お見合い編7 砦の英雄、真相
少将夫人が満足そうな笑顔で立ち上がった。
「それじゃあ、あとは若い二人で」
夫人は父と母を連れて消えていた。
扉が閉まる。
静寂。
何か話題を探そうとした瞬間だった。
中佐さんが頭を下げた。
かなり深く。
私は固まった。
「申し訳ありません」
「はい?」
「本当に申し訳ありません」
「え?」
何が始まったのだろう。
「まさか実現するとは思っていなかったんです」
「何がでしょう」
「この縁談です」
私は瞬きをした。
「少将に再婚を勧められまして」
「はい」
「正直あまり考えてませんでした」
「はい」
「そういうことなら精いっぱい高望みしてみようと」
「はい」
「どうせ断られるだろうと思っていました」
「はい」
「そしたら実現してしまいました」
沈黙。
私は思わず言った。
「迷惑だったんですか?」
「違います!」
即答だった。
思った以上に強い否定だった。
「そうではなく」
中佐さんは頭を抱える。
「私が驚いているんです」
「はあ」
「年齢も離れていますし」
確かに十歳以上違う。
「男爵家の次男坊が子爵令嬢を、しかも大変な評判の方です」
「そんなんじゃありません」
「私はただの平中佐です」
私は首を傾げた。
「平中佐?」
「はい」
「中佐にも種類があるんですか?」
今度は中佐さんが固まった。
「種類」
「上中佐とか特上中佐とか」
「魚ではありません」
初めて少し笑った。
「平というのは」
中佐さんは説明する。
「特別な役職がないという意味です」
「役職」
「部隊長とか参謀とか」
「なるほど」
少し分かった。
たぶん。
「つまり」
私は整理する。
「店員さんですか?」
「はい?」
「店長さんだと思ったら」
私は続ける。
「実は普通の店員さんだった」
中佐さんはしばらく考えた。
「そんな感じです」
「そうなんですね」
なんだ。
安心した。
「安心されたんですか?」
「はい」
「なぜ」
私は素直に答えた。
「中佐って軍で百人以内くらいに偉いんですよね」
「まあ」
「十分凄いじゃないですか」
今度は中佐さんが黙った。
「そう言われたのは久しぶりです」
小さく呟く。
そこで初めて。
少しだけ違和感を覚える。
この人。
もしかして。
思ったより自己評価が低いのでは?
◇◇◇
「英雄なんですよね?」
私は率直に聞いた。
中佐さんが微妙な顔になる。
「そんな大したものではありません」
「でも砦を守ったって」
「運が良かったんです」
その言い方が、あまりにも自然だった。
英雄ならもっと胸を張るものだと思っていた。
けれど、この人は違う。
「実際には、かなり格好の悪い話ですよ」
頭を掻きながら話し始める。
「まず隊長がいなくなりました」
「はい?」
予想外だった。
もっとこう。
敵軍数万とか。
絶望的戦況とか。
そういう話かと思った。
「雪山での行軍訓練でした」
「はい」
「隊長が部隊の三分の一を連れて宿営地へ向かいました」
「はい」
「私は砦の留守番です」
私は嫌な予感がした。
「着いたその晩から大雪です」
「ああ……」
「道が全部埋まりました」
「帰れない」
「でも」
中佐さんは肩をすくめる。
「その宿営地に温泉がありまして」
「……」
「食料もありました」
「……」
「薪もありました」
「……」
「つまり」
私は恐る恐る聞く。
「一週間?」
「一週間です」
「温泉?」
「温泉です」
沈黙。
「こちらは」
中佐さんは真面目な顔で言う。
「毎日雪かきです」
「はい」
「敵まで来ました」
「はい」
「寒いです」
「はい」
「隊長たちは」
少し間を置いた。
「一週間、温泉でぬくぬくしていました」
私は吹き出した。
耐えられなかった。
「ふふっ……!」
口元を押さえる。
だめだ。
笑ってはいけない。
でも。
「信じられますか」
中佐さんまで笑っている。
「私たちは凍えながら砦を守っていたんですよ」
「はい」
「向こうは『今日は雪がすごいですねえ』なんて言いながら温泉です」
もう駄目だった。
「ふっ……あははっ!」
声を上げて笑ってしまった。
「それで」
私は笑いをこらえながら尋ねる。
「帰ってきた隊長さんは?」
「ものすごく謝っていました」
「でしょうね」
「本人もまさか、その間に砦が英雄譚の舞台になっているとは思っていませんでした」
また笑ってしまう。
「怒らなかったんですか?」
中佐さんは首を振った。
「怒っても仕方ありません」
「そうですか?」
「天気に怒っても雪は止みませんから」
その言葉が、とても自然だった。
私はふと気づく。
この人は、誰かの失敗を面白おかしく話しているようでいて、一度も隊長を責めていない。
「運が悪かっただけです」
そう言って、笑って終わらせている。
だからこそ、部下たちも、この人についていったのかもしれない。
◇◇◇
「隊長がいなくなった後、敵が来ました」
「はい」
「守備兵の三分の一が隊長についていっていました」
「はい」
「敵から見ると大チャンスです」
「なるほど」
ここまでは分かる。
「攻めてきました」
「はい」
「どうしたんですか?」
ここから英雄譚だろう。
きっと。
中佐さんは真顔で答えた。
「引きこもりました」
私は瞬きをした。
「はい?」
「引きこもりました」
聞き間違いではなかった。
「砦に」
「はい」
「籠城?」
「そうとも言います」
少し格好良くなった。
「そもそも、ひたすら雪かきしていました」
「雪かき?」
「砦が埋まるくらい降りまして」
「ああ……」
「朝起きたら扉が開きません」
「そんなにですか」
「はい」
「なので、総出で雪を外へ放り出していました」
私はしばらく黙った。
英雄。
雪かき中。
「その時に敵が?」
「はい」
「見張りが鐘を鳴らしまして」
「はい」
「敵襲!」
なんだろう。
想像していた英雄譚と違う。
「敵も大変だったでしょうね」
私はぽつりと言う。
「ええ」
彼は苦笑した。
「向こうも雪かきしながら進軍です」
「そうですよね」
「こちらも雪を捨てる場所がなくて」
「はい」
「砦の外へ放り投げていました」
「あっ」
「古い投石器まで持ち出して、雪をぶん投げてました」
「敵から見たら」
少しだけ肩をすくめる。
「砦の上から延々と雪が降ってくるんです」
「せっかく除雪したのに」
「すぐ埋め戻されるんです」
私は吹き出した。
「嫌ですね、それ」
「腹たったでしょうね」
◇◇◇
「そういえば」
私は思い出した。
事前に聞いておいた、当時話題になったという件。
「でも、大砲で雪崩を起こして敵軍を壊滅させたって」
中佐さんはきょとんとした。
「……そんな話になっているんですか?」
「有名ですよ?」
「初めて聞きました」
「え?」
「違うんですか?」
「違います」
即答だった。
「じゃあ雪崩は?」
「あれは敵軍です」
「敵軍?」
「敵が撃ってきた砲弾です」
私は目を丸くした。
「え?」
中佐さんは苦笑する。
「ずっと吹雪でした」
「はい」
「何も見えません」
「はい」
「こちらからは撃てません」
「そうですよね」
「でも向こうは砦の場所だけは知っています」
「あ……」
「だから、撃ってきました」
「怖くなかったんですか?」
「怖かったですよ」
あっさり答えた。
「だから砲弾が飛んでくるたびに」
彼は肩をすくめた。
「変なところに当たるなよ、と祈っていました」
「それで」
私は続きを促した。
「やっぱり変なところへ着弾したらしいんです」
「らしい?」
「吹雪で見えませんでしたから」
「あ……」
「地鳴りの音だけ聞こえました」
「雪崩」
「敵軍も結構巻き込まれたそうです」
「そうなんですか」
「後で分かりました。吹雪で見えなかったので」
「はい」
「それで敵は大混乱になりました」
中佐さんは静かに続ける。
「埋まった兵を助けなければならない」
「はい」
「かなりの人数が救助へ向かいました」
「その間は攻撃できませんね」
「ええ」
「こちらは助かりました」
その一言は、とても静かだった。
「おかげで長期戦になりました」
中佐さんは遠い目をした。
「敵も長期戦の準備はしていませんでした」
「そうなんですか」
「チャンス到来と思って攻めてきただけで」
身振りを入れて続ける。
「ところが」
「はい」
「予想以上の大雪になりまして」
「はい」
「補給が来ない」
「はい」
「寒い」
「はい」
「ほぼ自滅しました」
私はぽかんとした。
これが。
王国中に語られている英雄譚。
本人の話では。
雪かきと吹雪と温泉しか出てこない。
◇◇◇
「戦いが終わって」
中佐さんは苦笑した。
「帰還命令が出た時は本気で覚悟しました」
「覚悟?」
「更迭です」
「……」
「だって」
中佐さんは言う。
「私は砦に籠もって雪かきしてただけですし」
「はい」
「こんな不甲斐ない戦いで呼び戻されるんです」
頭を掻く。
「終わったと思いました」
私はじっと彼を見る。
この人。
本気でそう思っている。
本気で自分は大したことをしていないと思っている。
「でも」
私は首を傾げた。
「守れたんですよね?」
中佐さんが止まる。
「砦」
「はい」
「守備兵」
「はい」
「近くの人達」
「はい」
「全員無事だったんですよね?」
沈黙。
彼は少し考えた。
「そうですね」
「なら十分凄いと思います」
私は素直に言った。
また沈黙。
今度は長かった。
中佐さんは少し困ったように笑う。
「そう言っていただけるのは嬉しいです」
その笑顔は。
英雄の笑顔でも。
権力争いに疲れた男の笑顔でもなく。
ただ褒められて少し照れている普通の男性の笑顔だった。
そして私は、その笑顔を見て初めて思った。
――この人となら、もう少し話をしてみたい。




