08 戸惑い、中庭にて
ヒムロ(氷室)視点
「なんでよ~。うう、ヒムロ~浮気しちゃ嫌よ~!」
「そうか。」
「そこは絶対しないって言って!」
ライの実家帰りは、急すぎてキャンセルが不可能だった。
婚約は辛うじてそのままとなったが、親に心配をかけたこともあり、ライは故郷へ戻ることを強く拒めなかった。
こうして竜車に乗る直前になっても、ライは未練たらたらでヒムロに引っ付いた。
「離せ。」
「お願いよヒムロ、行ってきますのキスして~!」
そうしたら頑張れるから!
と期待のこもった目でヒムロを見つめる。
同じくらいだった身長は、いつの間にかヒムロの方が大きくなってた。
「………………結婚までには覚悟を決めておく。」
「うっそでしょヒムロ!
いくら潔癖性って言ったってキスは恋人の大事なコミュニケーションよ!?」
「…………無理だ!」
「じゃあほっぺ!」
「無理だ!!」
「なんでよーーー!!!」
二人の微笑ましいやり取りを、にこにこと見守る人間がいた。
共に見送りに来たヒムロの母親は、よかった、と二人には聞こえない程度の声で呟いた。
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「…………。」
稀音家邸は静かだ。
使用人達は誰もが優秀で、騒がしい音を立てるのなど蘭丸くらいだった。
ぱり、蘭丸がせんべいを割る音がした。
「……半分欲しいの?」
「いや、必要ない。」
静かであることに、氷室は戸惑った。
ライが12歳、氷室が14歳の時に婚約してから3年と半年ばかり。
ライは一週間の半分は稀音家邸を訪れていた。
しかしライが故郷へ帰宅した今、稀音家邸は静寂に包まれていた。
隙をついて頬をつつこうとするイタズラな手はなく、氷室の癖っ毛を何度も撫でつけては治らない(ライはアンテナと呼んでいた)のを不思議がる声はなく、氷室の背中を見つけてパタパタと駆け寄る軽快な足音もない。
氷室は落ち着かなかった。
本を開いても集中は続かず、知らず人影を探す。
何故だかライの顔ばかり思い浮かんで、なんなら今ライに会えるのならキスくらいしてもいいかな、なんて考えるほどだった。
「ぼーっとしているわね。」
「母上。」
「たまには、この母に時間をくれないかしら?」
氷室の母は優しく美しい女性だった。
だが彼女は氷室以上に身体が弱く、普段は部屋のベッドに寝たきりになっていることが多い。
寝てばかりで足腰は弱り、今では車椅子がなければどこへも行けない。
そんな母が、氷室をお茶に誘ったのだ。
断るはずもない。
「行きましょう、母上。」
「ありがとう、氷室は優しい子ね。」
車椅子を押して中庭へ向かう。
お茶は蘭丸が用意してくれた。
「最近の氷室はライちゃん一筋ね。」
「そうでしょうか?」
「そうよ。」
わからなくてぱちくりと瞬くと、母上は楽しそうに笑った。
「ライちゃんが好きそうなお菓子をピックアップしておいて、
ライちゃんが読みそうな本を部屋の本棚に定期的に入れ換えておいて、
ライちゃんが行きたがりそうなイベントもチェックを欠かさない。」
「使用人達の間で有名よ?」
当のライちゃんは来れないのに用意周到なことね、母上は上機嫌だ。
「彼女は急に来ることもありましょう。
婚約者として彼女に優しくするのは当然のことです。」
「それはどうかしら?」
「なにが言いたいのですか。」
「じゃあ、この前助けたのも婚約者だから?」
「それは、」
そのあとの言葉は続かなかった。
あの時、婚約は破棄されるところだった。
破棄される婚約者に優しくする?
それどころか破棄させないために動く?
私はあの時、なんのためにライを助けたのだろうか。
『そんな顔をさせる男のところになど行くな!』
カチリと、ピースがはまる。
あのライは美しくなかった。
彼女はどこまでも自由で、彼女のしたいことを好きにやる姿こそ美しいのだ。
その美しさを損なわせるあの男が許せなかった。
……彼女は美しい人だ。
「氷室はライちゃんに恋をしているのね。」
「コイ?」
一瞬、脳が理解を拒んで。
それから急に、感情に納得がいった。
そうか、これは恋か。
私は出会った時すでに彼女が輝いて見えた。
これは所謂一目惚れというやつだったのだろう。
理解こそ遅れてしまったが。
「恋、か。」
私も、彼女を抱き締めたいと思うのだろうか。
会ってみたら、分かるだろうか。
「氷室、お父様はああいうけれど、お前に心はあるよ。
お前は優しい子だ、私の自慢よ。
忘れないで。」
「ええ、母上。もちろんです。」
ライ、会いたい。
ああ、駄目だ。やっぱり会いたくない。
会ったら本当に好きになってしまいそうだ。
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「ばあや!
潔癖性な恋人とはどうやればいちゃつけるかしら!」
「お嬢様、無理強いはよくないかと。」
「いやー!
それでも私はヒムロとイチャイチャしたいのーーーーー!!」




