26. スチュワードの願い
「竜に乗るから動き易い格好で」
そう言われたティアはベッドの上に服を並べてウンウン悩んでいた。
ティアにとっては修行以外で初めてローランと二人きりでの外出になる。
城に居た頃は侍女のサラに全て任せていたから悩む事は無かった。今だって相手がローランで無かったら悩む事も無かったろう。
初日は平民らしさを装うため簡素なワンピースだった。それ以外は全て動き易さを重視したパンツスタイル。色気どころか可愛さのカケラも無い。
ティアは熱を帯びた顔を冷やすように頬に両手を当てる。
(まさか自分がこんな事になるなんて…)
対外的に発表はしていないが、セウェルスの為にティアはオスカーと結婚する。オスカーからは、ティアに向ける愛は敬愛そして忠誠、もしくは妹に注ぐような愛情だと宣言されている。ティアが誰かに恋をした時に苦しまないよう、子供さえ出来なければ全てに目を瞑るとも言われていた。それが恋を知らぬまま、派閥間の軋轢を抑える為に結婚するティアへの、オスカーなりの優しさなのだろう。
だからティアもオスカーの忠誠に応えられるよう、オスカーに対し静かな愛情を育む事が出来ればと考えていた。
しかし弟子入りして、初めて会った時からローランに惹かれる自分を感じていた。
裏表無い素直な感情を、ルビーのような赤い瞳がティアを見つめるのを。ティアを包み込む腕や胸も全部。
そしてあの時、ローランの気持ちを真っ直ぐぶつけられたあの時、ティアは限界を超えたのだと思う。
ローランへの気持ちを隠す事をやめたティアには、修行の面でも効果が現れたらしく、ティア自身も手答えを感じていた。
さっきだってローランの劣情を持った赤い瞳を見た瞬間、自分でも何をしているのか分からなかった。分かるのは只ローランを求めた事だけ。
思い出したティアは恥ずかしさの余り、その場で蹲り悶える。頭が混乱して涙まで溢れてきた。
なのでティアは部屋の扉をノックする音にもしばらくの間気付けなかった。
『ティア様、スチュワードでございます。少しよろしいでしょうか』
そう、扉の前に立つスチュワードから声が掛かるまでは。
ーーーーーーー
『大分お悩みになったのでございますね』
部屋に招き入れられたスチュワードは、ベッドの上に散乱する洋服を見て微笑む。
ティアは真っ赤になりながら俯いているが、スチュワードにすれば主人の為にここまで悩んでくれた女性に感謝の気持ちこそあれ、淑女らしくないと指摘する気は無かった。
『僭越ながらお助け出来ればと、ティア様』
そう言って懐から透明な石を取り出したスチュワードがニコリと微笑む。
少年姿の無邪気とも見える笑顔に、ティアもつられて笑顔になった。
『これは精霊の石でございます』
スチュワードの手の上に載せられた石がふわりと浮いて金色に輝き出す。眩しくて目を瞑ったティアが、光が落ち着いたタイミングで目を開けると、
スチュワードの手には中央に精霊の石が配置された美しいネックレスが載っていた。
『石に触れて…何でも構いません。ドレス姿のご自身を想像して下さい』
ネックレスを身につけたティアは、スチュワードの指示とおり透明な石の部分に触れると、普段好んで着ていた深い緑色のドレスを思い浮かべる。
すると石が小さく輝き、次の瞬間にはティアは想像した通りのドレス姿になっていた。
驚いたティアは、クルリと一回転して本当にドレスを着用しているのか確認するが、それは普段と同じように肌に馴染んだドレスそのものだった。
「すごいわ…」
魔法石に服を収納しておく事は出来ても、服を作り出す事は出来ない。ましてや身に纏わせる事など不可能だ。
だがこれを使えば、竜に乗る時、街を歩く時で衣装を替える事ができる。
『これで必要に応じてお召し替えできますね』
「…どうして?どうしてこんなに良くして下さるの?」
ティアは疑問を口にした。スチュワードはローランの執事精霊でティアとは関係ない。
『貴女様は我が主人に大きな傷を遺す事になるでしょう』
スチュワードの言葉にティアは絶句する。
ティアはローランを愛しているが、添い遂げる事は出来ない。ローランもその事は理解している。
それでも改めてローランの事を告げられると、ティアは残酷な事をしている自らの罪に押し潰されそうになる。
それに気付いたスチュワードは静かに微笑む。
『ですがその傷は、御主人様にとって何事にも代え難い思い出となる事でしょう』
「スチュワード…」
『私は以前僥倖だと申し上げました。それは水のように流れに任せて生きる主人に火が灯ったからです。主人に大きな傷を遺すと分かっていても、初めて主人が望んだものを…我々がお助けしない理由はございません』
ローランに対する深い愛情と敬愛がスチュワードから痛いくらい感じられ、ティアは申し訳なさで涙が零れた。
『願わくば…貴女様に遺される傷も。我が主と過ごした時を…』
「忘れません!わたくしは、わたくしは…死ぬまで彼との想い出を糧に、時には力にかえて生きるでしょう」
食いつくように宣言したティアへ、スチュワードは低頭すると『ありがとうございます』と囁いた。




