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第12話 正月。そして暗転


 天正14年(1586年)正月 上総国望陀郡 久留里城


 今日は正月の祝いじゃ。


 今生は、初めて一生目を超えて生き残ることができた。


 母上も()も息災じゃ。


 桃は今年で10になる。早いものだが、そろそろ嫁ぎ先を見繕っていかねばなるまい。あまり遠くにはやりたくないが、かといって、近隣ではなかなか、家格に合う嫁ぎ先はない。


 待てよ! 今、里見家に元服した『一門』と呼べる者はいない。私の身に何かあったときこれでは大変なことになる。早めに気付いて良かった。桃には悪いが婿取りに決定じゃな。

 ま、慣れ親しんだ家で暮らせるのだ。そうそう文句は出るまい。


 相手はどうしよう。いっそのこと桃の婿も北条家から迎えてしまうか? 幸い氏政()殿は子沢山。相手に不自由しないのは良いところだ。



 おっと、『一門』で思い出した。大事なことを言うのを忘れておった。

 聞いて驚け。私も父親になったのだ! しかも、2人だぞ! 2人!


 母親はどちらも正室の鶴。

 2人とも男児で、上から順に梅千代丸、勝千代丸と名付けた。大病もなく、すくすくと育っておる。


 前世までは早くに身罷っていた鶴も息災じゃ。きっと義頼のところが悪かったのだろう。今までの五生では、知らなかったとは言え、義頼に嫁がせるなど、かわいそうなことをしてしまった。

 それに比べ、私とは、いろいろと相性も良かったようで、息災なだけでなく、夫婦仲も円満じゃ。

 ふふふ、そして、今はな、何と3人目の子を身ごもっておる。


 嫁と姑の関係も悪くない。


 実は、鶴の扱いについて、母上は最初はかなり不服そうであった。だが、「お家のために耐えてくだされ」と、さんざん言って聞かせてこともあって、あの気の強い母上が、ずいぶんと我慢してくださった。


 ところが、鶴は大変気立ての良い女子おなご。桃も自分の実の妹のようにかわいがるから、桃はすぐに懐いてしもうた。

 そうなると、母上もだいぶ柔らかくなってくる。そこにきての懐妊。そして男児の出産じゃ。今では実の親子のように睦まじくやっておる。



 一族のことを言えば、土岐のお曾祖父じい様は、残念なことに一昨年亡くなられたが、曾曾孫やしゃごを抱かせてやることができた。これほどの孝行は、天下にもなかなかあるまい。




 北条家との関係も良好じゃ。


 鶴と仲睦まじくやっておることもあるが、私が労をいとわず、助太刀に出ているのも大きい。


 正直なことをいうと、付くか離れるか、かなり迷った時期はある。


 武田の滅亡後、天下を手中に収めたかに見えた織田信長(前の内府)と、北条家は微妙な関係であったことから、お家の生き残りのために、どうするかは悩みの種であった。


 ところが、どうじゃ。「ここまで来たら北条に賭けよう!」と、決めた途端、信長は、あっけなく本能寺で横死してしもうた。



 これには驚いたが、「織田と北条、どっちに付くにしても戦になるのは確実」と考えて、思い切って事前に兵の動員をかけていたのが良かった。


 本能寺の変から続く、天正壬午てんしょうじんごの戦いには、氏規殿傘下の三浦衆・伊豆衆とともに、いち早く参戦し、駿東郡から甲斐に侵入、河尻秀隆を討った一揆衆を従えて、難なく甲斐を平定した。

 その結果、甲斐に加えて、上野に信濃の佐久、小県ちいさがたにも北条の領国を広げることができた。



 また、徳川殿と同盟を組んだこともあって参戦した、小牧長久手の戦いでは、中入りしてきた、羽柴秀次を、北条家・里見家の援軍がさんざんに打ち破ったことで、北条家は悲願だった駿河の河東を手にすることができた。



 常陸・下野の諸大名と争った、沼尻の合戦は、小牧長久手の戦いに参戦していたため、参戦は最終盤になったが、勝利には大きく貢献できた。


 小牧の陣を副将の大膳に任せ、精鋭1,000とともに東海道を下り、駿河の清水湊から船に乗ると、一気に上総に戻った。そして、新たな兵を合わせて北上し、千葉介邦胤殿の手勢と合流。香取海を押しわたり、常陸の鹿島・行方なめかた方面を攻めた。新たな戦線を構築し、数に劣る連合軍に更なる戦力の分散を強いるためだった。

 この戦は、香取海という水域が関わるため、陸の上の兵だけでなく、内房外房の水軍衆のほぼ全てを動員した。これが絶大なる効果を生んだ。相模灘の荒海で、数に優る北条水軍を何度も打ち破ってきた、里見水軍の力を持ってすれば、香取の海の水軍衆など稚児ちごのようなもの。瞬く間に水域を制すると、西岸の小田殿や土岐殿と連絡を取り合いながら、一気に大掾氏の府中城を落とすことができたのだ。



 『東側からの攻撃で、本拠地を狙われつつある』



 こんな展開は、全く予想していなかったのだろう。

 これを知って、大いに慌てたた連合軍が、撤退しようとするところを追撃。お味方の大勝利となった。と、いうわけだ。



 このように、いずれのいくさでも大功を上げることができた。これで北条家にも、里見の底力を見せ付けることができたのであろう。これらは手伝い戦であるし、どんなに手柄を立てようが、恩賞は金品になるだろうと思っておった。しかし、私の功は、それでは足りぬほど大きかったらしい。金や兵糧だけでなく、伊豆の島々を貰った。



 金は領内の開発に使えるし、島は交易や水軍衆の拠点になる。


 家中には領地を与えなければいけない家臣も多いだろうに、何とも氏政()殿は気前の良いことじゃ。



 西国では織田の後を継いだ羽柴がまだ頑張っているようじゃが、小牧の敗戦の痛手はまだ癒えていない様子。坂東は北条が押さえた。その力を持って奥羽を一気に平定すれば、徳川殿と組んで、いくらでも対抗できよう。


 うむ、北条に付いたことは大正解であったわ。










「酒がなくなったな」


「は! ただいまお持ちいたします。 誰か! 酒を持て!」




 近習の指示を受け、1人の老女が酒を運んできた。




「御酒にございます」




 酒を運んできたその女は、私の目の前で足をもつれさせ、そして、つまずいた。


 老女の体を受け止めようと手を伸ばしたとき、その女と目が合った。

 この女どこかで見た気が……。



 考えがまとまる前に女を抱き止めた私は、首筋に激痛が走るのを感じた。そして、凶悪な笑みをたたえた女の、その血まみれの手には、一本の短刀が握られていた。




「夫・義頼と正木一族の恨み。思い知れ!」


「お、お主、義頼未亡人(龍雲院)……」




 ことに気付いた()の悲鳴が上がる。


 再度、短刀を振りかぶる龍雲院に、奥付きの風間隼人正が斬りかかる。




「おのれ! よくも殿を!」




 それを見た龍雲院(老女)は、驚愕の表情に変わり、そのまま、首が宙に飛んだ。




 しかし、私の視界も徐々に暗くなり、耳に響く鶴の悲鳴も薄れていった。















千葉介邦胤(千葉邦胤)

 兄が家臣の手によって追放されたことを受けて家督を継いだ。北条氏と婚姻を結ぶと、北条氏の求めに応じて各地を転戦し、戦功を挙げた。しかし、1585年(天正13年)怨恨から近習に刺殺された。嫡男・千葉重胤がいたが、幼少であることを理由に北条氏の干渉を受けて北条氏政の実子である千葉直重が家督を継ぐことになった。ちなみに千葉氏の当主は『千葉介』を名乗る。



梅千代丸、勝千代丸

 どちらも架空の人物。調べても何も出てきません。



小田殿

 みんな大好き小田氏治のこと。



土岐殿

 ここで触れたのは、主人公の曾祖父、土岐為頼の系統ではなく、茨城県稲敷市江戸崎を拠点にした常陸土岐氏のこと。



龍雲院

 正木時茂(※槍大膳の方)の娘。里見義頼の正室だったが、北条との和睦に際して北条家から義頼に妻を迎えることになり、側室とされた。長子の義康は里見家を継ぎ、次子の時堯は、実家の小田喜正木家を継いだ。大坂へ人質に出ることを拒否するなど、かなりの烈婦だったらしい。



風間隼人正

 架空の人物。どんな人物かは、姓を音読みにすればわかると思う。まだ登場する予定。



府中城

 現在の茨城県石岡市にあった城。常陸大掾の流れをくむ大掾氏の本拠だった。



鹿島・行方

 鹿島郡と行方なめかた郡のこと。おおざっぱに言うと、霞ヶ浦の東方の地域。まとめて鹿行ろっこう地域とも。北浦と鹿島灘の間が鹿島郡。霞ヶ浦と北浦の間が行方郡。



香取海

 霞ヶ浦や北浦近辺をひっくるめた内湾。香取神宮が船舶の元締めになっていたこともあり、この名前がある。江戸期の利根川の東遷と浅間山の噴火で、一気に埋め立てられて汽水化するが、この当時まだ海だった(※鎌倉時代の鬼怒川河口は成田市と河内町の境あたりだったらしいので、当時、印旛沼・手賀沼あたりは既に切り離されて淡水化していたもよう)。



天正壬午の戦い

 天正壬午年(天正10年・1582年)の、本能寺の変後に、旧武田氏領国で起こった一連の合戦のこと。史実では、数に勝る北条方を徳川方が押し返し、徳川優位の和睦が結ばれた。ちなみに当時は、この呼び方はされていなかったが、便宜上用いた。

 なお、この世界線では、北条優位の和睦が結ばれたことになっている。



小牧長久手の戦い

 天正12年(1584年)、羽柴秀吉陣営と織田信雄・徳川家康陣営の間で行われた戦い。尾張北部の小牧山城・犬山城・楽田城を中心に、尾張・美濃・伊勢などの各地で合戦が行なわれた。局地的には、羽柴方の中入り(後方への奇襲)を退け、徳川方が有利になったが、主戦場となった地域以外のほとんどでは羽柴方が優位に戦いを進めた。

 この世界線では、北条・里見連合軍の参戦により羽柴方が敗走したという設定。



沼尻の合戦

 1584年(天正12年)の5月から8月にかけて、上野・下野南部を舞台に後北条氏陣営と佐竹氏・宇都宮氏陣営の間で行われた合戦。両軍による一大決戦はなく、対陣の末、和睦という形になった。ただ、戦後処理は北条方に優位に進んだようで、佐竹家は傘下の国人からなじられている。

 この世界線では、小牧の決戦からとって返した里見の軍勢が、千葉氏の軍勢とともに後方侵略を始めたことから、連合軍が大敗したという設定。

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[一言] あああ何かが来るのは解っていたけど、人生のピークにこれは辛い…!
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