お見合い編4 そんなにすごくありません!
「あなたが白百合の幻姫ね?」
「いえ、人違いです」
反射だった。
夫人が固まる。
お父様が固まる。
お母様が固まる。
私だけが普通だった。
だって知らない。
白百合?
幻姫?
何それ。
「え?」
夫人が瞬きをする。
「違います」
「え?」
「本当に違います」
「え?」
話が噛み合わない。
「私はリリアーヌです」
「知っています」
「百合さんではありません」
「百合さん?」
夫人の眉がぴくりと動いた。
どうやら違うらしい。
「ファンタジスタなんてものでもありません」
「それは二つ名よ」
「二つ名」
ますます分からない。
夫人だけが何かを理解している。
「学院時代のことは聞いていないの?」
「特には」
「あなた、本当に?」
「はい」
「学院では有名だったのよ」
「私がですか?」
「あなたが」
ありえない。
学院には公爵令嬢もいた。
侯爵令嬢もいた。
王族だっていた。
どう考えてもそちらの方が目立つ。
「何かの間違いでは」
「間違いじゃないわ」
夫人は紅茶を口にする。
「男性陣の間では特に有名だったもの」
嫌な予感がした。背筋を冷たい汗が伝う。
「……どのように、語られていたのでしょう」
「まず、顔がとびきり可愛い」
ぶふっ、と隣でお父様が盛大に咳き込んだ。
お母様は何とも言えない微妙な、しかし娘を褒められてちょっと嬉しそうな複雑な顔になる。
「あの、夫人……うちの娘は、その、そこまででは……」
「いいえ、事実よ」
「いや、しかし……」
「事実なの。子爵」
強い。
押し切られた。
「それでね」
夫人は続ける。
「学院の男子生徒だけじゃないわ。姉妹の送迎で馬車から降りてくる青年貴族たちの間でも、ある時期から一躍噂の的になったの。なぜだと思う?」
「……さっぱり分かりません」
「――滅多に見かけないからよ」
「はい?」
意味が分からない。
見かけないことが話題になるのだろうか。
「普通の令嬢は、華やかな社交界に顔を出すでしょう? お友達とお茶会をしたり、中庭を優雅に回遊したり、誰の目にも留まる場所を歩くわ」
「そうですね。皆様いつもお忙しそうでした」
「でもあなた、全然いないじゃない」
自分の学院生活を振り返った。
基本的には教室か図書室にいた。
あるいは、自室のベッドの上。
もしくは、一刻も早く実家に帰るために馬車乗り場へ直行していた。
確かに、きらびやかな社交の場には一度も足を踏み入れていない。
「たまに見かけるチャンスがあると思ったら、ちょっと目を離した隙に、気が付くと消えている」
「……門限とか、乗合馬車の時間がありましたので」
「だからこその、『幻姫』なのよ」
何一つ、これっぽっちも納得がいかない。
「誰もその正体を正確に知らない。どこの派閥にも属さず、誰とも群れない高嶺の花」
「リリアーヌ・ド・モンテルです。ただの貧乏子爵の長女です」
「知ってるわ」
「幽霊でも幻でもありません。実体があります」
「知ってるわよ」
だめだ、会話のレールが完全に撤去されている。
夫人はもう、楽しくて仕方がないといった様子で目を輝かせていた。
「それで、夢見がちな男性陣が勝手にロマンチックな噂を膨らませたのよ。モンテル家という古き名門の令嬢で、白百合のように可憐で清廉――だけど、俗世の男が近づこうとすると、ふっと幻のように消えてしまう、って」
「……」
最悪だった。
「だから白百合の幻姫」
沈黙。
私は理解した。
理解してしまった。
そして。
ぶるぶる震え始めた。
「リリア?」
お母様が心配そうに声を掛ける。
「そんな」
声が震える。
「そんな大した存在じゃありません〜!」
両手で顔を覆う。
恥ずかしい。
恥ずかしすぎる。
何だその二つ名は。
誰が考えた。
出てこい。
今すぐ出てこい。
「私はただ、お茶会の高い会費が払えなくて、図書室で無料の本を読んで暇を潰していただけですーー!!」
「ええ、そうでしょうね」
「お高くとまっていたんじゃなくて、ただのコミュ障でお茶会が苦手だっただけですーー!!」
夫人はついに笑い出した。
お父様も肩を震わせている。
お母様はもう完全に笑っている。
味方がいない。
「だいたい幻姫って何ですか!」
「仕方ないわよ、男の子っていうのは、そういう謎めいたミステリアスな女の子が大好物なんだから」
「やめてください〜!」
少将夫人は楽しそうに続けた。
「それに令嬢たちからの評判も良かったわよ」
「え?」
そちらの方が驚きだった。
「私、あまり交流ありませんでしたけど」
「そうね」
「そもそも接点ありましたっけ?」
「ほとんどないわね」
ますます意味が分からない。
接点がないのに評判とは何だろう。
夫人は笑いながら紅茶を置いた。
「最初は警戒されていたのよ」
「私が?」
「あなたが」
お父様も分からない顔をしている。
お母様も同じだった。
誰も理解できていない。
「だってそうでしょう?」
夫人は当然のように言う。
「学院に、とても綺麗な子が入学してくる」
「はい」
「しかも平民みたいに気取らない」
「はい?」
「白百合の幻姫なんて呼ばれて、男性からの人気も高い」
「はい?」
「令嬢たちはどう思うかしら」
考えた。
そして答えた。
「仲良くしたい?」
「戦争よ」
即答だった。
怖い。
社交界怖い。
「そんな! 私、宣戦布告された覚えはありません!」
「される前に、あなたが勝手に終戦させたのよ」
夫人は楽しそうに頷く。
「みんな戦々恐々としていたのよ」
「私に?」
「あなたに」
意味が分からない。
本当に意味が分からない。
「こんな美少女が本気で社交界に出てきたらどうしよう」
「出てきたら?」
「自分たちが霞んでしまう」
「霞みません!」
全力で否定した。
だが夫人は聞いていない。
「お茶会を開いたら?」
「開きません」
「舞踏会で踊り始めたら?」
「踊りません」
「王都の青年貴族たちをその気にさせたら?」
「させません!」
お父様が吹き出した。
お母様も笑いを堪えている。
完全に他人事である。
「でも」
夫人は微笑む。
「何も起きなかった」
私は首を傾げた。
「そうでしょうか」
「そうよ」
夫人は指を折りながら数える。
「お茶会を開いてマウンティングをしない」
「はい」
「どこの派閥にも属さず、中立を保つ」
「面倒なだけです」
「男を侍らせて、貢がせるようなこともしない」
「そんな不埒なこと、神に誓ってしていません」
「他人の陰口を言って、誰かを蹴落とそうともしない」
「そんなエネルギー、家事に回した方がマシです」
「必死になって、婚約者探しもしない」
「相手にされていませんでした」
夫人は頷いた。
「だから安心されたの」
「安心?」
「ああ、あの白百合の幻姫は、最初から私たちと争う気が一切ないんだ。なんて高潔で、欲のない、素晴らしい聖女のような方かしら!」
ぽかんとした。
そんな発想はなかった。
ただ苦手だっただけだ。
面倒だっただけだ。
「待ってください」
「何かしら」
「なんでそうなるんですか?」
夫人はきょとんとした。
逆に何を言っているのか分からない、という顔だった。
「だって普通はできないもの」
「何がです?」
「十八歳の女の子が」
夫人は少し笑う。
「周囲から注目されても浮かれず」
「浮かれてません」
「張り合わず」
「張り合ってません」
「誰かを蹴落とそうともせず」
「怖いじゃないですか」
「最後まで我が道を行く」
「家に帰りたかっただけです」
夫人は吹き出した。
「なるほど」
夫人は満足そうに頷く。
「やっぱり本人は分かってないのね」
「何がですか」
「だから評判が良かったのよ」
納得できなかった。
全然納得できなかった。
自分はただ。
友達と本を読んで。
ケーキを食べて。
休みになったら実家へ帰っていただけである。
なぜそれが、
令嬢たちからも好感を持たれる話になるのか。
さっぱり分からなかった。
ただ一つだけ分かることがある。
学院時代の自分を見ていた人たちは。
どうやら自分が思っていた以上に。
勝手な想像をしていたらしい。




