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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第4話 生ける屍(前編)
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その5



 細胞の塊は待てなかった。息苦しい暗い土の中から五本の細枝を不規則に動かして、幹となる二本の太い棒をようやく出す。更に細枝は土の表面を不格好に掻いた。土中では表面を同じような二本がもがいている。時間をかけて少しずつ躯体が薄明かりに照らされ始めてきた。おぼろ気に察する周囲の状況を少しでも感じたいかの様にもがく。


 土の上で、前に鋭い先端で突かれた以上の大きな衝撃があった。烈しく電気が走ったように未熟な肢体の肉片が痙攣する。この刺激は脳細胞と脊髄神経を活性化させ、運動と感覚を発達させていった。やがてそれは土上の形骸に眼球を配置し、視界を確保する。衝撃を与えた大きな物体は、目の前に転がっていた。眼球をゆっくりと移動させる。未熟な視力では暗闇に役に立たなかった。だがそれ以外の感覚は逆に、研ぎ澄まされていく。


 暫くの間、眼前いるはずの物体が動く気配が無かった。眼球が周囲を確認するために、左右独立して忙しく動き回った。すると朧気おぼろげながら物体を捉える。それは同じようにこちらを見据えているようだった。眼球の焦点を合わせようとした刹那、物体はとても素早い動きで見えなくなる。幾つか音を発した後、気配が消えていた。しかしこの刺激によって躯体の操作性が向上し、何よりも五感が研ぎ澄まされたことは事実だ。そしてもう一つも……。


 上部をくねり、芋虫の様に土上に這い上がり始める。もどかしい程の時間を掛けて穴から捻り出た。上部から出ている二本と下部の太枝で土から躯を浮かし、丁度四つ這いになる。眼球とは違う穴から気流を飲み込みんだ。内部の袋に一杯の空気を送り込む。細胞の更なる活性化と躯体の細部の造形が出来上がってきた。腫脹していた細胞は、皮膚と体毛を纏っている。


 遂に細胞塊は最終段階に到達した。大地から離れようとする。しかし膝を付いて赤ん坊のように何度も転がり、うまく立てずにいた。


 夜月が地面に射してきた頃、人の形をした物体はようやく立ち上がった。立位バランスをまだ取ることが出来ず、足元をふらつかせている。青白い顔と弱々しい姿は、死人のようにも思わせる。その瞳に映る景色に、物体は何かを掴もうとして太棒を挙げる。腕の先には、細枝が五つに分かれていた。その細いものが曲がったり、伸びたりする。物体はその一つ一つを奇妙な方向へ何度も動かし始めた。


「それは、指です」


 物体の頭部がゆっくりと声の方向に向く。月の明かりが照らされているせいで目の前にいる者の存在が確認出来ない。


「君はこの地で、もう一度生き返ったのてす」


 物体の視界にやがて、はっきりと人間を確認できるようになってきた。男が直立している。


「ア……」


 物体は異音を発し、外界への接触を試みた。


 暗闇からの月夜の明かりは、やがてその物体にも照らし始めた。足元から大腿、腹部、胸部の膨らみと白い姿態を鮮明に映し出していく。頚部の細さ、そして青白い顔に灼熱色の瞳と長い黒髪が浮かび上がった。


「待っていましたよ、君を」




第5話に続く

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