第11話 「あの生き物は」
「うーん、苦しい」
私はどうなったんだろう?
真っ暗で何も視えない。
「ふー」と深呼吸でもするか。
(ヨシ、私は冷静だ)
動くのは、頭と指先だけか。まぁ、縛られて、目隠しでもされているのかもね。
(えっと……)
最後に覚えているのは、確か……布切れ、首なし、骸骨が現れたことしか記憶にない。
ぼんやりして、それしか浮かばなかった。
「暑い」
頭が異常に暑い。蒸れて汗が頬を伝っているような感覚だった。体は鉛のように重く、指先一本動かすだけでも力を振り絞らなければならなかった。
「眠い」
疲れたよ。働かせすぎじゃない?
だってさ、『大学合格』、『研究の被験者』、『ヘンテコな機械との戦い』だよ。参ったよ、ホントに。あれ……まだ、何かいたような。白い、何だっけ?
(私と一緒にいた……)
喉元まで出かかっているのに、どうしても思い出せない。
意識の奥底で、何かが必死に私を呼んでいる。
そう、あの白い生き物。
ぷりぷりなお尻を揺らし、小さな足で必死に走っていた。
「そうだよ、生きようとしてたんだ」
必死だった。
絶望の中でも諦めず、ただ前だけを見て走り続けていた。その姿は、滑稽なくらい小さくて、それでも胸を打つほど力強かった。
「あの生き物は……」
光が視える。
閉じていた瞼の向こうから、柔らかな白い光が差し込む。闇が少しずつ薄れ、ぼやけていた世界に輪郭が戻っていく。
「……アヒル」
その名前を口にした瞬間、胸の奥で何かが弾けた。温かな記憶が、堰を切ったように溢れ出してくる。
「ここは、どこだろう?」
ゆっくりと瞼を開く。
視界は霞み、天井の白い照明が滲んで見えた。耳には機械の電子音と、人の気配が微かに届いてくる。現実へ引き戻されるように、私はゆっくりと息を吸い込んだ。
「お疲れ様でした。どうでしたか?」
聞き慣れた秋元の声が耳に届く。禿げ上がった頭がぼんやりと視界に映った。
私は重たい首を少しだけ動かし、声の主へ視線を向けた。
「いや……なんか……」
言葉が続かない。
なんでだろうか、涙が止まらないや。拭っても、拭っても、滴り落ちる雫に「なぜか」、私は愛おしくも悲しい気持ちになったんだ。
胸の奥が締め付けられ、息をするたびに熱いものが込み上げてくる。
頬を伝う涙は止まることを知らず、一粒、また一粒と零れ落ちていく。
「何で……何で……」
自分でもわからない。涙だけが、私より先に答えを知っているようだった。
(こんな気持ちにさせられるの……)
悲しいはずなのに、どこか温かい。
寂しいはずなのに、不思議と心が満たされている。
拭っても、拭っても溢れ続ける涙の理由を、私はまだ言葉にできなかった。
ただ一つだけ、確かなことがある。
あの小さな白いアヒルは、最後の最後まで生きることを諦めなかった。
その姿は、今も私の心の中で、静かに生き続けて、長い眠りから覚めるように、生きることの尊さを背中だけで教えてくれていた。
だから私は、この涙を忘れたくなかった。
「悲しい出来事があったようですね」
秋元は私の様子を見て、穏やかな口調でそう呟いた。
私は涙を拭い、何度か深呼吸を繰り返す。
ようやく落ち着きを取り戻すと、秋元の目を真っ直ぐ見つめた。
「お願いがあります」
「なんでしょうか?」
私は小さく微笑んだ。
「あっちの世界のガイドとして、アヒルを用意してくれませんか?」
秋元は一瞬だけ目を丸くした。
だが、その願いを否定することなく、静かに頷く。
私はその姿を見て、ようやく心の奥に残っていた寂しさが少しだけ和らいでいくのを感じた。
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