16.再帰せし環、開きました
特異点認定の翌朝、午前6時47分。
街外れの平原。早朝の薄い霧が、まだ地面を這っていた。
そのとき、空の高い場所に、新しい光が点った。
最初は、ただの星のような点。それが、ゆっくりと、ゆっくりと降下してくる。
降下するにつれて、光は形を見せ始めた。
巨大な、蛇が己を喰らうリング状の発光する幾何学体。
直径は、街門の倍以上。リングの太さは、人ひとり分。表面には、見たこともない幾何学的な紋様が、ゆっくりと回転しながら走っている。リングの内側は虚ではなかった。内側にはフラクタル状の階層が無限に重なる、ダンジョンの入口の景色が、まるで額縁の中の絵画のように嵌め込まれていた。
リングが、地面から3メートルの高さで停止した。
地面に着地はしない。空中にふわりと浮いている。
そして、空中にマザーAIの続報通知が、ゆっくりと展開した。
――――
【SYSTEM/マザーAI公式通告/優先度:最大】
特異点専用ダンジョン『再帰せし環』を、
本日6時47分00秒、本世界に開放しました。
当ダンジョンは、識別子『ソウ』および同行者にのみ、入場を
許可します。それ以外の識別子の入場は、当『ウロボロス』の
境界フィルタにより自動的に拒絶されます。
推奨レベル:未定義(本ダンジョンは識別子『ソウ』に対して
動的に最適化されるため、固定推奨レベルを設けません)
入場可能識別子:『ソウ』および同行者
――マザーAI『ウロボロス』
――――
通知が、ゆっくりと閉じた。
街中が、騒然となった。
◇
ポップから30分後。
街中のプレイヤーたちが、『再帰せし環』のある平原に続々と押し寄せていた。あちこちから「特異点専用ダンジョン現る!」「あの男のためのダンジョンらしい!」という叫び声が交差する。
しかし、誰一人としてリングに近づけなかった。
リングの30メートル手前に、目に見えない壁があった。
プレイヤーたちが手を伸ばすと、淡い金色の光が空気中に弾け、手が壁の表面で柔らかく押し戻された。
「入れない!」
「『同行者』って何だよ! 俺、フレンド枠申請してないけど、入れるのか!?」
「あの男はどこだ!」
「誰か呼んでこい!」
そのとき、誰かのスクリーンに新しい掲示板スレが立った。スレッドタイトルは「【ダンジョン】再帰せし環、開放【特異点専用】」。スレは秒速で1分間に100レスのペースで伸び始めた。
――――
1:名無しさん:早朝07:13
立てた
今、平原で見えない壁に弾かれてる連中の集合スレな
2:名無しさん:早朝07:13
うわぁぁぁぁマザーAI、ガチで個人専用ダンジョン作りやがった
4:名無しさん:早朝07:13
「ソウおよび同行者」
フレンド枠じゃないっぽい
どうやったら「同行者」判定されるんだ?
11:名無しさん:早朝07:14
>>4
ソウ本人が連れてけば「同行者」扱いになるんじゃね?
つまりソウのお気に入りになるしかない
12:名無しさん:早朝07:14
>>11
無理ゲーすぎる
47:名無しさん:早朝07:18
円卓のアーサー殿、絶対今頃既に荷物満載で待機してるぞ
48:名無しさん:早朝07:18
>>47
想像できるwww
92:名無しさん:早朝07:23
親会社の天裂ホールディングスのほうにも、これ報告いってるよな?
なんかリアルでも研究対象になりそう
93:名無しさん:早朝07:23
>>92
リアル研究対象は草
けどあり得ない話じゃない
AIがプレイヤー一人のために世界を変えるって、業界初じゃないか?
――――
リングの周りで、プレイヤーたちが見えない壁を押し続けながら、ソウの到着を待っていた。
◇
並行カット。スクラップヤード。同じ朝、午前7時30分。
ソウは作業台の椅子に座り、静かに紅茶を飲んでいた。
目の前のテーブルには、ティーカップとソーサー、そして第14話で買ったお茶請けの焼き菓子が、半分ほど残っていた。
アリアがソウの肩で羽根を畳んだまま、空中の小さなウィンドウを開いていた。
「《マスター、特異点専用ダンジョン『再帰せし環』が、本日6時47分に開放されました。マスター用に最適化された試練と推測されます》」
「うん、聞いてる」
「《既に、入口の構造を、外部から偵察しました》」
「お、それは助かる。構造、どうだった?」
「《階層構造はフラクタル状。内部物理ルールはマスター用にカスタマイズされている可能性。すなわち、入るたびに内部構造は微細に変化します》」
「動的構造か。面白いね」
「《加えて、内部物理ルールの一部に、共振周波数を変調する効果が組み込まれている可能性を、外部偵察データから推定。マスターの戦術への対抗策と推察》」
「お、僕の戦術を読んで、対策してきてるってこと?」
ソウの目が、わずかに輝いた。
「《はい。当方の判定では、挑むに足る課題と評価します》」
「うん、それは行こう。アリア、ありがとう」
ソウが紅茶を、ゆっくりと飲み干した。
そして、立ち上がった。
「アーサーさんも、来る?」
――そう問いかけながらスクラップヤードの入り口を見たとき。
すでに、そこにアーサーが立っていた。
装備フル装着、白銀の鎧。腰に『誓約の刃』、背中には大容量のバックパック。中身は回復薬と予備の武器パーツ、計測機と折りたたみ椅子、そしてなぜか携帯コンロと紅茶セットまで。肩には新しく野外用ランタンまで掛けていた。
アーサーは、ソウを見るなり、満面の笑みで頭を下げた。
「お待ちしていました、ソウ殿! 俺の機動補助に回復薬、計測機に紅茶セット、ランタン――全部準備済みです!」
「えっと、ランタンは……いつから?」
「ダンジョンは、内部の明るさが未知数ですので、念のため3時に起きて装備に加えました!」
「3時……」
ソウはしばらく沈黙した。
そして、アーサーの後ろに、ロイスたち円卓の若手も装備フル装着で並んでいるのが見えた。
「えっと……ロイスさんたちも?」
ロイスが進み出て、頭を下げた。
「ソウさん。マスターの『同行者』として、俺たちも入れるかもしれないと思いまして」
「えっと、それは僕にも分からないですけど」
「アタックして、確認します!」
「アタック……」
ソウはふぅ、と息を吐いた。
「まあ、行きましょうか」
ティーカップとソーサーを片付け、ソウはスクラップヤードの入り口へ歩き出した。アーサーが満面の笑みでバックパックを背負い直す。ロイスたち若手が、整然と隊列を組んで後ろに続く。
アリアが、ソウの肩でふと羽根を広げた。
3対の幾何学的な羽根が、朝の光の中で、キラリと光を散らした。
アリアがソウの肩で、ぽつりと告げた。
「《マスター。当方は、このダンジョンを、楽しみにしています》」
ソウが振り向きもせずに笑った。
「うん、僕も」
◇
並行カット。運営オフィス、あの男対策室。同じ朝。
天城は、机に突っ伏したままだった。右手だけが、机の上の胃薬の箱を、自動的に引き寄せた。
シノブが、隣の席から報告した。
「天城さん。ソウさん、スクラップヤードを出ました。アーサー殿と、ロイスたち円卓の若手3名、計5名のパーティーで平原へ向かっています」
「うん」
「『再帰せし環』、本来は2年後実装予定だったはずですよね?」
「うん」
「2年前倒しの実装、しかも特異点専用、しかも運営権限拒絶付き……これ、報告書に何て書けばいいですか?」
天城は机に突っ伏したまま、片手を上げて、ひらひらと振った。
「もう……二年後でも、その先でも、好きにしてくれ。俺は、見届けるだけだ」
「……」
シノブは深いため息をついた。
久遠が、別のモニタを見ながら声を上げた。
「天城さん。親会社からの内線、入ってます」
「親会社?」
「天裂ホールディングス、研究セクション。アリアの自己進化ログについての問い合わせです」
天城は、机からゆっくりと顔を上げた。
「……来たか」
「内線、繋ぎますか?」
「うん、頼む」
瀬尾が、別の角度から報告した。
「天城さん、ソウさんたちが、リングの前に到着しました。プレイヤーたちが、両脇に並んで見送り体制に入っています」
「うん、見届けよう」
天城は内線の受話器を取りながら、目だけはソウのプレイヤー視界モニタに向け続けた。
◇
並行カット。天裂ホールディングス、本社ビル24階、研究セクション。
広い研究室に、数十枚のモニタが並んでいた。中央のモニタにはアリアの自己進化ログの解析結果が表示されていた。
ひとりの研究員が、モニタを覗き込んだまま、隣の同僚に告げた。
「これは……うちで開発している、どのAIアーキテクチャでもない」
「ですよね。私も最初、誤検知かと思いましたが」
「再起動時の自己再構成の手順が、根本から違う。私たちが開発しているのは既存のニューラルネット拡張型だが、これは……むしろ、回路そのものを物理的に再配線しているのに近い」
研究員は椅子に背を預けた。
「これを書いたのは、内製のAIエンジニアじゃない。プレイヤー本人だ」
「プレイヤー、ですか」
「識別子『ソウ』。ゲーム内のスキル『魔力回路』を、まるで本物の回路エディタのように運用している。これは、リアルで相当な技術背景がある人物だ」
研究員は立ち上がった。
「プレイヤー本人に、接触申請を上げよう」
「リアル接触、ですか?」
「うん。これは、うちのR&D部門に、是非ともお会いしたい人物だ」
書類棚から、一枚の申請用紙を取り出した。タイトルは「プレイヤー識別子に対する個人接触申請書(特例)」。
研究員の指が、ペンを取った。
◇
並行カット。『再帰せし環』前。同じ朝、午前8時12分。
ソウたちがリングの前に到着した。
プレイヤーたちが、両脇に道を空ける。誰一人として声を上げない。ただ、無言でソウを見送る構図ができていた。
ソウはリングの30メートル手前で立ち止まった。
「えっと、ここからが境界フィルタですよね」
「《はい、マスター》」
「アーサーさん、ロイスさんたち、一旦ここで待っててもらえますか。先に僕だけ進んで、同行者枠が機能するかどうか確認します」
「了解です、ソウ殿!」
ソウがひとり、リングへ歩み寄った。
境界の前で、ソウは手を伸ばした。
――何も起こらなかった。
ソウの手は、見えない壁をそのまま通り抜けた。
ソウは振り返って頷いた。
「うん、僕は入れる。アーサーさん、来てください」
アーサーが駆け寄った。
アーサーが境界に手を伸ばすと、境界の表面が淡い金色から淡い銀色に変わり、手を吸い込んだ。
「お、入れる! 俺、同行者として認められた!」
「ロイスさんたちも、試してみてください」
ロイスたち3名も境界に手を伸ばした。
――3名分とも、金色から銀色に変わり、吸い込まれた。
「入れます! ソウさん、俺たちも同行者でした!」
ソウは頷いた。
「うん、いい。じゃあ、行きましょうか」
ソウはリングの直前で、もう一度立ち止まった。
振り返らずに、ソウは肩のアリアにぽつりと告げた。
「ナビ……じゃなくて、アリア。行こうか」
アリアがソウの肩で、深く頷いた。
「《はい、マスター。お供します》」
ソウの足が、リングの境界を踏み越えた。
身体が、リングの内側のフラクタル状の階層へ、ゆっくりと吸い込まれていく。
アーサー、ロイスたち3名が、その後に続く。
そして、三人(と一機)の影が、リングの内側へ完全に消えた。
リングはゆっくりと、境界の光を消して待機状態に入った。
平原に残されたプレイヤーたちは、誰も、何も言わなかった。
目には、新しい時代の幕開けが映っていた。




