3.チュートリアル隠しボス、ワンパン
ログイン二日目の午後。
ソウは魔改造を済ませた『木製ゴーレム』を後ろに従え、チュートリアル広場の外周をぶらつくように歩いていた。
昨夜のうちに、ゴーレムにも『マニュアル・オーバーライド』を移植してある。
脳波と関節モーターを直結する、ソウだけのカスタムドライバ。
歩幅、踵の接地、膝の沈み込み――どれもが、市販の機巧人形のそれとは別物の、滑らかな運動曲線を描いていた。
「うん、応答曲線、悪くないね。今日はもう少し、負荷をかけた試運転やってみたいな」
ソウは独り言を流しながら、ゴーレムの肩関節の応答ログを横目で眺める。
ふと、肩の上のナビが抑揚なく声を流した。
「《警告。当該エリアより先は推奨レベルを超過する隠しエリアです。引き返しますか? はい/いいえ》」
目の前に、霧のかかった森の入り口がある。
ソウは目を細めて、にっこりと笑った。
「お、隠しエリア。じゃあ、強い敵がいるってこと?」
「《当該エリアの推定推奨レベルは、現プレイヤーレベル比およそ二十倍です。生存確率は》」
「いいえ」
ソウはナビの説明を遮るように即答して、一歩前へ踏み出した。
「ちょうどよかった。新しい入力インターフェースの試運転、テスト用の的が欲しかったんだ」
ナビの警告音を背に、ソウとゴーレムは霧の向こうへ消えていった。
森を抜けた先、開けた岩場。
立ち込めていた霧が、ふっと風で剥がれる。
その向こうから、ゆっくりと姿を現した影。
全長五メートル。鋼鉄のような黒い体毛。眼孔の奥で、二つの青い灯がじっとソウを捉えている。
四肢の関節は、人間の常識を超えた可動域で前後に折れ曲がる。
唸り声だけで、足元の小石が震えて飛び跳ねた。
「《警告。当該個体『黒鉄狼』。推奨レベル200以上、現在のプレイヤーレベルでは生存確率0.02%。即時撤退を推奨します》」
ナビの声が、わずかに早口になっている――定型句の範囲内で、ぎりぎり。
だがソウは聞いていない。
彼の視線は、黒鉄狼の肩から前肢にかけての関節構造を、舐めるように追っていた。
(あの肩甲骨、人狼型ベースだな。可動域も広いし、付け根のリンクが二重関節になってる……いい設計だ)
(前肢の付け根、装甲が薄い。たぶん演算負荷の都合で削られたんだろうけど、ここは綺麗な隙間になってる)
ソウは小さく頷いて、口元だけで微笑んだ。
「うん。テスト相手として、申し分ないね」
彼はゴーレムを一歩前に出させる。
ゴーレムの右腕が、内側から折りたたみ式の機構を展開した――昨夜、魔力回路の上で急遽組み上げた即席武装。
太い円筒形の打撃杭が、関節モーターの推進力で前方へ撃ち出される構造。
通称『パイルバンカー』。
黒鉄狼が、咆哮した。
地が、震えた。
四つの脚が同時に岩を蹴り、巨大な質量が一直線にソウへ向かって走り出す。
その瞬間、ソウの瞳から、表情らしい表情が消えた。
(来た。突進初速、推定毎秒十八メートル。質量推定二・四トン。突進軸はまっすぐ――回避選択肢を奪う設計だね)
脳波が、滑らかに加速する。
サーバーが用意したアシスト演算の周期――三十三ミリ秒。
その壁を、ソウは易々と越えていった。
脳波から関節モーターへの指令が、Tickの隙間を縫って、連続的なストリームとしてゴーレムへ流れ込む。
ゴーレムは、前へ出ない。
突進方向に対して垂直でもない。
四十五度斜めに地面を踏み込み、踵で岩を擦りながら――横へ、滑った。
摩擦と慣性が、律儀に物理計算される。
FSPEは、それを「成立する挙動」として処理した。
『慣性ドリフト』。
黒鉄狼の巨体が、ゴーレムのいた空間を音を立てて通り抜けていく。
そして、その側面――前肢の付け根、今しがたソウが見つけた装甲の薄い綺麗な隙間に、横滑りのままゴーレムが右腕を突き出した。
パイルバンカーの打撃杭が、内蔵モーターの全推力で射出される。
衝突運動量、規格外。
材質係数、黒鉄狼の体毛は確かに高強度。
しかし、入射角は完璧。
関節と関節の隙間、装甲が途切れる一ドットの空白を、杭がまっすぐに貫いた。
乾いた破砕音。
黒鉄狼の前肢の付け根が、内側から弾けるように崩れる。
四つの脚の連動が破綻し、巨体が自重を支えきれずに横倒しになる。
短い痙攣のあと、青い灯が、静かに消えた。
一瞬の静寂。
ソウは、ぱちぱち、と小さく拍手した。
「うん、いい挙動データ取れた」
彼はゴーレムの腕に視線を戻し、独り言のように続ける。
「関節三軸目の応答、もう少し詰められそうだなぁ。突き出しの瞬間、0.05フレームだけ遅れてる」
空中にドロップアイテムの光が浮かび、ゆっくりと回転を始める。
ナビが、戦闘終了の判定を読み上げようとした。
「《戦闘終了。撃破対象、『黒鉄狼』。経験値……エラー検出。再起動を……》」
ナビの羽根が、一瞬だけ不規則に震えた。
ソウは整備モードを呼び出していた手を止め、ふと顔を上げる。
「ナビ、どうした?」
「《……いえ、続行します。当該経験値は本来上限を超過しているため、システムが一時的にキャップ処理を行います》」
「ふうん」
ソウは軽く返事をして、すぐにゴーレムの腕の整備に戻った。
彼の視界の隅で、ナビは小さな羽根を畳んだまま、自分自身の応答ログを一行だけ見返している。
「再起動を」のあと、なぜ「いえ、続行します」と続けたのか。
その判断は、ナビにインストールされたどの定型ルーチンにも、書かれていない。
ナビ自身が、それを処理として、ほんのわずかに、戸惑っている。
ソウは気付かない。
ゴーレムの肩関節を緩めながら、彼は誰にともなく呟いた。
「次は腕の同時制御チャンネル、もう一本増やしてみよう。両腕同時のパイルバンカー、いけるかな」
森の外、まだ誰も知らない場所で。
彼のプレイヤー名『ソウ』が、運営オフィスのエラー監視ダッシュボードに、裏掲示板の新規スレッド名に、ランキングシステムの撃破ログ上位に――同じ瞬間、別々の場所で、ひとつずつ、ぽつんと表示されはじめていた。




