10.装甲機竜、空に翼
防衛戦から、数日後の朝。
『はじまりの街』の上空に、突如として、黒い影が射した。
プレイヤーたちが慌てて空を見上げると、街から少し離れた渓谷地帯に、巨大な竜が、ゆっくりと降り立つのが見える。
全長三十メートル。
全身を覆う黒鉄色の装甲板。
関節の隙間からは、赤い光が、いまだ生まれたばかりの炎のように、ちらついていた。
地響きを伴う咆哮が、街中まで、はっきりと届く。
プレイヤー全員の視界に、マザーAIの大規模通知が、静かに浮かんだ。
> 【SYSTEM】未登録個体『装甲機竜』を生成しました。
> 推奨レベル:85
> 警告:当該個体は現環境におけるバランス調整の対象外です
街の各所から、どよめきが上がる。
「推奨レベル八十五って……トッププレイヤーでも届かないやつだろ?」
「いきなり中ボスかよ。マザーAI、どうしたんだ」
「『装甲機竜』、聞いたこともないぞ。前情報、ゼロだ」
ほぼ同じ瞬間。
運営オフィスでは、天城が額に手を当てて、低く呻いていた。
「言ったろ、装甲機竜は実装予定、二ヶ月後だって……マザーAI、なんで、勝手に……」
彼は胃薬の段ボール箱に手を突っ込み、新しいシートを、無造作に引き出した。
箱の中身は、まだ、いくらでも、あった。
半刻ののち。
街から徒歩で二日――を、転送陣で短縮した先の、渓谷地帯。
円卓の剣を中心とした、街の主要ギルド連合・総勢五十名超が、装甲機竜の前に、布陣していた。
最前列にはアーサー。その背後に、剣士陣・弓使い陣・魔法使い陣・僧侶陣が、整然と列を組んでいる。
「全員、まずは弱点探しだ! 関節部、目、口内――何でもいい、ダメージが通る箇所を、見つけろ!」
アーサーの号令と共に、後衛の魔法使い陣が、同時詠唱を開始する。
上級魔法『地獄炎』、十数本が螺旋を描いて、装甲機竜の側面に直撃した。
炎の渦が、装甲板の表面を、しばらくの間、嘗め続ける。
だが――
「は……? 地獄炎が、通らない?」
火が引いたあとに残ったのは、装甲板の表面の、わずかな焦げ跡だけだった。
ダメージ判定、ゼロ。
続いて、剣士陣の連続斬撃。
アーサー自身も『鉄壁誓約』を展開しながら、両手剣『誓約の刃』で、関節部を狙う。
だが、刃は、装甲の隙間に届く前に、装甲板の張り出しに、阻まれた。
「貫通しない……どこにも、隙が、見つからない……!」
その時、装甲機竜が、ゆっくりと、首を巡らせた。
その視線が、円卓連合の中心を、捉えた瞬間――黒鉄色の口内から、青白い光が、漏れ始める。
「散開ぃッ!」
アーサーの絶叫と、ほぼ同時。
装甲機竜のブレスが、放たれた。
青白い光線が地面を抉り、後衛の魔法使い陣を、半数以上、瞬時にHPゼロまで、吹き飛ばす。
「撤退! 全員、撤退だ! これ以上の損害は、無意味だッ!」
アーサーの絶叫の中、連合は撤退判定を受け、ばらばらと光となって、街へ送還されていく。
渓谷には、装甲機竜だけが、残った。
何事もなかったかのように、再び首を畳んで、静かに、渓谷の岩棚に伏せる。
動くものは、もはや、一つもなかった。
◇
スクラップヤード。
ソウは、廃材の歯車を磨く手を、ふと止めた。
宿屋の方角から、いま街門をくぐって戻ってきたばかりの撤退組のプレイヤーたちの、消沈した会話が、風に乗って届いてくる。
「あの装甲、絶対無理だわ……」
「マザーAIのバグだろ、あれ」
「いま渓谷、近寄れない状態だぞ。アーサーさんすら、撤退したらしい」
ソウは目を細めて、肩のナビに、軽く声をかけた。
「装甲機竜……? 装甲が硬すぎて、誰も削れないって?」
「《はい、マスター。当該個体の映像ログを、すでに取得済みです。投影しますか?》」
「うん、頼む」
空中に、装甲機竜の戦闘リプレイが、ゆるやかに展開された。
ソウは目を細めて、装甲板の重なり方、関節の可動域、咆哮時に骨格を伝う振動を、順に、観察していく。
数十秒の、沈黙。
やがて、ソウの口元が、わずかに緩んだ。
「……あの装甲、面白いね」
彼は再生中のリプレイを一度止め、装甲板の一枚を、ぐっと拡大表示する。
「装甲板、表面強度は高いけど、内部の固有振動数が見えてるね。あの形状なら、共振周波数を狙えば、内側から砕けるはずだ。関節機構も、よく見たら七軸構造になってる。可動制限のリンクが、一ドット分だけ、甘い」
彼はリプレイを停止し、ナビに向き直る。
「ナビ、共振解析、頼める? あと、関節リンクの解析も、まとめてくれると助かる」
「《承知しました、マスター。即時、解析を開始します》」
ナビの羽根が、いつもより、ほんの一段、力強く羽ばたいた。
彼女自身、装甲機竜のスペックの中に、自分の演算上限を超える挑戦を、見出していた。
ただ――それを、彼女はまだ、自分では言葉に、できない。
ソウは廃材塔の試運転用パーツを工具ベルトに詰め、ナビと共に、スクラップヤードを後にした。
街門に向かう道すがら、彼は独り言のように、ぶつぶつと呟く。
「共振周波数、たぶん百三十から百五十ヘルツのレンジだろうなぁ。装甲板の形状から見て。あとは、機巧人形に、どう叩き込むかだけど……」
街門の前に到着した時、彼の足が、ぴたりと、止まった。
門の脇、街壁にもたれかかるようにして、白銀の鎧をまとった一人の騎士が、両手剣を地に突き立てて、静かに、立っていた。
アーサー、だった。
彼はソウの姿を認めると、剣を抜いて背中の鞘に収め、深く、頭を下げる。
「ソウ殿。突然で、申し訳ない」
ソウは、目を瞬かせた。
「あ、こんにちは。アーサーさん、でしたっけ。確か……円卓の剣の、リーダーさん」
アーサーが、息を、呑んだ。
ソウが、彼の名を、初めて正しく呼んだ瞬間だった。
アーサーは膝に静かに力を込めて、わずかな震えを抑えながら、告げる。
「貴方に……いえ、ソウ殿に、お願いがある。あの装甲機竜の調査に、俺を、同行させてほしい」
「同行?」
「俺たち円卓は、完全に敗北した。あの装甲を削れる者は、街には、もういない。だが――俺は、感じている。ソウ殿の目には、あの装甲が、違って見えているはずだ。俺は貴方の戦術を、間近で見たい。荷物持ちでも、囮でも、何でも、いい」
ソウは少し考え、軽く頷いた。
「えっと、別に邪魔じゃないなら、いいよ。データ取りに行くだけだし、荷物が一つ増えるくらいなら、問題ないかな。ただ、無理して戦わなくていいからね」
アーサーが、ゆっくりと、頭を上げる。
その目には、敗北の痛みを超えた、何か澄んだ光が、宿っていた。
「感謝する、ソウ殿。この恩は、必ず」
二人は、街門をくぐり、渓谷地帯へと続く一本道を、歩き始めた。
夕陽が、二人の背中を、長く、長く、伸ばしていく。
前方からは、時折、装甲機竜の遠雷のような咆哮が、風に乗って届いてくる。
ソウは前を向いたまま、ぽつりと独白する。
(アーサーさんって、騎士なのに丁寧な人だなぁ。話しやすそうで、助かるよ)
肩のナビが、何も言わずに、静かに笑った――そんな気が、した。
ソウは、独白の続きを、口にする。
「ナビ、共振解析、目処は立ちそう?」
「《はい、マスター。あと八分以内に、最初の予測モデルを、お届けします》」
その応答の速度は、もはや、進化前ナビの仕様上限を、遥かに超えていた。
ただ――マスターも、ナビ自身も、そのことに、まだ、気付いては、いない。




