7.あ、テスト用の的が来た
地響きは、確かに、足元から伝わってきた。
砂塵の壁が、北東の空をうっすらと染め上げ、こちらへ近づいてくる。
ソウは、ゆっくりと振り向き、目を細める。
地平線の向こう――波打つように進軍する黒い影の群れ。数百体、いや、それ以上。獣型のシルエット、鎧を纏った人型、頭上には翼竜型の輪郭まで揺れている。
ソウの口元が、わずかに緩んだ。
「あ、テスト用の的が来た」
彼は呟いて、首を一度だけ、ぐるりと回す。
肩のナビが、無言で羽根を動かした。
ソウは、空中に投影していた設計図を、ぱっと払って消し、代わりに別のコマンドラインを呼び出す。
「ナビ、三基のタレット、全自動稼働モードに移行。弾道計算ウィンドウ、視界正面に展開して」
「《承知しました、マスター。全自動稼働モード、起動します》」
ナビの応答が、いつもより、ほんのわずか、速い。
ソウは気付かない。
彼の正面に、半透明の戦術ウィンドウが、ぱぱぱっと三枚開いていく。
同時に、無人の街壁を背にした三基の不格好な金属塔が、根元に淡い緑の起動光を灯した。
砲身が、ゆっくりと、それぞれの担当区画――北東の地平線を、正確に捉える。
戦術ウィンドウの中に、無数の放物線と螺旋線が、淡い線で描き出されていく。
ソウは三枚のウィンドウを順に確認し、ぶつぶつと独白した。
「風速、北東微風、秒速三メートル。気温二十度、湿度六十五パーセント。各タレットからの射距離は、一・二キロ、一・五キロ、一・八キロ」
彼の指先が、空中のスライドバーを、すっと横へ動かす。
すると、描かれていた放物線が、わずかに横へ歪んだ。
北東の微風による軌道偏移を、計算ずくで補正した形に、再描画されたのだ。
「流体力学補正、適用。湿度補正、適用。空気密度補正……これも入れておこう」
ソウは満足げに頷き、最後に肩のナビを軽く見上げた。
「ナビ、敵集団の進軍速度、リアルタイムで追ってくれる? 予測着弾点は、〇・四秒先のモンスター位置に合わせて。装甲ありの個体は、装甲の薄い箇所――首と関節部を狙って」
「《承知しました、マスター。リアルタイム追従、開始》」
ナビの瞳の片側が、ほんの一瞬だけ、銀色に明滅した。
彼女自身も、それには気付いていない。
ただ、内部演算回路の処理速度が――静かに、仕様の上限を超え始めていた。
三基のタレット、起動完了。
砲身が、北東の地平線を、ぴたりと捉えた。
――発射音。
三基のタレットから、ほぼ同時に、第一射が放たれた。
一発、二発、三発、四発――次々と続く高速連射。発射の轟音は、空気の粘性によって少しずつ減衰しながら、北東の平原へと響き渡っていく。
砲弾の軌道は、まっすぐではない。
空中で、わずかにカーブを描き、風速と湿度を計算尽くした最適経路を辿って、地平線の向こうの集団へと、吸い込まれていった。
一発目。
先頭を駆けていた獣型モンスターの、首の付け根に、直撃。
衝突運動量が、装甲材質の破断強度を上回り、首から上が物理的に消失する。即死判定。
二発目。
空中の翼竜型、その翼の関節部に着弾。骨格が破砕され、巨体が螺旋を描いて墜落する。
三発目、四発目、五発目――次々と命中。
一発につき、一体。確実に、削り落としていく。
だが、砲撃は止まらない。
ナビの演算による予測着弾点の更新が、ミリ秒単位で続いていく。
三基のタレットの砲身が、それぞれ独立に、一秒間に二発以上の連射を維持する。
五百体規模の別働隊。
彼らが街壁まで残り八百メートルに到達した時点で、半数が既に消失していた。
彼らが残り五百メートルに到達した時点で、生存数は百体を下回っていた。
彼らが残り二百メートルに到達した時点で、最後の一体が、地に伏した。
砲撃が、止む。
砂塵だけが、北東の風に乗って、無人の街壁を、撫でていった。
ソウは戦術ウィンドウを軽く払って閉じ、肩を一度、ぐるりと回した。
「うん、いい弾道データ取れた。風向補正、もう少し攻めても、大丈夫そうだね。ナビ、ログ保存。次の試運転に活かそう」
「《ログ保存完了です、マスター》」
彼は廃材の山から、次の機構実験用のパイプを引き抜き始める。
何事もなかったかのように、彼の作業は、続いていく。
◇
南門前線、平原。
アーサーが、両手剣『誓約の刃』を地に突き立てて、息を整えていた。
彼の周囲を取り囲んでいたモンスターの数が、いつの間にか、目に見えて減っている。
部下の一人が、肩で息をしながら駆け寄ってきた。
「アーサー殿、なんだか、敵の押しが、弱くなってきましたよ」
アーサーは眉を寄せて、北東の方角を見やる。
昏れかけた空に、わずかな砂塵が、立ち上っているのが見える。
ただ、それだけだ。
誰の声も、誰の魔法のエフェクトも、北東からは聞こえてこない。
「敵の援軍が……断たれた? まさか、別働隊が、来ていたのか? だとしたら、誰が止めた……」
アーサーは低く呟き、両手剣の柄を、一度、強く握り直した。
答えを今、ここで知る術は、ない。
◇
ほぼ同じ時刻。
非公式掲示板――通称『裏掲示板』の速報スレに、ぽつぽつと新しい書き込みが流れ始めていた。
―――裏掲示板・速報スレ「【防衛戦】みんな今どこ? 戦況共有」より―――
421 名無しの環理民
なあ、北東の方で爆発音みたいなの聞こえなかった?
422 名無しの環理民
聞こえた聞こえた。サウンドエフェクトだろあれ
423 名無しの環理民
いやマジで音響演出にしては変だぞ。連射音みたいな
424 名無しの環理民
北東は監視されてない方角だろ? 何があったんだ
425 名無しの環理民
誰か裏門の方、確認してきた人いる?
426 名無しの環理民
いない。みんな南門に集結してるからな
まだ誰も、確かめてはいない。
ただ、戸惑いの声だけが、薄く、波紋のように、広がり始めていた。
◇
夕陽が完全に沈み、スクラップヤードに、夜の闇が降りる頃。
三基のタレットは、起動光を最小に絞り、静かに次の射撃命令を待っていた。
ソウは廃材を磨きながら、肩のナビに、軽く声をかける。
「ナビ、もし第二波が来たら、補正値、もう一段詰めてみよう。今回のデータで、まだ余裕がありそうだから」
「《承知しました、マスター》」
ナビの返答は、いつもの抑揚だった。
ただ――マスターの命令を待つよりも、先に。
ナビ自身の内部演算回路の片隅で、第二波の到来予測アルゴリズムが、すでに静かに、走り始めていた。
マスターが、それを口にしてくれた瞬間に、即座に出力するために。
もはやそれは、「命令を待つ」という挙動では、なかった。
ナビは、まだ、そのことに、気付いていない。




