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英雄誕生編10 もう一度あの場所で

リアンヌ視点に戻ります。

 お茶屋の前まで来た瞬間、私はその場で立ち尽くした。


 ……やっぱり。

 やっぱり、こうなるんだ。


 人。

 人。

 人。

 普段はのどかな町外れのお茶屋なのに、今日は広場まで人で埋め尽くされていた。


「来たぞ!」

「リアンヌちゃんだ!」

「頑張れー!」

「押すな押すな!」

「道を空けろ! 二人の邪魔をするな!」


 熱烈すぎる声援が四方八方から飛んでくる。

 私は耳まで真っ赤になりながら、必死に両手を振った。


「ち、違いますっ! 見せ物じゃありませんから! 皆さん、解散してくださいー!」


 もちろん誰一人として聞いてくれない。

 むしろ、

「ほら行け!」

「頑張れ!」

「押せ押せ!」


 という謎の応援が始まり、私は町の人たちに背中をぐいぐい押されながら店の中へ流し込まれた。


「だから押さないでくださーい!」


 ようやく暖簾をくぐり、静かな店内へ逃げ込む。

 そこで足が止まった。


 店の奥。

 特等席に、一人だけ町の人じゃない老人が座っていた。


「おやおや」

 白髪交じりの髭を撫でながら、サン=クレール予備役中将さんが目を細める。


「これはこれは。モンテル家のお嬢さん。奇遇ですなあ」


 私は無言でじっと見つめた。

「……絶対うそです」

「いやいや、本当じゃよ」

「王都からここへ来る道は、旅の途中になりません」

「そうじゃったかな?」

「そうです」


 中将さんは豪快に笑った。


「いやあ、参った参った。初めて会った頃より、ずいぶん鋭くなった」

「軍から派遣された見届け人、ですよね?」


 老人の笑みが一瞬だけ止まる。

 やがて肩をすくめた。


「半分だけ正解じゃ」

「半分?」

「今日は、誰の命令でもない」

 湯飲みを静かに置く。

「わしが来たかったから来ただけじゃ」


 思わず目を丸くする。


「若い二人が、自分の人生を決める日じゃからな」

 その声には、軍人ではなく、一人の年長者としての優しさが滲んでいた。

「政治も軍も、今日は関係ない」

 私は自然と頬が緩む。


 それでも向かいの席を見る。

 まだ誰もいない。


「あの方は……」

「来る」


 迷いのない即答だった。


「どうして、そんなに言い切れるんですか?」

 中将さんは穏やかに笑う。

「あやつは、人から命令されても案外動かん」

 苦笑する。


「じゃが」

 その目が、将軍の目になった。


「自分で決めたことだけは違う」

 一拍置いて、

「世界中が反対しても、必ずやり遂げる男じゃ」


 その言葉が胸へ落ちた瞬間だった。


 ガラガラッ。

 店の戸が勢いよく開いた。


 店中の視線が、一斉に入口へ向く。

 振り返る。

 そこにいた。


 軍服の襟元を少しだけ緩め、肩で小さく息をしながら立つ、一人の軍人。


 レオンハルト・ド・ヴァイス少将。

 ……でも。

 私にとっては、いつまでも『中佐さん』だった。


 彼は店内を見回す。

 私を見つける。


 その瞬間。

 張り詰めていた表情がふっとほどけ、困ったような、安心したような、あの優しい笑顔になった。


「お待たせしました」


 本当に来てくれた。


 講和交渉。

 英雄。

 政略結婚。

 そんな大きな世界の真ん中にいるはずの人が、今、私の目の前にいる。


 胸がいっぱいになって、思わず口をついて出た。


「……どうして、来てくれたんですか?」


 レオンさんは、不思議そうに首を傾げた。

 まるで、「そんなことを聞くのですか」とでも言いたげに。


 そして、ごく自然に答えた。

「貴女に会いたかったので」

 一瞬、頭が真っ白になる。


 何を言われたのか理解するまで、数秒かかった。


 その一言は。

 どんな愛の言葉よりも飾り気がなくて。

 どんな口説き文句よりも真っ直ぐで。

 だからこそ、どうしようもなく胸に刺さった。


(ずるい……)


 そんなふうに言われたら。

 嬉しくないはずがない。

 顔が一気に熱くなる。


 何か返事をしなければと思うのに、言葉は一つも出てこなかった。

 私は真っ赤になったまま、その場に立ち尽くすことしかできなかった。



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