第2話 「叩き込んでやる」
汚れが目立つボロ雑巾を揺らめかす顔無し、コーラルは高らかに雄叫びを上げていた。その声は、塞いだ耳の鼓膜を刺激しながら、脳震盪が起きそうな「やかましさ」で、迷惑な話だ。
(顔無しが、どうやって、声を出しているのだろう?)
口や喉を使わずに、体全体を共鳴させて声あるいはテレパシーのように頭の中へ直接語りかけてくる感じがする。
「ぐぁぁぁ、耳が……」
喫茶店で私から退いたヤクザの一人が苦しんでいる。バーカウンターで隠れているが、この雄叫びは壁を貫通するようだ。一方、私に倒され、気を失って壁に刺さる輩には効果がないみたい。
(さて、そろそろ、終わるな)
私は右足に力をこめて、くたびれたフローリングを力強く蹴った。正面には、白い骨が剥き出しのコーラル。今は勢いに任せているだけ。この欲では――そう長くはもたないから、早々に決着をつける。
私は既に右拳に欲の塊の操作を始めていた。力を集めることに意識を集中したあと、集めた膨大な力をさらに小さく圧縮し、今や私の思い通りに体内を巡らせることができるようになった。
「これで、終わりよ!」
圧縮した欲の塊を右拳へ集中させ、一気に突き出した瞬間、空気が同調するように弾けた気がした。
拳はコーラルの胸骨を正面から砕き、白骨を粉々に吹き飛ばす。その衝撃は背後の壁まで突き抜け、喫茶店全体を揺らした。
顔無しの身体は宙を舞い、そのまま店の外へ吹き飛ぶ。ガラスが砕け散り、キラキラと結晶のように舞い散る。
「……あら、もう終わり?」
私は拳の力を緩め、小さく息を吐く。
あれだけの一撃だし、立ち上がれるはずがない。そう思った、その時だった。
グチャ、グチャ、何かを潰すような、生臭い音が、店の外から聞こえた。妙に不快で嫌な予感が背筋を這う。
「……あら、またこの形態かしら?」
恐る恐る外へ視線を向ける。道路一面に飛び散った黒い肉片、そして砕けた骨。それらが、まるで磁石に吸い寄せられる砂鉄のように震え始めた。
グジュ、グチャ。ボキ、ボキボキと、コーラルの骨が勝手に組み上がる。肉が骨を包み込み、その光景は生物というより、進化そのものだった。
「やはり……センシンスか」
奴らは、たまに突然変異する個体がいて、相手するのも面倒になる。
骨は異様に肥大化するし、腕は四本へと増殖する。
背中を突き破るように黒い棘が何十本も伸び、雑巾のようだった外皮は粘液を滴らせる肉膜へ変わっていく。
そして、本来あるはずの顔の位置が縦に裂けた。何も無かった空間が裂け、底の見えない黒い穴になる。そこから響く声は、さっきまでとは比較にならない。
「ワレラ……従う……べき……」
直接、頭蓋骨の内側を掻き回されるテレパシー。
「っ……!」
膝が揺れるし、これまで感じたことのない圧迫感。
私の中の欲までも、引きずり出されそうになる。
「うるさいわ。こんなの……面白いじゃない」
あれは飢えた獣。
オスがメスを蹂躙し、激しく求め合う「愛のかたち」——だから、面影など、一片も残っていない。
「興奮させてくれるわ」
私の胸も掴んで……じゃなかった。それは、この輩には言うべきことではなかった。冷静になるべく、右ほっぺを人差し指と親指で強めにひっぱった。
その間、怪物は四本の腕を地面へ叩きつける。
爆音を鳴らしながらアスファルトが陥没し、巨体とは思えない速度で一直線に迫ってきた。
「あら──!」
視界から消える。反応した時には、黒い腕が私の目前まで迫っていた。避けきれないかも……そう確信した私の目の前へ一つの影が割り込んだ。
怪物の腕と私の欲玉が激突する。衝撃波で東京駅近くのビルの窓ガラスが一斉に砕け散った。それは、遠くの湖まで到達。仲が良い白いオス、茶色縞々メスのアヒルたちは吹き飛ばされてしまった。それはスローモーションで、愛の営みまで丸見えだった。私は不思議と変な感情に襲われ、吐き出せずにはいられなかった。思わず叫んでしまった。
「まだやってたのかよ! 絶対許さない!」
アヒルへの怒り。そして、土煙の向こうで、私と怪物はゆっくりと振り返る。
「今度こそ、叩き込んでやる」
その一言だけを残し、再び怪物へ飛び込んでいく。
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