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第49話 交錯


ノースフィアを発ってから、いくつもの日が過ぎた。

アルメリアを抜け、山を超え、谷をわたり、

ようやくたどり着いた。


夕暮れが空を染め、灰色の雲が町を覆っている。


イファは、広場に一人、立っていた。


そこは、三年前まで町だった場所の中心。

かつてノアレと呼ばれたこの町は、その面影すら残していない。


焦げ跡の残る石畳を見つめながら、イファはしばらく言葉を失っていた。


焼け焦げた柱の残骸。

錆びついた看板。

ねじれた鉄骨が空を指している。


そこにあったはずの生活の痕跡は、風にさらわれ、

まるで最初から何もなかったかのようだった。



「……ここが、ノアレ……」


あの日、光の中にあった場所。

リアの故郷。


そして、今、ここのどこかにリアがいる。


イファは拳を握りしめた。




そのときだった。

背後から、音もなく一人の男が現れた。


「来ると思っていたよ」


柔らかな低い声が、空気を切るように響いた。

イファは振り返る。


そこに立っていたのは、セリオだった。


冷ややかなヘーゼルの瞳。

表情は穏やかなまま、イファの全てを見透かすように微笑んでいた。


「セリオ……」


イファの声が低く震える。


「リアはどこだ」


イファが詰め寄る。

その声には明らかな緊張が滲んでいた。


セリオは、肩をすくめるように笑った。


「リアは今、覚醒に向けて準備をしているよ。君たちが必死に守ろうとしていた“それ”は、もはや人ではない」


一拍、間を置いてから、

彼は続ける。


「いや……最初から、兵器だったんだ」


「どういうことだ」


イファは、目の前の男を睨みつけた。


「……彼女の中には、ルクシミウムの結晶核がある。ルクシミウム・コアだ。その莫大なエネルギーが、彼女を――いや、“それ”を動かしている」


「リアは人間だ! 心を持っている!」


誰よりも傷つき、

誰よりも優しかった。


誰かのために涙を流せる、

そんな存在が、兵器なものか。


「あれが人間か……」


セリオは、嘲るように息を吐く。


「笑わせるな。人間に見えるだけの器でしかない。その中身は、恐ろしくも美しい、神の力そのもの」


淡々とした声で、言い切る。


「誰もが恐れ、誰もが祈り、そして欲しがった力だ。人類の進化の果てに生まれた“神の力を宿した光の核”」


セリオの視線が、空虚な町をなぞった。


「――あれは、紛れもなくこの世で一番恐ろしい兵器だ」


イファは、一歩、前へ出た。

唇を、強く噛み締める。


「リアは……兵器なんかじゃない……!」


セリオはその言葉に、静かに目を伏せる。

そして、微かに鼻で笑った。


「お前は、父親と同じ顔をするんだな」


セリオの声が、刃のように割って入った。


イファは、はっと息を呑む。

セリオは冷たい目を向け、淡々と語り始める。


「まったく、よく似ていたよ。あのときもそうだ。“人間らしくあれ”だの、“命の尊厳”だの――」


口元に、かすかな嘲りが浮かぶ。


「きれいごとを盾にして、現実から目を背けていた。まるで、それが正義だと信じているような顔だった」


声が、低く沈む。


「ノアレの事故はな……私だけじゃない。国も、理解したうえで進めていた」


夕暮れの光が、崩れた町の影を長く伸ばす。


「……だが、あの町は“小さく”、そして“遠かった”。最悪の結果になったとしても、戦局には影響しない。そう判断された」


淡々とした口調でセリオは続ける。


「戦争を終わらせるには、一度、力を示す必要があった。ノアレは、そのために選ばれた」


イファの瞳が、大きく揺れる。


「……まさか……」


「失敗する可能性は低かった。だが、ゼロではなかった。それに気づいていたのは、サンティスだけじゃない」


視線が、まっすぐイファを射抜く。


「お前の父親――レオ・エルネスも、分かっていた」


イファの胸が、強く打たれる。


「だから止めようとした。だがな……」


セリオは、一歩前に出る。

その影が、夕日に引き伸ばされ、イファの足元に重なった。


「平和や倫理を掲げていても、戦争は待ってはくれない。理想論しか持たない者は、前線にはいらない。だから、ノースフィアへ送られたんだ」


一拍置き、静かに続ける。


「それでも、諦めなかったがね。裏で証拠を集め、理想を掲げ、抗おうとした」


セリオは、冷たい視線を落として言った。


「だが、正義の名だけでは、世界は動かない。

 この世界は……そういう世界だ」


イファは、歯を食いしばり、

セリオを睨みつける。


その視線を受けて、

セリオはほんの少しだけ、

寂しそうに言った。


「彼は最後まで信じていたよ。非戦という幻想を。理解し合える世界という夢を」


そして、静かに突き放す。


「……だがな。そんな幻想では、誰ひとり救えなかった」


言葉が、容赦なく重なる。


「お前の父親は、何も変えられなかった。何も救えなかった。違うか?」


「……やめろ……っ」


イファの声は、震えていた。


「事実を語っているだけだ」


セリオは冷たく言う。


「あいつは、家族よりも、叶いもしない平和を選んだ」


そして、決定的な一言を落とす。


「だから、消された。当然だ。幻想を唱えるだけの者は、敗北者でしかない」


イファの足元が、ぐらりと揺れた。


「……お前が……殺したのか」


セリオは、答えなかった。


ただ、冷たい視線を向けたまま、

静かに首を傾ける。


「事故だと、聞いているはずだが?」


「……っ!!」


頭に血が上る。

その熱を抑えることなく、イファは地面を蹴り、拳を振り上げた。




だがその瞬間、彼らの周囲に、新たな足音が響いた。


軍服をまとい、銃を構えた兵士たち。

無機質な顔と足取りで、彼らは包囲するようにイファを囲んでいく。


「来たか……少し遅かったな」


セリオがつぶやいた。


イファは掲げた拳に力を込めたまま、振り下ろすことができず、ただ睨み返す。



その時だった。


「イファッ!」


──声が、届いた。



風の中から聞こえたその声に、イファは遠くを見つめる。


セリオの肩越しに見えた見覚えのある白い服。

風に揺れる銀色の髪。


駆けてくるのは、ずっと会いたかったその姿。


胸元には、儚くも美しい、青くゆらめく光。

ルクシミウムが、感情に呼応するように淡く滲んでいた。


イファの中で、怒りと悲しみと安堵がせめぎ合う。


「リア……!」


声が震えた。


届いたその名に、彼女は一瞬だけ立ち止まり、静かに目を伏せる。

胸の奥に湧き上がる、何かを堪えるように。


白い指先が、ほんの少しだけ、震えていた。


そしてあの光は、静かに彼女の中で灯っていた。



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