第57話 最後の記録
リアは、傷口が塞がったイファを労わりながら、崩れかけた階段を静かに下る。
二人はかつて封印されたシェルハイム研究所の入り口へと辿り着いた。
その先にある自分の始まりを、今のリアは知っている。
「ここが……?」
イファの問いに、リアは小さくうなずいた。
リアは取手のない壁のような扉の前に再び歩み寄る。
彼女はそっと、自らの胸元に手を添えた。
そして目を閉じ、深く息を吸い込む。
リアの指先が扉に触れると、それは青白く光を放った。
ルクシミウムの粒子が静かに反応し、金属の扉が、左右へと開く。
彼女は振り返り、イファを見つめて言った。
「……来てくれて、ありがとう」
静かな声だった。
けれど、その中には言葉では言い尽くせない想いが込められていた。
イファはただ、黙ってうなずく。
リアは、
「私の、ここには……」
と言って、胸元を軽く押さえた。
「ルクシミウムの結晶核、ルクシミウム・コアが埋め込まれているの」
イファはわずかに目を見開いたが、静かに耳を傾けていた。
「私の故郷、ノアレで、わたしは……死の淵にいた。光と炎に包まれて……。でも、サンティス博士が……」
リアの言葉が、ほんの一瞬だけ震える。
「……この力を使って、私を救ってくれた」
リアは胸に当てた手をぎゅっと握りしめた。
「だから、今の私は生きてる」
リアは扉の先に続く、薄暗い通路に足を踏み入れた。
その足取りがためらうことはなかった。
イファはリアの後をそっと歩く。
リアは、視線を落とし、言葉を続けた。
「けれど、それと同時に、わたしはもう、人間じゃなくなった。……この力で生かされたとき、生きてきた記憶も、育ててきた感情も、全部……コアに消費されてしまったの」
薄明かりの中で、彼女の横顔はどこか遠くを見つめていた。
「……でも、何もない私に、手を差し伸べてくれたのは、イファだった」
彼女はイファへ視線を向けると、ふわりと笑った。
「イファ……本当にありがとう」
その表情を、イファはただ黙って見つめた。
言葉にできることなど、何もなかった。
喉の奥が熱く、何かが溢れ出してきそうだった。
そしてリアは、ふっと笑う。
「わたし……自分で選びたいの。自分の、人生だから。私が救われた意味……生きてきた意味が、きっと、あの部屋にある。だから、もう一度、あの部屋に行きたい」
どこか寂しげに、けれどどこまでも穏やかに。
「イファ……私のそばにいてくれる?」
イファは、小さく、けれど力強くうなずいた。
「どこへだって、一緒に行くよ。リアが選ぶ……その未来を信じたいんだ」
そして彼は、そっとリアの手を取った。
彼女の手は少しだけ震えていたけれど、何も言わず、ただ寄り添うように。
歩みが止まったのは、リアがかつて暮らしていた、小さな部屋の前だった。
リアは扉を開ける。
そこには三年前とほとんど何も変わらない空間が広がっていた。
机の上には、使いかけのノート。
棚には、小さな本や装置がきちんと並んでいた。
そしてベッドは、セリオが研究所へ来たあの日のまま。
毛布が乱れ、リアが飛び出していったそのままの形でそこに残っていた。
時が止まっているようだった。
リアは足を踏み入れ、そっと部屋を見渡した。
「……何も、変わってない」
それは、安心でもあり、哀しみでもあった。
イファは彼女の後ろで静かに立ち尽くし、その背を見つめていた。
リアは部屋の奥にある棚へと近づき、黒い端末を手に取る。
「これだ……」
端末に触れると、青白い光がゆっくりと浮かび上がった。
その中に、ひとつのファイルが表示された。
──《最終記録:リアへ》
リアは少しだけ息を詰めてから、再生を選ぶ。
微かにノイズが走ったのち、
そこに現れたのは、白衣を着たサンティス博士の姿だった。
彼は机に座り、手を組んで、しばらく沈黙していた。
やがて、ゆっくりと口を開く。
『リア。もしこの記録を見ているなら、君は……世界を背負い、大きな決断の前にいるのだろう。本当は、こんなものを残したくはなかった。でも、これは備えだ。君が、君の人生を歩むために……』
『私はきっともうすぐ死ぬ……。それが多くの命を奪ってしまった私の運命……』
サンティスは少し視線を伏せると、ため息をついて続けた。
『リアが背負ったものは、とても重い。世界は残酷だ。戦争は、多くを奪い、理不尽を塗り重ねていく。君はそんな世界の中で、それに立ち向かわなければならない。自分の存在そのもので……』
『それは、本来誰にも背負わせてはいけないことだ。……しかし、私は、立ち向かわなければならない責任も打ち勝てる可能性も、全てをリアに背負わせてしまった……。本当に、すまない……』
リアの手が、小さく震えた。
隣でイファが、そっと彼女の手を包む。
サンティスの声は、どこか遠く、けれど深く響き続ける。
『リア。君のルクシミウム・コアは、記憶や感情を充填し、それを媒体として覚醒する。けれど……君とコアの共鳴が不完全なまま覚醒すれば、コアは暴走し、最悪の場合……』
『……爆発するだろう。あの日のノアレのように……』
イファの瞳はぐらりと揺れる。
リアは静かに手を伸ばし、首元の制御装置に触れた。
『だから、君には共鳴の練習が必要だった。共鳴ができれば、自らの意思でコアの力を制御できる。その力は、君自身の生命装置であるだけではなく、人を救うこともできるかもしれない』
リアの手を包むイファの手に力がこもる。
『君自身の意志で、コアと向き合う力をつけてほしかった。それが、私の願い、そしてリアに、このコアを埋め込んだときに誓った使命だった……そばで支えてあげられず、一人にしてしまって、本当にすまない……』
サンティスはゆっくりと頭を下げた。
再び顔を上げたとき、目には確かに強さがあった。
『でも、どうか覚えていてほしい。私は、この力を使う日が来ないことを、心から願っていた。共鳴し、コアが本当のリアの心になる日を。君には、ただのひとりの女の子として、生きてほしかった』
映像の中のサンティスは、そこでわずかに口元をほころばせた。
その笑みは、どこか父親のような、切なさを帯びていた。
『リア。君には最後の手段がある……それは…──』




