第6話 「未来を救う実験へ、ようこそ」
「未来の旦那様に会いたいか!」
白衣の老人——秋元が、拳を天井へ突き上げながら高らかに宣言した。
その勢いだけは、世界を救う英雄気取りか、このヤロー。でもって、言っていることは意味不明なんだよ。
「帰る!」
私は即答した。見向きもしないで、地下施設の自動扉へ一直線に向かう。
『ガンッ』、思い切り蹴る。びくともしないなこの扉。
「開け! 開いてよ!」
『ガンッ、ガンッ、ガンッ!』、今度は拳で叩く。まるで銀行の金庫だ。映画なら警報が鳴り響くレベルで殴っているのに、扉は涼しい顔をして私を見下ろしていた。
「こんな壁で、私の歩みは止められない!」
もう意地だ。18年間生きてきて、一番意味のわからない状況である。
大学の合格発表を終え、河川敷で怪しい老人に声を掛けられ、「実験を手伝ってほしい」と頼まれたなんて。
気が付けば地下施設へ連れて来られ、タイムマシンがどうとか、バラバラになるだとか説明を受け、挙げ句の果てには——
『未来の旦那様に会いたいか!』
である。
帰る以外の選択肢がどこにある。
「ちょっと、お願いですから、やめてください!」
秋元が慌てて駆け寄り、私の右腕を掴んだ。
「この人、痴漢です」
「違います!」
秋元は心底落胆したような表情を浮かべた。
「助けてくださーい!」
私はさらに大声を張り上げた。
「誰もいませんから!」
「じゃあ監視カメラ!」
「ありますけど誤解されます!」
「なら離してください!」
「逃げるじゃないですか!」
「逃げます!」
当たり前である。誰が未来の旦那に会うためだけに地下施設へ残るものか。
秋元は頭を抱え、大きくため息を吐いた。
「説明の順番を完全に間違えましたね……」
「そこは認めるんですね」
「興奮すると、つい」
「子どもじゃないんですから」
私は腕を振り払い、距離を取る。白衣を着ているから真面目な研究者には見える。施設も本物だろう。機械も見たことがないほど巨大だ。それでも、話が胡散臭すぎる。
「私の未来を左右する?」
「はい」
「タイムマシン?」
「もういいです、その類です」
「未来の旦那?」
「います」
「全部アウトです」
私は指を三本突き立てた。
「詐欺師でも、もう少し現実味を出しますよ」
「本当なんですが……」
「信じろという方が無理です」
秋元は「うーん」と唸りながら、白衣のポケットをごそごそと探り始めた。
取り出したのは、一枚の封筒だった。
「では、こちらをご覧ください」
「なに、それ」
「実験協力費です」
私の片眉がへの字となった。
「いくらなら、やりますか?」
「いくらなら、って、うん……?」
秋元は封筒から一枚の紙を取り出し、私へ向けた。
「こんなもんで、どうでしょうか?」
私は何気なく受け取る。そして、固まった。
「…………えっ?」
もう一度見る。桁を数える。一、十、百、千、万……。
「えっ⁉︎」
もう一回数える。数え間違いじゃない。
大学の奨学金を全額返済しても、なお余裕で生活できるほどの金額が、そこには記されていた。
「ゼロ、多くない?」
「間違っていません」
「ドッキリ?」
「違います」
「偽札?」
「振込です」
「税金は?」
「こちらで処理します」
「えっ?」
理解が追いつかない。
私の脳内では、「未来の旦那」という怪しい単語が、一瞬で「高額報酬」に上書きされていた。
(いやいやいや……落ち着け、私)
深呼吸する。
お金だけで釣られる女じゃない。人としての誇りもある。危険な仕事かもしれない。騙されている可能性だってある。
(でも……)
奨学金。生活費。親への負担。将来への不安。現実的な問題が頭の中を次々と駆け巡る。
もし本当に、この金額がもらえるなら——「楽できる」
「もちろん、危険が伴う可能性もあります」
秋元が真剣な表情で続けた。
「ですが、あなたでなければならない理由があります」
その言葉は気になった。
でも……今の私の頭の大半を支配していたのは――。
(奨学金、消えるな。)
だった。
一呼吸置き、姿勢を正す。そして私は、180°態度を変えた。
「私、やります」
深々と頭を下げる。
「やらせてください」
秋元は数秒間ぽかんと口を開けていた。
「……決断が早いですね」
「私は現実的な人間なので」
「さっきまで『痴漢です』って叫んでましたよね?」
「昔のことです」
「五分前ですよ」
「細かいことは気にしないでください」
秋元は苦笑いしていた。
「では改めまして」
老人は一歩前へ出て、静かに右手を差し出す。
「未来を救う実験へ、ようこそ」
私はその手を見つめ、安堵の表情を浮かべた。
未来を救うなんて大それたことは、まだ実感が湧かない。
だけど――。
(まあ、お金は本物っぽいし)
その程度の理由で、私の人生は大きく動き始めた。
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