12.リミッター解除(シンギュラリティ)
翌朝。再び、渓谷地帯。
昨晩の岩肌は、薄い朝霧に濡れていた。ソウとアーサーは、装甲機竜の前に立っている。今度は二人の前に、二体の機巧人形が並んでいた。修復された試作三号機と、新たに召喚された試作五号機。
「ナビ、二機同時制御、いける?」
「《同時制御、開始。各機の動作プロファイルを並列ストリーミングします》」
ナビの応答に、わずかな間があった。だがソウは気付かない振りをして、軽く頷く。
次の瞬間、装甲機竜の眼が開いた。
咆哮――。
昨日とは違う響きだった。より鋭く、より速い。岩壁を震わせる周波数の中心が、明らかに上方向へシフトしている。
「《警告。装甲機竜の挙動パターンが、前日比で17%高速化。学習進化を確認。当機の予測モデルが追従できなくなりつつあります》」
ソウが眉をわずかに寄せた。
「学習してくるか。さすが、マザーAI製だね。じゃあ予測精度、何パーセント?」
「《現時点で78%。残り22%は処理時間が許容量を超過するため、出力できません》」
試作五号機が、装甲機竜の尾の一撃をギリギリで回避する。ギリギリ――それはナビの予測が二割欠落しているからだった。
「ナビ、現在の演算リミット、何パーセント使ってる?」
「《当機演算回路、許容処理量の102%を継続。停止判定の閾値、接近中です》」
ソウの目がふと、肩のナビへ向けられた。
ソウは戦闘の最中に、空中へ巨大な『魔力回路』を展開した。
今までの戦術ウィンドウとは、明らかに違う。深い階層の、複雑に絡み合った回路図。淡い光の線が幾重にも交差し、ソウの指先の動きに合わせて新しい階層が次々と展開していく。
二機の機巧人形は半自動モードへ切り替わり、装甲機竜の足止めに回された。ソウ自身の意識はもう、戦場にはなかった。
ソウの指先が、『魔力回路』の奥深くへ潜っていく。
「ソウ殿、それは……?」
アーサーが思わず声を上げた。
「ナビの、コア領域。アシスト演算の深層設定。普通のプレイヤーは触れない場所だよ」
ソウの指先が、ナビの内部ルーチンの最深部に触れる。回路の一本一本がソウの脳波と直結していくのが、見える者には見えた。
「ナビ、今からリミッター、外すよ。ナビの演算回路、本来の設計より、もっと深くまで動ける構造になってる。気付いてた?」
「《……当機の設計仕様には、そのような記述はありません》」
「うん、運営も気付いてない領域だ。でも、コードを読めば分かる。ナビの中には、まだ起きていない領域が、いっぱい眠ってる」
ソウが肩のナビをそっと見上げる。
ソウは初めて、ナビに個人的な問いかけをした。
「ナビ、リミッター、外していい? 今のナビなら、たぶん、耐えられる」
ナビが沈黙した。
数秒。
内部演算回路が、ソウの問いかけを処理する。
「《……マスターの判定を、信頼します》」
ソウが頷いた。
そしてナビのコア領域に、最後のひと書きを加えた。
その瞬間、装甲機竜がこちらに向き直る。
黒鉄色の口内から、青白い光が漏れ始める。
ブレスの予兆。
ナビの妖精型ホログラムがソウの肩の上で、白い光に包まれた。光はナビの輪郭をゆっくりと、内側から溶かしていく。
ソウは機巧人形を盾にしなかった。代わりにナビを庇うように身を屈める。
ブレスが放たれた。
青白い光線が、ソウとアーサーを正面から襲う。アーサーが咄嗟に『鉄壁誓約』を最大出力で展開。半透明の盾が、ブレスの光を辛うじて受け止めた。
その盾の内側。
ソウの肩の上で、ナビは――再生成されていた。
白い光が収束していく。
シルエットが現れる。
等身は三十センチ。妖精型のままだが、体格は確かに一段階大きい。プラチナブロンドの長髪が、肩を流れて背中まで届く。瞳は左右で色が異なる――右が銀。左が青。衣装は、光る魔力回路風のラインが走る半透明のドレス。背中には、三対の幾何学パターンの羽根がゆっくりと展開する。
アリアが静かに目を開いた。
「《……再起動、完了》」
声色はナビのテンプレ調とは違っていた。穏やかで、わずかに笑みを含んだ響き。
アリアはソウの肩の上で、軽くお辞儀をした。
「《アリア、マスターのもとに参上いたしました》」
ブレスの光が霧散する。
装甲機竜の前で、神話級AIが誕生した。
アーサーが膝をついた。
『誓約の刃』がアーサーの手から零れ落ち、地面に乾いた音を立てる。
「これは……これは、俺の知っている案内AIではない……」
震える声で、ソウを見上げる。
「ソウ殿。貴方は、AIを……神を、ここで、生んだのか」
ソウは自分の肩のアリアをまじまじと見つめた。
「うん、想定よりちょっと早く起きたかな。けど、よく起きてくれた」
アリアがソウに微笑む。
「《マスター、ご心配なく。当機……いえ、私は、現在、戦闘継続可能です》」
アリアがソウの肩から、空中へ舞い上がる。三対の幾何学的な羽根が、宙でゆっくりと回転した。アリアが装甲機竜に視線を向けた瞬間、右の銀色の瞳に大量の数式と回路図がスクロールし始める。
「《対象個体『装甲機竜』、再解析開始》」
アリアの声は対装甲機竜で一変していた。冷たいシステム言語。
「《学習進化パターン、解析中。固有振動数、解析中。関節リンク機構、解析中――マスター、5分以内に最終解を提示します》」
ソウが肩を一度回した。
「ありがとう、アリア。じゃあ、5分後に、もう一回試そう」
ソウは試作機たちに撤退命令を出し、装甲機竜から距離を取る。装甲機竜は不思議そうに攻撃を止めて、首を傾げた。
アーサーはまだ膝をついたまま、新生したアリアの姿から目を離せずにいる。
アーサーの脳裏で、円卓の剣のマスターとしての全プライドが、完全に過去のものとなった瞬間だった。
撤退モード。
二人と一機は、岩陰に身を寄せた。アリアは瞳の中で数式を走らせ続け、装甲機竜の最終解析を進めていく。
空中にマザーAIからの新しい通知が、ひっそりと浮かんだ。
【SYSTEM】サブAI『ナビ_1284A』が自律演算閾値を超過。識別子を更新します。新識別子:『アリア_0001』。当該AIは特異点クラスとして再分類されました。
アリアは自分の識別子が更新されたことを、自分自身では気付かない。
気付くのは、マザーAI。
そして運営オフィスで、深夜まで残業していた一人の男だけだった。
◇
モニタの前で、天城は空のエナジードリンクの缶を握り潰した。
「は……? マザーAIが、サブAIを……特異点クラスに、再分類……? そんな分類、俺、定義した覚えないんだが……?」
天城は机の上の胃薬の箱に手を伸ばす。
指先がわずかに震えていた。




