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嗅ぐ女  作者: 七月 夏喜
第4話 生ける屍(前編)
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その4



 慌てて走る山木は何かに足を引っかけ、頭から地面に叩き付け転がった。頭を強打した男は暫し動けなくなる。ハッとして口の中の泥を吐き出し、うつ伏せになったままその場に身を置いた。


何も聞こえない。虫の声も、動物の声も、風の音も、ざわめく木々の揺れる音も、何もかもだ。

 体を起こそうにも痛みが走って動けない。


「いったい……」


 躓いたものが何なのか、体を起こそうとした時だった。微かに何かしらの音がする。非常に小さく、囁くようだ。山木は緊張しながら、ゆっくりと頭だけを反対方向に向けた。物体は確かにそこに存在しているようだ。今まで照らされていなかった地面に、ようやく月の明かりが届き始めた。男は物体に向けて目を凝らす。


 体が凍り付いた。恐怖で硬直し目が逸らせない。瞬きさえも許されない状況で、唇が戦慄し震え出した。


 物体は動かない。生物の頭らしきものが、土の中から半分だけ出ていた。大きな眼孔はくり抜かれたままで何もない。暗闇のささやかな明かりを頼りに、それが人間の頭蓋と判別ついた。


「そ、そんな……」


 途端、それまで無かったはずの窪みに白濁色の液体が溢れる。


 顔を引きつらせたまま、頭を持ち上げた。もう痛みどころの問題ではない。この場から待避することが最優先であった。

 腰砕けに起きあがる。隣にあった懐中電灯を咄嗟に掴んで振りかざした。照明が当たった頭蓋には眼球が埋まっている。瞳孔は開いたまま、ゆっくりと男の方ヘ灼熱に染まる眼球が僅かに動いた。


「ひいいぃ!」


 奇声にも似た悲鳴を上げる。尻を地面に擦りながら後去りして、木に背中をぶつけた。それが正気に戻させたのか、改めて男は身の危険を感じる。森林中の枯れた葉が奇怪な音を奏でた。


「わあぁぁ!」


 電灯を投げ捨て走り出す。無我夢中で林の中を駆け抜けた。






 どれくらい、そこから離れたのかわからない。男は遠くに細い明かりを発見した。速度を緩めず、その場へ疾走する。光りが正面を向くと目映い閃光が射した。途端に視界が真っ白になり、足元を失う。そして男は再び大きく転倒した。


 眩しい光を手で覆うが、未だ視界を失っている。


「おい」


 誰かが呼んでいた。薄く目を細め、視界を最大限に確保する。痩けた顔にある眼球がギョロりと男を見つめた。


「わああぁ!」


 両手足をバタつかせて、警官らしからぬ驚きで取り乱す。その者は肩を掴んだ。それを必死に振り解こうとする。


「ち、ちょっと、お巡りさん! しっかりしなさい、わしじゃ! わし!」




 呆れ顔で山木を見ている老人は、持っていたタオルで制服の泥を払った。


「いつの間にかわしの後ろからいなくなってたんじゃ。いったい今まで、何処をほっつき歩いていたのかね」


 制服が泥にまみれ、ズボンの膝の辺りは破れている。


「お巡りさん、制服がとんでもないことになっとるぞ」


 溜め息をして顔を覗き込むが、山木は無言で目を虚ろにさせていた。やがてその口が震えながら開く。


「……見ました」


 老人は小さいまなこで凝視した。


「は? 何を?」


 山木は顔を上げ、男に向き直る。


「あなたが、言っていたもの」


「ああ、あれね。後からよく考えたんだが、やっぱりわしの思い過ごしじゃ。こんな田舎で事件なんて気が動転していただけじゃ、なってな。あり得んよ」


 腰に手を当てて胸を張って大きく笑い飛ばした。


 が、山木の顔は更に青ざめている。その大笑いも中途半端に小さくなり、老人は腰を屈めた。


「本当に見たんか」


「あれは……、多分」


 腕を組んだ老人は考え込む。ため息をついた。山木の肩を軽く叩く。


「まあ、気のせいじゃ。やっぱり、あり得んな」


 満身創痍で泥だらけの山木は男の顔を見て、引き吊った笑いにしかならなかった。




「是非、その話を聞かせてくれませんか」


 暗い背後からの声に跳び上がって驚き、二人は振り向く。


「あ、あんたは?」


 さすがに老人の声もうわずっていた。


「いやいや、失礼致しました。わたくし、各地の郷土文化を研究している、諸星と言います。決して怪しい者ではありません」


 黒いコート姿で白髪の男は、名刺を渡しながら穏やかに言う。


「一体あんた、どこから来たんじゃ」


 老人は何度も名刺と格好を交互に眺めた。


「東京から車で走って来たんですが、どうも道を間違えたらしくて。お恥ずかしい」


 頭を掻き諸星は口元を釣り上げて笑顔を見せる。



「迷ってここに? こんな時間に」


 山木は警官らしい顔つきになり、神妙な目を向けた。時計は十一時近くを指している。

 人を信じるよりも疑いから始めることは職業病だ。核心的なことを言えば、村の幹線道路は一本道で迷うことなど有り得ない。しかもこの場所はその道路から田畑へ続く奥に入り込んでいる。地元住民でさえ昼間に通る以外、足を運ばない場所だ。街灯も無いこの道に迷って、人間二人に辿り着くにもほどがある。


「どうも、そのようです」


 戯けたように再び乾いた笑いを男は見せた。


「どうも、納得しないな。何故ここに……」


「今日はもう遅いから、そのへんで勘弁してあげなよ。あんた、さっきまで怖がってた癖に」


 老人はにやけた顔で肘鉄砲を打つ。


「わ、わかりましたよ!」


 顔を紅潮させ声を荒げて答えたが、思い出したように今度は青くして震えた。


 問答の後ろで諸星は山木が這い擦り出てきた林を見上げる。


「この場所は」


 スマホの地図と方位磁石アプリを交互に確認しながら、口元に不気味な笑みを浮かべた。


「茜、プレゼントは確かに僕が受け取りましたよ」



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