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第53話 光の種

季節はひとつ、またひとつと移ろっていった。


研究所の朝は、いつも静かだった。

地下にあるその場所には太陽の光が届かず、壁の時計が唯一、時の流れを知らせていた。



無機質な空間の中で、リアは今日もゆっくりと目を覚ます。

白い寝台、整えられた毛布、清潔な部屋。


けれど、心の中は何も変わらない。

胸の奥に空洞があって、それが何なのかもわからない。


「おはよう、リア」


部屋の扉が開き、サンティスが顔を覗かせる。

淡い笑みを浮かべたその表情は、いつもどこか痛々しかった。


「今日は……朝食にパンケーキを焼いてみたんだ。少し焦がしちゃったけどね」


リアは何も言わず、ゆっくりと身を起こす。

感情は、波立たないままだ。


食卓には、ふたり分の皿が並んでいた。

焦げ目のついたパンケーキに、溶けかけたバターとメープルシロップが垂れている。


リアはナイフを持ち、無言で食べ始める。

その姿を、サンティスはそっと見守っていた。


彼は毎日、同じように声をかけ、食事を用意し、短い会話を試みた。



リアが感情を取り戻せる日を、ただ、信じて。




サンティスはリアがコアと共鳴できるように毎日研究を重ねた。


「落ち着いて。ゆっくり、息をして……リア、君の心を見つめるんだ」


研究室の中心で、リアは両手を胸に当て、薄く震えていた。

その胸の奥、ルクシミウム・コアが、強く脈動している。


まるで彼女の感情に呼応するように、時折、淡く光が脈を打つ。


「大丈夫。私はそばにいる。リア、君はひとりじゃない」


サンティスの言葉をきいても、コアは強く脈動し、リアの体から光があふれた。


「だめ……わたし、また、壊してしまう……」


空気が震え、周囲にある計測機器が一斉に軋みを上げる。


「──リア、とめなさい! ここまでにしよう!」


だが、もう遅かった。

彼女の背後の壁がバチバチと音を立て、次の瞬間、光の奔流が爆発的に走った。


「っ……く……!」


サンティスはすぐにリアの周囲に防御フィールドを展開し、彼女のエネルギーから周囲を守った。

しかし、床が砕け、壁面がひび割れていく。


リアは胸を押さえ、膝をついた。

目から涙が溢れ、止まらない。


サンティスはゆっくりとリアに近づき、背後からそっと抱きしめた。

その腕から伝わるぬくもりに、リアの光は、波が引くように沈んでいった。


「まだ、完全に共鳴できていない……でもいつか、本当に君の心となる時がくる」


リアの胸の奥で脈打つそれは、まだ熱を持っていた。


「リア……大丈夫だ。感情は、命と共にある。ゆっくりでいい。君のペースで、自分の人生を歩みなさい」


サンティスは、リアの肩に手を添え、優しく言った。




その夜、サンティスはリアに一冊の記録端末を差し出した。


「……リア。これは、君に託しておきたいものだ」


リアはそれを見つめる。

黒く、重そうな外装。

手に取ると、微かなぬくもりが指に伝わった。


「生きていれば、必ず決断しなければならない時がくる。その時に見るんだ。……私が、何を思って、君に何を願っていたのか。その全てを、ここに残した」


サンティスの目には、言葉にできない悲しみがあった。


「君が感情を持たないまま生きることが、どれだけ苦しいか、私は知っている。それでも、私は信じている。いつか君が、君自身の心で笑い、誰かのために涙を流し、そして……大切な人を想える日が来ると」


リアは黙って頷く。

言葉にはならない。


でも、その手は、そっと端末を抱き締めた。




その夜、サンティスはリアの部屋を訪れた。

眠るリアの中で脈打つルクシミウムは、反応も穏やかで、彼女の呼吸も安らかだった。


「……リア、私は君を信じている」


そう呟くと、サンティスは彼女の額にそっと手を添える。

名残惜しそうに、優しく撫でた。


「君には……これからも、強く、優しく、生きてほしいんだ。私のような愚かな者の代わりに」


そして彼はそっと、扉を閉めた。




満月が沈んだ頃、闇の中で、研究所の天井に、かすかな振動が走った。

嫌な予感が、研究所の空気を凍らせた。


最初に気づいたのは、サンティスだった。

研究室の管理用のモニターに、小さく、けれど確かな反応があった。


「……ついに、来たか」


呟いたその声には、どこか諦めに似た響きがあった。



何度も想像していた。


いずれ彼らはこの場所を突き止め、そして、リアを取り戻しに来るだろうと。

だが、いざその瞬間を迎えると、

不安と恐怖が否応なく彼の胸に押しよせてきた。



その直後、研究所の入り口が轟音とともに破られた。



黒い装備の兵士たちが、機械のようにサンティスの部屋へ侵入してくる。


サンティスの手には何の武器もない。

あるのは、ただ、その信念だけだった。


「久しぶりだね……セリオ」


兵士たちの中から姿を現したのは、かつての弟子。

セリオ・ヴァイスだった。


その姿は、今や国家の正義を背負う存在として、軍とともにあった。


「こんなところに身を隠して……とんだ実験の邪魔が入ったものですよ」


大袈裟にため息を吐き、セリオは続ける。


「まさか、ルクシミウムに汚染されたノアレの地下に隠れているなんて思いもしませんでした。居場所を突き止めるのに一年もかかってしまった」


セリオの言葉に、サンティスはゆっくりと問いかけた。


「君が信じるものは、今でも変わらないか?」


セリオはひとつ、冷笑を浮かべた。


「……いつになっても世界は残酷だ。信じるだけじゃ何も変わらない」


その言葉に、サンティスは俯いて言った。


「セリオ……本当に可哀想な、私の弟子よ……いつかきっとわかってくれると思っていた」


「綺麗事ばかり並べたあなたの偶像をですか? ……ルクシミウムは神の力。あれは、世界を救える!」


セリオの言葉に、サンティスは、低く言葉を紡いだ。


「私が見ていたのは人間だ。兵器ではない。彼女の命を、心を……君はまだ、わからないのか」


「人間? 笑わせる。あなたが感情だの奇跡だのにこだわった結果、どれだけの可能性が失われたか……」


「可能性か……。それは、破壊だ……」


「いや、世界を守るための力だ。あなたの情は、いつも足を引っ張った。だから、こうして……切り捨てられる」



次の瞬間だった。


軍のひとりが放った銃声。

蛍光灯の冷たい光の中に、鮮やかな赤が咲いた。


サンティスの身体が、ゆっくりと傾く。

それでも彼の目は、決してセリオから逸れなかった。


「……正しさは、力で証明するものじゃない……セリオ……お前も、いつか……その呪縛から、自由になれる時が来るだろう……」


その言葉とともに、彼の身体は床に崩れ落ちた。


セリオは、しばし無言でその姿を見下ろしていた。

静かに歩み寄り、血に濡れた記録端末を拾い上げる。


「……本当に、愚かな人だ」


そう呟いた彼の声に、怒りも悲しみもなかった。

ただ、空虚な響きだけが残っていた。


だが──ふと、セリオの背後で、空気が揺れた。

白い寝衣をまとった少女が、そこに立っていた。


ゆっくりと、崩れ落ちたサンティスのもとへ近づいていく。

セリオには見向きもせず、まるで夢の中を歩くように。


セリオの眉が、かすかに動いた。

だが、それ以上の言葉はなく、ただじっと彼女を見つめていた。



リアは、赤く染まったサンティスの隣にしゃがみこむ。

その手が、血に濡れた服を握りしめた。

小さく、ふるえる声が落ちた。


「……どうして……?」


リアがこの世界で最初に触れた優しさ。

最初にかけられた、言葉。

そして、柔く呼ばれた自分の名。


胸の奥で、何かが崩れた。

崩れて、溢れ出した。


リアの瞳に、ひと筋の涙が伝う。

サンティスの頬に、そっと落ちたその雫は、

あまりにも静かで、あまりにも美しかった。



そして彼女の瞳に、ふたたび青白い光が灯った。



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