英雄誕生編12 私、そんなに凄い人じゃありません
「……そうですか」
その声は。
どこか、安堵したようにも聞こえた。
私は思わず顔を上げる。
「……どういう意味ですか?」
レオンさんは少しだけ困ったように眉を下げた。
珍しく言葉を探している。
戦場の話なら即答する人なのに。
「その……」
言いかけて止まる。
「私は……」
また止まる。
そして観念したように小さく笑った。
「説明が、あまり得意ではありません」
知っています。
心の中で即答した。
誰よりも知っています。
「ですが」
彼は静かに続けた。
「少し安心しました」
やっぱり同じことを言う。
「……なんでですか?」
「怒っていましたので」
「怒ってました」
「はい」
即答だった。
少しだけ腹が立つ。
「怒るくらいなら」
彼は穏やかに言う。
「まだ間に合うと思いました」
私は首を傾げる。
意味が分からない。
レオンさんは少しだけ考え込む。
そして、ぽつりと口にした。
「嫌われたのかと思っていました」
私は固まった。
数秒。
意味を理解する。
さらに数秒。
頭の中でようやく言葉が繋がる。
「……はい?」
変な声が出た。
「え?」
今度は向こうが困った顔をした。
「なんでそうなるんですか!」
思わず立ち上がる。
店中の視線が一斉に集まった。
……まあ、もう今さらだ。
「手紙は来ない!」
「はい」
「何の連絡もない!」
「はい」
「敵国から縁談!」
「はい」
「少将閣下!」
「はい」
「全部そっちのせいじゃないですか!」
レオンさんがしゅん、と肩を落とした。
英雄が小さくなっている。
少しだけ溜飲が下がる。
でも。
彼は真っ直ぐ私を見つめた。
「ですが、リリアーヌ嬢は」
その視線から逃げられない。
「私に会ってくださいました」
私は黙る。
「嫌われていたなら」
静かな声で続ける。
「来ていただけなかったと思います」
胸が少し苦しくなる。
そんなこと。
決まっている。
会うに決まっている。
だって。
好きなのだから。
レオンさんは小さく息を吐いた。
「実は」
その表情は、戦場で見せるものとは違っていた。
少しだけ。
本当に少しだけ緊張している。
「軍部最高幹部会議で」
嫌な予感がした。
「縁談の話が出ました」
やっぱり。
私は身構える。
「お断りしました」
あまりにも、あっさりと言った。
「……え?」
「お断りしました」
同じ言葉。
同じ声。
まるで当然の報告をするように。
「どうして……?」
思わず尋ねる。
すると今度はレオンさんが不思議そうな顔をした。
「どうして、と言われましても……」
本気で困っているらしい。
「他に選択肢がありましたか」
私は言葉を失った。
――ない。
この人の中では。
最初から。
本当に最初から。
そんな選択肢は存在しなかったのだ。
「私は」
レオンさんは静かに言う。
「少将になりたかったわけではありません」
知っている。
きっと本当にそうだ。
「英雄になりたかったわけでもありません」
それも知っている。
「敵国のお姫様と結婚したかったわけでもありません」
私は小さく頷く。
「では……」
気付けば尋ねていた。
「何がしたかったんですか?」
レオンさんは少しだけ考えた。
答えは、最初から決まっていたのだろう。
「また」
彼は笑った。
「あなたに会いたかったんです」
静寂。
店の空気が止まる。
店主さんも。
団子を頬張っていた子どもも。
将棋を指していたおじいさんたちも。
誰一人、動かない。
私だけは。
もっと動けなかった。
心臓がうるさい。
頭の中が真っ白になる。
「だから帰ってきました」
静かな声だった。
「手紙は書けませんでした」
少しだけ申し訳なさそうに笑う。
「ですが」
初めて会った日のような。
あの優しい笑顔になった。
「直接、お伝えしたかったので」
私は俯く。
顔が熱い。
きっと真っ赤だった。
「リリアーヌ嬢」
名前を呼ばれる。
顔を上げる。
英雄ではない。
少将閣下でもない。
そこにいたのは、一人の不器用な男性だった。
「私は」
一度だけ息を整える。
「白百合の幻姫が好きなのではありません」
私は息を呑む。
「派閥争いを超越した聖女が好きなのでもありません」
静かな声が店に響く。
「私が好きなのは」
少しだけ笑って。
「団子が好きで」
思わず目を丸くする。
「花屋で話し込んで」
思い出してしまう。
「よく道に迷って」
「……それは余計です」
思わず口を挟むと、店のあちこちから笑いが漏れた。
レオンさんも少し笑う。
「私なんて凄くありません、と本気で慌てる」
胸がいっぱいになる。
「そんな」
彼は真っ直ぐ私を見つめた。
「あなたです」
涙が滲んだ。
今まで、みんな違う名前で私を呼んだ。
白百合の幻姫。
奇跡の令嬢。
英雄を救う娘。
でも。
この人だけは。
最初から。
私を、私として見てくれていた。
レオンさんは静かに立ち上がる。
そして小さく頭を下げた。
町のお茶屋で。
王国の英雄が。
ただ一人の女性へ向かって。
「これからも」
穏やかな声で言う。
「私と、一緒にいていただけませんか」
私は涙を拭った。
そして、笑う。
たぶん。
今までで一番、自然に。
「だから言ったじゃないですか」
笑いながら首を振る。
「私、そんなに凄い人じゃありません」
店中に笑いが広がる。
レオンさんも笑った。
「ええ」
優しく頷いて。
「知っています」
その一言が。
誰に褒められるよりも。
誰に認められるよりも。
嬉しかった。
次回エピローグで完結となります。




