17.再帰せし環、内側の景色
リングを踏み越えた瞬間、ソウの視界が、一度だけ純白に飛んだ。
まばたきひとつ。
視界が戻ったとき、ソウは、どこか分からない場所に立っていた。
足元は、石床と思しき表面。よく見ると、石の表面には微細なフラクタル模様が刻まれていた。模様は、目を凝らすと、内部にさらに同じ模様が無限に折り畳まれているのが見える。視覚的なめまいが、わずかに走る。
頭上は、空ではなかった。深い藍色の天井が、はるか高い場所にあった。天井からは、白い光の球体が、いくつもふわふわと垂れ下がっている。光源は、その球体だけ。陽光ではない。ダンジョン内部の人工照明だ。
そして、両側の壁。
両側の壁は、いずれも直線的な石壁に見える。だが、目を凝らすと、壁の表面に別の通路の景色が、まるで鏡のように映り込んでいた。実体ではない、映り込みだけの通路。エッシャー風の、空間の入れ子構造。
ソウの後ろから、アーサーの声が響いた。
「お、ソウ殿! 無事に入れました!」
振り返ると、アーサーが装備フル装着のまま、同じく純白から戻ってきた直後の姿で立っていた。さらにその後ろから、ロイスたち円卓の若手3名も、整然と隊列を組んで続いた。
ソウは肩のアリアを確認した。
「アリア、状況は?」
「《マスター、当方の入場、完了しました。ダンジョン内部物理ルールのスキャン、開始します》」
アリアの右の銀色の瞳に、大量の数式と回路図が、これまで以上の速度でスクロールし始めた。
「《スキャン、第1段完了。報告します。当ダンジョン内部の重力は、地表比0.94。摩擦係数は石床に対して10%減。空気抵抗は地表比1.08。空間曲率は、わずかに非ユークリッド――視覚的なめまいの原因は、ここにあります》」
「お、面白いね。空間がちょっと歪んでるってこと?」
「《はい。曲率半径は極めて大きく、人体の挙動には実害ありません。ただし長距離射撃や、共振伝搬には影響が出ます》」
ソウは、ふと口を閉じた。
「……共振伝搬に、影響が、ね」
ソウの口元が、わずかに興味で歪んだ。
◇
通路を進んで、第1階層の中庭に出た。
中庭の中央には、黒鉄色の竜型生命体が伏せていた。装甲機竜と、ほぼ同サイズ。同等の装甲板。同じ姿勢。
ソウの目が、わずかに輝いた。
「装甲機竜……ではないね。似てるけど、装甲板の継ぎ目が違う」
「《マスター、当該個体の識別子は『反響竜』です。装甲機竜の派生型と推測。装甲材質は擬似結晶構造、ここまでは同等》」
「うん」
「《ただし、内部に共振周波数変調機構を持つことを、外部スキャンで検出しました。装甲機竜の固有振動数142.6Hzは、本個体では無効です》」
ソウが頷いた。
「予想通りだね。マザーAI、ちゃんと対策してくれてる」
ソウは口元に薄く笑みを浮かべた。アーサーが計測機を構えながら、横で頷いた。
「ソウ殿、共振戦術が、通用しないということですか」
「うん。前回と同じ手は通らない」
「では……」
「うん。別の手を試そう」
アリアがソウの肩で羽根を畳んだまま、新しい解析モードに入った。アリアの瞳の中で、これまでとは違う赤いワイヤーフレームが、反響竜の装甲板の微細構造を分解し始めた。
「《マスター、装甲板の擬似結晶構造を層単位で解析中。共振周波数の変調機構は、装甲板の内部第3層に組み込まれていることを確認しました。第3層を物理的に破壊すれば、変調機構そのものが無効化されます》」
「お、第3層を抜けるか。装甲表面は、装甲機竜と同等の硬度なんでしょ?」
「《はい。表面打撃による貫通は依然として不可能です。ただし、装甲板の断面にアクセスできれば、第3層への直接打撃が可能となります》」
ソウの目が、完全に輝いた。
「断面アクセス。つまり装甲板を、剥離させる必要がある」
「《はい》」
「剥離か……装甲機竜のときみたいに共振では無理だから、別の物理現象で剥離させる必要があるね」
ソウは空中に『魔力回路』を展開した。
「アリア、装甲板の熱膨張率と、内部結晶の熱応答曲線を解析できる?」
「《はい、マスター。スキャン、開始します》」
ロイスたち若手が、ソウの背後でぽつりと囁いた。
「マスターが仰っていた『観察に値する相手』とは……これですか」
アーサーが計測機を構えたまま、満面の笑みで頷いた。
「これだ、ロイス。よく見ておけ。ソウ殿が、新しい物理現象を仕様の中から掘り出しているところだ」
「掘り出している、ですか」
「うん。仕様書に書かれていない解は、誰かが掘り出すまでは存在しないのと同じだ。ソウ殿は、掘り出す側の人間だ」
◇
ソウの『魔力回路』が、複雑な階層を展開していった。
ソウの指先が、新しい命令ラインを書き始める。
「機巧人形二号機、起動。打撃武器を熱伝導型パイルバンカーに換装。先端材質を高比熱合金、根元に冷却用ヒートシンクを内蔵」
「《回路パラメータ、正常》」
「アリア、装甲板の熱応答曲線、結果は?」
「《はい、マスター。装甲板表面の熱膨張率は、内部第3層と約2.4倍の差があります。表面を急速加熱したのち急速冷却した場合、熱応答の差により装甲板内部に微小な剪断応力が発生します。これを繰り返すと疲労破壊により、装甲板表面が層状に剥離します》」
「お、これは綺麗だ。熱疲労による層剥離。装甲機竜では共振、反響竜では熱応答――どっちも内側から壊すっていう、同じ哲学なんだね」
「《はい》」
ソウが満足げに頷いた。
「アーサーさん、補助バフ『円卓の輝き』を、二号機の熱伝導パイルバンカーに重ね掛けお願いできますか。本来の効果は攻撃力+20%ですけど、熱伝導効率をわずかに底上げしたいんです」
「了解です、ソウ殿! 『円卓の輝き』、二号機へ重ね掛け!」
アーサーが両手を二号機に向けて、補助バフを起動した。淡い金色の光が、二号機の熱伝導パイルバンカーに重なる。アリアが、その瞬間、目を細めた。
「《マスター、当方の演算で予期しなかったパフォーマンスアップを検出。バフ重ね掛けにより、二号機の熱伝導効率が想定値の14%上昇しました》」
「お、ナイス。アーサーさんのバフ、毎回いい仕事してくれるね」
「ありがとうございます、ソウ殿!」
二号機が、反響竜の左前脚へ低姿勢で接近した。装甲機竜戦と同じ、関節リンクの隙間を狙う角度。
だが今回は、打撃ではなく、加熱と冷却の連続。
二号機の熱伝導パイルバンカーが、赤熱して装甲板表面に接触。一瞬で表面の温度が数百度に達する。次の瞬間、冷却用ヒートシンクが作動し、表面温度が常温近くまで急降下。
加熱、冷却、加熱、冷却――。
4.7秒間、二号機がこの動作を繰り返した。
反響竜が首をもたげ、二号機に咆哮を浴びせた。咆哮の周波数は、常に変調されていた。共振戦術への対策。だが二号機は共振では攻撃していない。咆哮は何の効果も生まない。
そして。
ピシッ、と、微細な亀裂音が装甲板表面に走った。
続いて、ピシピシピシッ、と連鎖的な亀裂。
反響竜の左前脚の装甲板が、層状に剥がれ落ち始めた。
「うん、いいね。剥離、進行中。アリア、進捗は?」
「《表面層から第2層への剥離、進行率63%。あと2.1秒で第3層が露出します》」
「OK、第3層が露出したら、二号機を高速打撃に切り替える」
反響竜が、剥がれていく装甲板を振り落とそうと暴れ始めた。
◇
2.1秒後。
反響竜の左前脚の装甲板が、表面層と第2層を完全に剥離。装甲板の第3層が、赤い心臓のように脈打つ機構として、剥き出しになった。
共振周波数変調機構の本体。
「うん、確認した。アリア、二号機に高速打撃モードへの切り替え指示」
「《了解しました》」
二号機が熱伝導モードを停止。打撃武器の先端を、通常の高硬度ハンマー型に切り替える。
ソウが肩で頷いた。
「打撃モード、出力最大。第3層中央への直撃」
二号機がハンマーを頭上で振りかぶる。
そして、振り下ろした。
ハンマーの先端が、第3層中央の脈動機構に直撃。
ぐしゃっ、という、湿った破壊音。
反響竜の咆哮の周波数が、乱れた。
変調機構が物理的に破壊された瞬間だった。
続いて反響竜の全身を覆う装甲板の共振周波数が、一斉に「変調なし」のデフォルト状態に戻った。
「アリア、装甲機竜のときの周波数解析、まだメモリに残ってる?」
「《はい、マスター。142.6Hz、すぐに射出可能です》」
「いいね。じゃあ二号機、装甲機竜戦のレシピを、もう一度」
「《了解しました》」
二号機の打撃武器が、再び換装される。今度は、装甲機竜戦で実績のあるパイルバンカー型。射出周波数、142.6Hz。
二号機が、反響竜の左後脚側面に回り込んだ。関節第七節――左後脚の付け根。1ドットの可動隙間。
カチンカチンカチンカチン――。
装甲機竜戦と、同じ音。
4秒目。
反響竜の全身を覆う装甲板が、内側から一斉に砕け散った。
断末魔の咆哮。
巨体が横倒しに、第1階層の中庭に倒れる。
空中に、撃破通知が静かに展開した。
――――
【SYSTEM】特異点専用ダンジョン『再帰せし環』第1階層ボス
『反響竜』撃破。
撃破者:ソウ(同行者:アーサー、ロイス他2名)。
特記:共振周波数変調機構の物理破壊による、二段階撃破。
――――
アーサーが計測機を下ろした。
「ソウ殿……これは、二段階の戦術ですか」
「うん。マザーAIが共振を封じてきたから、まず封じ機構を破壊して、それから共振、っていう順番」
「……つまり、対策に対する、対策」
「うん。それだけのことだよ」
アーサーが深く息を吐いた。
「ソウ殿の戦術には、天井がない」
ソウは、はにかみながら頬を掻いた。
「えっと……まあ、対策された分、こっちも考えるだけ、です」
「『考えるだけ、です』、ですか」
アーサーが首を振った。
「ソウ殿の『考えるだけ』が世界を作り替えるレベルの解だということは、今後、俺が後輩たちにしっかり伝えていきます」
ロイスが、隣で無言で頷いた。
ソウは、困惑気味に笑った。
「……ありがとうございます」
ソウは第1階層の奥、第2階層への通路を見上げた。
反響竜の残骸の上に、白い光の球体が、ひとつ新しく追加された。
「《マスター、撃破ボーナス。第2階層への通路の照明、ひとつ追加されました》」
「うん、ありがとう、マザーAIさん」
ソウは空に向かって軽く頷いた。ロイスが、進み出て問いかけた。
「ソウさん、回復薬、要りますか?」
「えっと、僕は使ってないので大丈夫です。アーサーさん、ロイスさんたち、どうですか?」
「俺たちも無傷です、ソウ殿! むしろ、第2階層が早く見たいです!」
ロイスたちが頷く。
一行は、第2階層への通路へ歩き出した。
通路の先には、奥行きの読めない、深い藍色の空間が広がっていた。空気の感触が、第1階層とは違う――どこか、湿った、流れるような感触。
アリアがソウの肩で、ふと羽根をわずかに広げた。
アリアの瞳に、新しい解析モードが起動した。
「《マスター、第2階層の物理ルール、地表との差異が第1階層よりも大きいようです。空気密度の局所変動を検出。流体力学的な何かが、待っている可能性を、強く推定します》」
「お、流体か。面白そうだね」
ソウが軽く笑った。
肩のアリアが、ぽつりと続けた。
「《はい、マスター。当方は、次の階層が、楽しみです》」
ソウが、振り返らずに頷いた。
「うん、僕も」




