環理民

 【動画】裏門前の砂塵リプレイ、撮ってきた

4 名無しの環理民

 うわ何これ……モンスターが街壁に触れる前に、ぜんぶ蒸発してる

5 名無しの環理民

 砲弾の軌道おかしくない? 明らかに曲がってるんだが

6 名無しの環理民

 流体力学とか応用してるってマジ? ゲーム内でそんな計算する意味あんの

7 名無しの環理民

 てかプレイヤー名『ソウ』って、あの隠しボスソロった奴と同じ名前じゃね?

8 名無しの環理民

 同一人物確定です

9 名無しの環理民

 もうこれ通称『あの男』でいいだろ

10 名無しの環理民

 あの男スレ・第三章、開幕です


 スレッドの伸びは、それから加速度的に止まらなくなる。

 数時間でレス番は千を突破し、専用の派生スレッドが、複数立ち上がった。

 誰一人として、ソウのリアル世界での正体を語る者はいない。

 ただ全員が、ただ、その異常な戦果だけを、語り合っている。


873 名無しの環理民

 円卓のアーサーが、裏門に走ってったらしいけど、現場で何があったかは誰も知らないらしい

874 名無しの環理民

 アーサー本人がギルド内で緘口令出してるってよ

875 名無しの環理民

 ますます怪しい


「あの男」――その畏怖混じりの呼称が、この瞬間から、サーバー全体に、正式に定着していった。



 同じ朝、天裂エンタテインメント運営オフィス。

 天城は机に突っ伏したまま、深い、長いため息をついていた。

 机の上には、空になった胃薬のシートが、十数枚、撒き散らされたように散乱している。

 ドアがノックされ、宅配業者が大きな段ボール箱を、両手で抱えるようにして運び込んできた。


「天裂エンタテインメント様、ご注文の品、お届けに上がりました」


 箱の表面には、大きく、無慈悲なロゴが印字されている――『胃薬・大容量パック・60シート入』。

 天城は顔を上げず、片手で受領印を、ぺたりと押した。

 隣席の後輩エンジニアが、小声で指摘する。


「天城さん、それ、今月だけで三箱目ですよ」

「うるさい。サブスクで定期便にすればよかったよ。……あ、いや、サブスクにしたらマザーAIに最適化されて、週一で届くようになるな……いや、それはそれで、いいか……」


 天城はぶつぶつと独り言を呟きながら、段ボール箱を、椅子の足元に、第二の机のように積み上げる。

 その時、別の後輩エンジニアが、青ざめた顔で、駆け寄ってきた。


「天城さん、緊急報告です。マザーAIが、新しい中ボスの召喚プロセスを開始してます。コードネーム……『装甲機竜アーマード・ドラゴン』」


 天城の手が、止まった。


「装甲機竜って……あれ、実装予定、二ヶ月後だぞ? しかも難易度設定、上級プレイヤー向けのバランス調整、まだ間に合ってないだろ。なんで今、出すんだよ!」


 後輩は静かに、モニタの一点を、指で示す。


> 【SYSTEM】識別子『ソウ』:観測対象再分類を「準特異点」へ更新。

> 推奨対応:環境難易度の動的調整を継続


 天城は、ゆっくりと、新しい胃薬の銀紙を、ぱきりと破った。


「……あのプレイヤーのせいだろ、絶対に」


 彼は、相変わらず、名前を口に出さない。

 だが、目の前のモニタには『ソウ』の二文字が、もはや消えない印のように、ずっと表示され続けていた。





 円卓の剣ギルドホール。

 円卓を囲んで、最高幹部級メンバー十名が、静かに座していた。

 中央には、アーサー。

 彼の表情は、戦闘後の疲労を超えた、何か別の感慨で、覆われている。


「貴殿らに、告げる」


 アーサーは静かに、しかし力強く、切り出した。


「裏門で起きたことについて、ギルドとしての公式見解を出す。あの男――『ソウ』は、脅威ではない」


 メンバーの一人が、眉を寄せた。


「マスター、しかし四千体以上のモンスターを、単独で殲滅した相手ですよ。脅威でない、と?」

「違う。脅威という言葉は、敵に対して使う言葉だ。ソウ殿は……俺たちと同じ平面に立っていない。あれは、別の領域の存在だ」

「『ソウ殿』、ですか」


 別のメンバーが、その敬称に、わずかに反応した。

 アーサーは目を伏せて、深く、一度だけ頷く。


「俺は、彼の戦果を間近で見た。あれはチートではない。仕様の範囲内で、自前のプログラミングによって組み上げられた戦術だった。俺たちが半年かけて磨いてきた連携を、彼は一晩で組んだ廃材塔で、凌駕した」

「……マスターまで、チーター肯定派ですか」


 古参の一人が、苛立った声で、低く吐き捨てた。

 アーサーは、無言で『誓約の刃プレッジ』を抜き――円卓の上に、静かに、横たえた。

 それは、騎士が服従または尊敬を相手に示す、古来の作法だった。


「俺は、ソウ殿の歩幅に、追いつきたい。それが、トップギルドのマスターとしての、俺の新たな目標だ。同調できない者は、ギルドを離れて構わない」


 ギルドホールが、深い静寂に包まれた。

 古参のメンバーが、渋い顔で席を立ち、何も言わずに、退室していく。

 残った数人のメンバーは、ただ、深く、頷いていた。





 スクラップヤード。

 ソウは廃材塔の周辺で、使い終わった部品を、種類別の小さな山に積み直していた。

 ぶつぶつと独白するその声に、悲愴感も、達成感も、特に乗ってはいない。


「今回のデータで、流体力学補正の幅、結構詰められたなぁ。次は……気温差による空気密度の変化、もう少し真面目に組み込んでみるか」


 肩のナビが、抑揚のないままに告げる。


「《マスター、本日のログイン時間が十六時間を超過しました。健康監視警告です。即時ログアウトを推奨します》」

「あ、ほんとだ。ごめんごめん、ナビも疲れたよね」


 ナビは、わずかに沈黙したあと、いつもより、ほんの少しだけ滑らかに、応じた。


「《ナビは疲労を感じません、マスター。……ですが、ご配慮、ありがとうございます》」


 ソウは、一瞬、ナビを横目で見た。

 だが、何も言わなかった。

 ただ、口元を、ほんの少しだけ、緩める。


「じゃあ今日はもう、落ちようかな。明日は装甲タイプ用の貫通弾仕様、改良してみよう」


 彼は廃材を整理し終えると、宿屋の方角へと、ゆっくり、歩き出した。





 ほぼ同じ時刻。

 運営オフィスの天城のモニタに、新しい通知が、静かに点灯した。


> 【SYSTEM】識別子『ソウ』:ログアウトを確認。次回ログイン時、環境難易度を再調整します。

> 推奨対応:『装甲機竜』召喚タイミングを早期化


 天城は、それを読み終えてから――新しい胃薬のシートを、もう一枚、無言で、破った。


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