第1話 「良い男、いなかった」
「あら、あら、どうしましょう?」
私の目の前には日本でいう、ヤクザに取り囲まれ、拳銃やらドスという名のナイフを構える集団がいた。横目には古ぼけた喫茶店と「東京駅はこちら」、と描かれた鉄製の看板があり、錆びれたこの建物は日本特有の耐震設計。
私は彼らに捕まり、粗末な木の十字架を背にし、手足を縄できつく拘束されていたようだ。この様子では目と顔ぐらいしか自由に動かせない。
私の容姿は、自慢ではないが目鼻整った30歳の美少女。——であったのは12年前で、黒髪黒目の日本人の外見だ。
そしてこれから私が処刑される悲劇を演じさせられる……いや、余興を含めても、服を脱がされ、痛ぶられて、弄ばれたヒロイン。それでも、私の人生であきらめの言葉なんて、ありえない。深呼吸をして覚悟を決め、済ました顔で堂々たる態度をとった。
「いてまうぞ……コラ」
「兄貴、はよ片付けましょや」
「……せやな」
覇気はありそうで、ない。無気力なヤクザたち。数だけは多いのに、魚のような死んだ目、その癖威勢だけ、台無しだわ。
「ヤレ……ヤレ……眷属たち……よ」
それらの背後、フワフワ浮きながら、剥き出しの白い骨で指示する輩。不気味なボロ雑巾で顔なしの怪物——『コーラム』
「クワクワ……クワクワ……」
それよりも、私が気になるのは、遠くにいる白いアヒルだ。
ギラーン。白くふさふさしたアヒルは、黒い獣のような目で獲物を狙い、ソロリ、ソロリ、と足早に。視線の先には、茶色の縞々模様のメスに——飛び掛かる。
「クワ——!」
なんとも見事なオスのアプローチ開始。気を取られた隙を突いてメスの背中を足でガッチリ、だいしゅきホールド。両者、威厳ある声で、激しくも勝どきを上げる。
「なんて、うらやましい光景なの……」
お尻を激しく振り、命を芽吹かせる儀式。誰もが快感を覚えるらしく、羨ましい……いや、そうではなく、私も早く貫いて……ではなく、とにかく、こんな拷問はやめなさい。
「なんや、この女は?」
ヤクザたちが一斉に踏み込んだ。
「撃てぇ!」
乾いた銃声。私の頬をかすめるはずだった弾丸は、目の前でぴたりと静止した。
「……えっ?」
男たちの顔から血の気が引く。その迷いを見逃さず、私は小さく息を吐き、微笑んだ。
「ありがとう。その欲望、全部いただくわ」
世界が、ゆっくりと色を失い、男たちの胸元から、赤黒い霧が糸のように伸び始めた。殺意、支配欲、暴力衝動、金への執着。女を力で屈服させたいという醜い欲望そして、ありとあらゆる欲が霧となり、私の掌へ吸い寄せられていく。
「な、なんやこれ……」
「体が……動かへん……」
吸われるたび、男たちの瞳から光が消えて、怒りもない、恐怖すらない、ただ空っぽになる感覚。それらを集めた欲望が黒い炎となって全身を駆け巡る。
拘束していた縄が音もなく灰となり、続いて十字架が悲鳴を上げる。木片が爆散し、私はゆっくりと地面へ降り立った。
「さて」
一歩。その瞬間、地面が蜘蛛の巣のように砕ける。
「ひっ……!」
一人がナイフを振り下ろすも遅い、遅い。私はその手首を掴み、軽く握る。
「ぎゃあああっ!」
男の手から武器が落ちる動きに合わせ、回し蹴りで男の身体は仲間を巻き込み、喫茶店の壁へ突き刺さった。あわてたもう一人が私に拳銃を向ける。
「や、やめ――」
私は銃身をつまみ、グニャリ、鉄が飴細工のように曲がった。
「ば、化け物……!」
「違うわ。あなたたちの欲が、私を強くしただけ。くよくよ、してないで、もっと欲をよこしなさい!」
最後の一人が震えながら後退。その肩越しで、宙に浮くコーラムが骨の指を鳴らした。私は肩をすくめ、大きくため息をついた。
「今日もダメね……良い男、いなかった……」
手首の拘束具を地面に叩きつけ、バーンっと大きな音を立て、鉄の塊が弾け飛んだ。
「どこかに良い男いないかなぁ……早く、未来の旦那様と会いたい」
誰に聞かせるでもない独り言が、静まり返った廃墟へ溶けていく。
その直後——コーラルが、不気味な産声とも奇声ともつかない咆哮を上げた。それはまるで、私を『出迎える』歓迎の声のようだった。
剥き出しの白い骨がギシギシと軋み、黒い霧が全身から溢れ出す。その異様な気配に呼応するように、周囲の瓦礫がひとりでに浮かび上がり、砕けたガラス片がカタカタと震え始めた。
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