第7話 「未来へ堕ちる」
「それで、私は何をすればいいの?」
私が尋ねると、秋元は満足そうに頷き、机の上に置かれていた紅色のヘルメットを両手で持ち上げた。
「はい、これを被ってもらいます」
差し出されたそれは、丸みを帯びた工業用ヘルメットだった。
表面には無数の細い銀色の配線が蜘蛛の巣のように張り巡らされ、所々には黒い水晶のような部品が埋め込まれている。近くで見ると、内部では青白い光が心臓の鼓動のように明滅し、不気味な生命感すら漂わせていた。
「なんか、ださい……ただのヘルメットには見えないけど」
「当然です。これは世界に一つしか存在しない」
私の指摘を無視し、秋元は誇らしげに胸を張る。
「正式名称は――『欲望の羅針盤』です」
「さっきも聞いた……けど、名前だけは大げさね」
「名前負けはしておりません」
秋元は真面目な顔で続けた。
「この装置は人間の脳波と量子情報を同期させ、未来世界に存在する『君自身』と意識を接続する。簡単に言えば、君は未来の自分として生きることになる」
「……全然、簡単じゃないんだけど」
専門用語を並べられても、理解できるはずがない。
というか、この爺さん、本当に説明する気ある?
「安心したまえ」
「その言葉が一番安心できない」
「君の肉体はここから一歩も動かない」
「そこは安心した」
「ただし、意識だけが未来へ接続される」
「また不安になること言った!」
思わず叫ぶと、秋元は咳払いを一つした。
「未来では、君は未来の自分として考え、戦い、恋をし、人と出会い、別れを経験する」
「さらっと恋とか言った?」
「もちろん、その可能性もある」
「ないない。そんな都合よく未来の旦那様なんて見つかるわけ――」
「残念ながら、見つかります」
「断言した!」
この老人、自信だけは異常である。
「未来で体験した出来事は、すべて記憶として持ち帰れます」
秋元は真剣な眼差しを私へ向けた。
「だからこそ、未来を知り、現在を変えられる」
その一言だけは、不思議なほど重かった。
未来を変える。もし本当にそんなことができるなら。失敗をやり直せるなら。後悔しない人生を選べるなら。
一瞬だけ胸が高鳴った。
「……でも、危険なんでしょ?」
「もちろんだ」
「即答!?」
「未来は平和ではない」
秋元の表情から笑みが消える。
「人類は滅亡寸前だ」
「……えっ?」
「君はそこで、多くの選択を迫られる」
地下施設に静寂が落ちる。
冗談ばかり言っていた空気が、一瞬で張り詰めた。
「命を懸けた戦いもある」
「それ、最初に言うことじゃない?」
「言えば断ると思った」
「当然でしょ!」
逃げよう。そう決意して自動扉へ走る。
「帰ります!」
勢いよく扉を押す。開かない。叩く。蹴る。肩から体当たりする。びくともしない。
「開けなさい、この誘拐犯!」
「安心したまえ。厚さ五十センチの特殊合金製だ」
「安心できる要素が一つもない!」
私が振り返ると、秋元はすでにすぐ後ろまで来ていた。
「さあ、時間がない」
「あるでしょ!」
「未来が君を待っている」
「私は待ってない!」
そのまま秋元は私の頭——ヘルメットを被せた。
「ちょっ――!」
カチリ。小さな電子音が鳴る。
内部から低い機械音が響き始め、青白い光が視界の端を流れていく。
《脳波同期開始》
どこからともなく女性の機械音声が聞こえた。
《意識転送準備完了》
「え、本当に始まるの?」
《未来座標固定》
「ちょっと待っ――」
《転送開始》
視界が、ぐにゃりと歪んだ。
地下施設の壁が溶けるように崩れ、床が砕け、天井が無数の光の粒へと変わっていく。
秋元の姿さえ、白い粒子となって空間へ溶け込んでいった。
身体が浮く。重力が消える。
上も下も分からない暗闇へ、私は吸い込まれていく。
「心の準備くらいさせなさぁぁぁぁい!」
叫びは時空に飲み込まれ、全身を引き裂くような浮遊感が襲う。そうして、世界そのものが裏返る。
瞬く間に私は――まだ誰も知らない未来へと堕ちた。
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