第41話 眠る町の記憶
研究所の空気は重く、どこか、息をするのも忘れてしまいそうだった。
研究室には数多くの資料が並び、そのほとんどは埃をかぶり、時が止まったかのように静まり返っている。
そのとき、セリオがふと近づいてきた。
手には、細く銀に光る首飾りが握られていた。
「リア、ひとつ頼みがある」
低い声でそう言うと、彼は首飾りを差し出す。
「これを身につけておいてほしい」
リアは差し出されたそれに手を伸ばさず、ただじっとその銀色の首飾りを見つめていた。
「この研究所は、いつ崩れてもおかしくない。これは、もしもの時に君の身を守るものだ」
「……身を守る?」
セリオはふわりと微笑むと、ゆっくりとリアの背後に回る。
──カチリ。
静かな金属音が、部屋の中に小さく響いた。
その感触は軽く、ただの装飾品のようだった。
けれど、冷たいはずのそれは、なぜか体温を帯びているように思えた。
その瞬間、胸の奥に、ふと不思議なざわめきが揺れた。
セリオの手が首元から離れる。
「……よく似合っているよ」
そうひと言だけを残し、セリオは研究室の扉へと歩き出した。
扉の前で立ち止まると、振り返らずに言う。
「この部屋にあるものは、すべて君のために残されたものだ。……好きに見なさい」
そうして、彼は扉の向こうへと姿を消した。
リアの首元には、銀の光が淡く揺れていた。
静けさが戻った部屋に、リアはひとり取り残された。
しんとした研究室の空気に、かすかな電子音が混ざる。
リアはそっと歩を進め、棚に置かれた古びた書類や記録端末を見渡した。
埃をかぶったそれらは、誰にも触れられないまま、ずっとこの場所にあったのだろう。
リアは、その中のひとつの端末に手を伸ばし、そっと起動ボタンに触れる。
低く唸るような音とともに、スクリーンが静かに明るくなり、いくつかのファイル名が浮かび上がった。
《ルクシミウム冷却系統 概略図》
《実験報告第38号》
《ノアレ実験記録》
《事故後の処置計画案》
リアは迷いながらも、ノアレという名に導かれるように、ファイルに手をかざす。
淡い光がともり、ホログラムの映像が空中に浮かび上がった。
映し出されたのは上空から見たノアレの地形図だった。
山々に囲まれた町の北部、青く印された水脈、
そしてその南に、巨大な砂漠が広がっていた。
「……ここで……なにが……?」
リアは、震える指で再生ボタンを押した。
画面が一瞬ざらついたのち、再生されたのは、事故当日の記録映像だった。
警報音が鳴り響く。
赤い警告灯が点滅し、何かが破裂するような音。
叫び声、混乱、誰かの無線が途切れ途切れに響く。
そのときだった。
世界を裂くような、眩い閃光。
スクリーンが真っ白に染まり、数秒の無音が空間を支配する。
次の瞬間──音が押し寄せた。
轟音。
風圧。
地面がうねり、建物が一斉に崩れ落ちていく。
吹き飛ばされた街路。
弾ける水道管。
人々が逃げ惑う暇もなく、光の波に飲み込まれていく。
天を突く炎の柱。
立ち上る黒煙の雲が、ゆっくりと街を覆っていく。
──まるで、世界そのものが焼き払われていくようだった。
映像は、そこで唐突に途切れた。
リアは、息を呑んだまま動けない。
やがて、震える足で立ち上がろうとするも、膝が力を失いかける。
記憶にはない。
けれど──体が覚えている。
あの光の中に、自分がいた。
皮膚の奥が焼けるように疼き、体の奥から、底知れない恐怖が這い上がってくる。
「……こんな……」
震える手で記録ファイルを切り替えると、白衣を着た男が映っていた。
──サンティス。
『この記録はリアに残すためのものだ。きっとリアに届くころには、私はもうここにはいないだろう。だが、それでも伝えておきたい。ノアレで起きたことのすべてを』
リアは、震える体に力を込め、小さく息を吸い込み、目の前の男の話に耳を傾ける。
『……あの事故の原因は、冷却回路の非常弁が同時に破裂したことだった。想定を超える圧力が逆流して、地下水脈に高温ガスが入り込んだ。その結果、水蒸気爆発が起きて、市街地のほとんどが崩壊した。……住んでいた人々も、みんな光に飲み込まれてしまった』
リアは胸の前でぎゅっと手を握った。
画面に向ける目が逸らせないまま、リアの呼吸は浅く、速くなっていく。
『ノアレは、政府にとって“都合のいい町”だった。人口が少なく、山に囲まれていて外との接触も希薄。南には砂漠が広がっていた。政府は、衰退していたノアレの町に莫大な金と仕事を用意した。反対していた住民たちも、納得せざるを得なかったんだ』
「……どうして……」
声にならないほど小さな声が漏れた。
喉の奥で、痛みのようなものがせり上がる。
『私も、最初は従った。世界平和の名のもとに、ルクシミウムの研究は続けられていたんだ。私は、美しいルクシミウムの可能性に魅せられていた。世界を変える力だと、本気で信じていたんだ』
映像の中の男は、そっと目を伏せた。
『……ただ、計算上、弁の逆流によって、実験が失敗に終わる可能性もあるとわかっていた。私は何度も止めたんだ。しかし、政府や軍は失敗する可能性は、ほぼゼロパーセントだとして、私の意見を聞かずに強行した』
サンティスは息を吐き、続ける。
『……止められなかった。ルクシミウムも、軍や政府の力も。彼らは今すぐにでも戦争を終える、そして抑止力になる“兵器”を求めていた。ヴァストラ帝国に勝つために。ルクシミウムの力を、人を殺す道具に変えようとしていたんだ』
──すべてが、繋がっていた。事故は偶然ではなかった……ノアレは、最初からそのために選ばれた…?──
『私は、事故の中で君を見つけた。瀕死の状態だったが、奇跡的に生きていた。あの町で生きていたのは、リア……君、ひとりだった。私は君を救いたかった』
サンティスの声は、かすかに震えていた。
『それは、善意なんかじゃなく、自分のエゴだったのかもしれない……。その光が、いつか誰かの希望になると信じていたんだ。……ルクシミウムは…たしか……君を……救った…が…おおき……代償を……』
映像が固まって動かなくなってしまった。
──代償?
リアは、映像端末をそっと閉じた。
呼吸をひとつ整え、リアは震える手を胸元に添えた。
あの光の中にいた自分を、思い出すことはできない。
けれど、向き合わなければいけない。
この惨劇の果てに、自分が何を託され、生かされてきたのか。
リアは、端末を見下ろしながら、静かに呟いた。
「……わたしは、その続きを、知らなきゃいけない」
静寂の中で、見えない歯車が
またひとつ、音を立てて回り始めていた。




