第3話 「任務完了」
東京駅の喫茶店から駅構内まで。
崩れた案内板が火花を散らし、割れたガラスが足元で砕ける。
黒い球体をもつ顔の異形との戦いは激しさを増していた。
コーラル第二形態——センシンス。
骨は軋みを上げて肥大化し、二本だった腕は四本へと裂けるように増殖した。背中を突き破って黒い棘が幾重にも伸び、雑巾のようだった外皮は、赤黒い肉膜へと変質して粘液を滴らせた。幽霊だった面影は、もうどこにもない。
「ワガァァァァァァッ!」
その一声だけで駅構内の電光掲示板に亀裂が走る。私は次なる攻撃に対処するため、腰を落とした。
「来る」
センシンスが床を蹴る。目で追えるかどうか、その限界の速度だった。
「速っ――!」
反射だけで身を捻るが、間一髪で回避。さっきまで私が立っていた床が拳一撃で陥没した。
砕けたコンクリートが散弾のように飛び散る。
「まだ! まだ! 足りない!」
瓦礫を踏み台に跳び、私は右拳を振り抜き、センシンスの頬らしき部位へ命中。普通の人間なら首が吹き飛んでいても、おかしくない一撃だった。だが「硬い」拳が何かに阻まれて沈まない。
皮膚は何層にも束ねられ、鋼鉄の塊を殴ったような感触だった。狂った人形のようにセンシンスの四本の腕が一斉に迫る。
一、二、三――四撃。連続で飛んでくる拳を紙一重で避け、風圧だけで頬が裂けた。
「なら!」
懐へ潜り込み、肘をみぞおちへ叩き込む。続けて膝。回し蹴り。休む間もなく打撃を浴びせる。それでも倒れない。
何度も打ち込むうちに、黒い棘だけが、ゆっくりとうごめいた。
「再生……?」
砕いたはずの胸骨が、音を立てて元へ戻っていく。これでは埒が明かない。私は深く息を吸った。
「……終わらせる」
左足を一歩。右足を半歩。拳を静かに引く。世界から音が消えた。
「――穿て」
全身の力を一本の拳へ集約し、踏み込む。肺の底から湧き上がる欲望を、そのまま叫んだ。
「早く、良い男の花嫁になりたい——!」
拳はセンシンスの胸を貫き、その背中から黒い肉片が噴き出す。巨体が宙へ浮き、私は追撃のため跳躍し、空中で体を捻り、踵を脳天へ叩き落とした。駅の床が爆発したように陥没する。
土煙が舞い上がる中、黒い棘が一本、また一本と砕け散っていく。
「私の旦那様は、ここには、いない!」
私は静かに右手を掲げた。黒い塊が掌へ集まり、小さな黒槍へと形を変えた。
「これで、最後——sono assetata d'amore (ソノ・アセタータ・ダモーレ)愛に飢える」
黒い欲の槍を振り下ろす。
どす黒いオーラが駅全体を包み込んだ。
センシンスの身体は声にならない断末魔を上げ、黒い灰となって風に溶けていく。
その中、崩壊した東京駅には、私の荒い息と白いオスのアヒルだけが残っていた。
「クワクワ……クワクワ……任務完了、おめでとう」
視界に『任務完了』の表示が浮かぶ。今日も無事任務を達成できたみたい。少し窮屈なフルフェイスを外し、ようやく息をつく。
「どうしたんだい?」
黒眼鏡の白衣を着た研究員らしき男が、温かい紅茶を手渡してきた。
「お疲れ様、自分の使命と名前はわかるかい?」
実験終了を告げる、いつもの定例質問。
私はその白いカップを受け取り、一口含み、喉を潤し、静かに名乗った。
「私は、12年後の未来を救うため、過去から干渉する花嫁修業中、18歳の本庄 美奈です」
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