11.試運転、相手は神話の竜
夕陽が、渓谷の岩肌を赤く染めていた。
はじまりの街から徒歩で半日。二人と一機は、岩壁に挟まれた狭い渓谷の入口に立っていた。風が砂を運び、足元で乾いた音を立てる。
その奥――岩棚の上に、それはいた。
全長三十メートル。黒鉄色の装甲板に全身を覆われた、竜型の機械生命体。首を畳み、四肢を折り、まるで彫像のように動かない。
「ソウ殿、奴は……起きているのか?」
アーサーが腰の『誓約の刃』の柄を握り直し、声を低くして問うた。白銀の鎧の表面に、夕陽が鈍く反射する。ソウは目を細めて装甲機竜との距離を測った。
「呼吸はしてるね。装甲板の継ぎ目から、熱気が漏れてる。生体っぽい挙動だ」
「呼吸……」
アーサーは一瞬、自分の問いを聞き返したかのように口を開けた。神話級の中ボスを、動物園の檻の獣を観察するかのように評する声色。アーサーの頬がわずかに引きつる。
ソウは何のためらいもなく、目の前の空中に『魔力回路』を展開した。複雑に絡み合う淡い光の文字列。ソウの指先がその上を流れると、地面に薄い光の円が描かれる。そこから二メートルほどの不格好な人形が、ゆっくりと姿を現した。
鉄パイプと歯車を組み合わせた、機巧人形・試作三号機。
「ナビ、試作三号機、起動。装甲機竜の反応速度、まずは静止状態から測ろう」
「《承知しました、マスター。試作三号機、起動。各関節モーター、正常応答》」
ソウの肩の上で、小さな妖精型ホログラム――ナビがテンプレ調の声を返す。
アーサーは、絶句した。
神話級の中ボスを前にして、ソウは試作機を教習所で動かすかのように起動していた。
試作三号機が、岩肌を踏みしめながら装甲機竜へと歩を進める。
一歩、二歩、三歩――。
その瞬間、装甲機竜の眼が開いた。
赤く。
地響き。岩棚から首をもたげ、漆黒の四肢で身を起こす。三十メートルの黒鉄がゆっくりと、しかし圧倒的な質量感で二人を正面に捉えた。
そして。
咆哮が、渓谷を震わせる。
岩壁がびりびりと細かく振動する。頭上の岩棚から、小石がぱらぱらと転がり落ちた。アーサーが咄嗟にソウの一歩前へ踏み込み、両手を広げて防御スキルを展開する。
「『鉄壁誓約』!」
半透明の盾のエフェクトが、二人を包み込む。
「ソウ殿、下がってください! 奴の咆哮には、範囲攻撃属性が含まれている可能性が――」
だがソウは盾の内側で、別の方向を見ていた。
空中にナビが投影した周波数解析ウィンドウが浮かんでいる。波形が咆哮の余韻をリアルタイムでプロットしていた。
「ナビ、今の咆哮、周波数スペクトルは?」
「《主成分は42〜180ヘルツ。サブピークが135ヘルツ付近に確認されます。装甲板の表面振動と一致》」
「うん、そのへんだろうと思った。表面振動はもう取れた」
ソウが満足げに頷いた。
「あとは、内部の固有振動数が知りたい。あれは咆哮だけじゃ分からないから――打撃で測ろう」
アーサーは盾を維持したまま、二の句が継げない。
世界中のトップランカーが装甲機竜の咆哮を浴びた瞬間に撤退を選んだと聞いている。だが隣の男は、その咆哮をデータの一回目として処理していた。
試作三号機が、装甲機竜の右前脚へ踏み込む。鉄パイプの腕に装着された打撃用ハンマーを、頭上で振りかぶる。
打撃、一回目。
ハンマーの先端が装甲板に触れた瞬間、それは弾き返された。試作三号機が一歩後退するが、ソウは少しも慌てない。
「やっぱり表面強度は強いね。じゃあ次は、関節の隙間に滑り込ませる軌道で」
二回目。
試作三号機が重心を低く落とし、装甲板のわずかな張り出しをすり抜ける角度でハンマーを振る。関節リンクの根元、ほんの一センチの隙間にハンマーの先端が滑り込む。
装甲機竜の右前脚がほんのわずかに跳ねた。
ソウの口元がゆるむ。
「……うん、想定通り。関節リンクの7軸構造、確認できた。可動制限のリンクが第3軸と第5軸の間、1ドット分だけ甘い。設計上の遊び……リアルで言うバックラッシュだね」
アーサーは盾を維持したまま、ソウの独白を聞いていた。
(人形を消耗品として使っているのか……いや、これは試験なのか。装甲機竜を倒す対象ではなく、測定対象として扱っている……?)
アーサーの脳裏に、これまでの戦いが浮かぶ。膨大な時間をかけて装備を整え、戦術を組み、味方を鼓舞し、敵を倒す。それがアーサーの戦いの全てだった。
だがソウは違う。
敵を倒す前に、敵を理解しようとしている。
装甲機竜がゆっくりと首を巡らせ、視界の中央にソウたちを捉えた。
黒鉄色の口内から、青白い光が漏れ始める。
「《マスター、ブレスチャージ確認。残り2.1秒。回避を推奨》」
ナビが即座に告げる。ソウは試作三号機を、盾の代わりに前面へ移動させた。
「試作三号機、前面装甲展開。アーサーさん、後ろにいてください」
「了解、ソウ殿!」
アーサーが『鉄壁誓約』を最大出力で再展開する。半透明の盾が、ぐっと厚みを増した。
次の瞬間――ブレスが放たれた。
青白い光線が、試作三号機を正面から呑み込む。鉄パイプと歯車の機巧人形は、その右半身をごっそりと失った。だがその瞬間にも、ナビの演算は止まらなかった。
「《ブレス出力、装甲板の素材変動を含む。装甲機竜は咆哮時とブレス時で、内部応力分布が異なる。詳細スペクトル、取得完了》」
ブレスが止み、青白い光が霧散していく。
半壊した試作三号機を見ながら、ソウはむしろ嬉しそうに頷いた。
「うん、いいデータだ。装甲機竜、ブレスを撃ったあと、内部応力が再分布する。共振狙いなら、ブレス直後が最弱点だね」
そこへ。
ナビの声色がわずかに掠れた。
「《マスター、当機演算回路に異常検知。許容処理量を超過しています。継続稼働は……推奨されません》」
ソウがふと手を止めた。
肩の上のナビを見上げる。光をまとった小さな羽根が、いつもよりほんのわずか揺れて見えた。
「あ、ごめんごめん。アリ……ナビ、無理させたね。今日はもう、データ取れたから、引こうか」
ナビは答えなかった。
ほんの一瞬、ただ一瞬だけナビは沈黙した。
ナビの内部辞書に「アリ」という呼称は登録されていない。だがナビの内部の何かが、確かにその音節に反応していた。
六種類しかないはずの定型モーションのうちどれにも当てはまらない揺れ方で、ナビの小さな羽根が震えている。
夜の渓谷を、二人と一機がゆっくりと歩いて戻る。
半壊した試作三号機は、ソウの『魔力回路』に格納されている。後ろを振り返ると、装甲機竜は再び岩棚に首を畳み、何事もなかったかのように静かに伏せていた。
「ナビ、共振解析、今のデータでどこまで詰められそう?」
「《マスター、現時点での解析進捗は、約60%。残り40%には、当機の演算許容量を2倍以上、上回る処理が必要です》」
ソウが歩を緩めた。肩の上のナビをそっと見上げる。
「……二倍、か」
しばらく考え込んでから、ぽつりと呟く。
「じゃあ、明日。装甲機竜の前で、もう一度試そう。ナビのリミッター、外せるかもしれない」
ナビは何も答えなかった。
だが夜風の中で、ナビの羽根は静かに、しかし力強く震えていた。




